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パキスタンにおける震災復興支援 ヌール・カーン氏によるレポート(日本語)。 『From Lahore. Paikstan』のホームページはこちら liyehuku on deviantART 昔撮った写真など Wendeline S. Matson 米国の画家。 確か「サイトを介して彼女から直接作品を購入することもできる」とBlue Moon Galleryの人が言っていたはず(2005年7月現在) Kangaroo Korner 感動した 映画"Jump Tomorrow" (IMDb) 2001年の映画。 カテゴリ
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2012年 01月 28日
『極東ブログ』の記事、「米国の保守派と宗教の関係」(2012.01.28)(参照)に関して。
アメリカの敬虔なキリスト教徒の層が保守層とだいたい重なるようでもあり、それでいてそうでもない……というとわけがわからないが、私にはそういう実感がある。 「保守」といえば共和党支持であり、これを家庭という単位で見た場合、夫は共和党支持だが、妻は民主党支持ということはまずない。逆も同じ。親は共和党(あるいは民主党)だが子どもは民主党(あるいは共和党)というのもあまりないかもしれないが、「夫婦で別」というのよりはずっとありそうな話である。(ただしこの場合、「子ども」とはいっても、選挙に参加できる年齢であれば概ね自立しており、その多くは親とは別の家庭に属していると考えた方が自然。) しかし、信仰についてはどうか。 確かにアンケートを採れば、アメリカのクリスチャンの数はかなり割合が高くなるだろう。 ところが、実のところ、キリスト教の原理主義的な傾向が強い地域でも、「男性のキリスト教離れ」は結構進んでいるらしいのだ。つまり、家庭の長である男性(父親であったり夫であったりする)が、同じ家庭の女性(母親であったり妻であったりする)ほどキリスト教を信じられなくなっている。 エルパソに住んでいた時、私は地元のバプテスト教会の女性向けのバイブルスタディ(週1回)に参加していた。それとは別の教会の催しもので、たまたまバイブルスタディの講師と同じテーブルで隣り合って座った際、同じクラスの受講者の年老いた父親の話になった。彼は末期のガンで入院していた。 「彼はイエス・キリストを信じることができずにいるので、死に対してものすごい恐怖を感じているの」 と彼女は言った。 果たして敬虔なキリスト教徒は本当に死の恐怖を感じないのであろうか、という疑問はここでは置いておく。彼女の言葉からわかるのは、その老人が短いとはいえない年月の間、キリスト教に疑問を持ちつつ生活してきた、そういう風に周囲から見なされているということだった。 またそれとは別の機会、バイブルスタディの講義で有名な牧師(?)の説法が収められたDVDを観ていた時だったのだが、牧師(仮)が「イエス・キリストのイメージ」について触れた部分を講師が話題にした。 「現代における男性のキリスト教離れは、広く受け入れられているイエス・キリストのイメージが女性的であるために、男性がそれに自分の理想の男性像を重ねられないからだ」 というのが双方の言ったことの主旨だった。 「男性のキリスト教離れ」は少なくともアメリカのバプテストの間では一般的な現象として共有されているもののようだ。 つまり、信仰という点で家族の中で分断が起きていることは珍しくない。ただし、この分断は外側(信仰を共有しない人)からは見えないことになっている。 「分断」というとちょっと大げさかもしれない。 家庭内における政治的な立場とは反対に、父親と母親(あるいは夫と妻)が別々の信仰を持っている、というのは別に珍しくない。夫婦が同じ信仰でなくてはならないので相手に改宗を求める、という教義でなければ、特に問題にはならない。 普通は「2人ともクリスチャンだが宗派が違う」くらいの違いだが、国際結婚では一方はクリスチャンでもう一方は非クリスチャンというのはよくある話である。 ただ、教義で配偶者に改宗を迫ることはなくても、異なる相手との結婚で結果的に自分の信仰とある程度距離をおくことになるということはある。 たとえば家族宗教という色合いの強いカトリックにおいては、異なる信仰を持つ相手との結婚は、その人がもともと熱心な信者ではないか、相手と生活を共にするのを機にある程度教会と距離をおくことになるということを意味していることが多い。 エルパソはメキシコと国境を接するアメリカの街だ。おそらく信仰についてアンケートを採ればカトリックの数が多いのではないかと思うが、実際に勢いがあるのはプロテスタントの原理主義的な宗派だった。 家庭において政治的立場が一枚岩であるのに対し、信仰はモザイクのように様々なものの組み合わせである。 そこから「アメリカ人(その一般的な傾向)」について推測できるのは、彼らが、 1. 国内の政治を家庭の問題(特に家庭の経済の問題)と直結した問題だと捉えており、その観点から家族(選挙に参加できる年齢に達した家族)が政治的立場を一つにすることができる、あるいは、状況的にそうならざるをえないということ 2. それに対し、信仰はあくまで個人の内面の問題であり、たとえ家族というごく近しい間柄でも原則としては立ち入らないのが望ましいと考えている ということだ。 以前、テネシー州に住んでいた時、知人のアメリカ人(50代半ばの独身女性。東海岸の出身だが、テネシー州に引っ越してきてもう何十年にもなる)に英語の個人教授をお願いしていたのだが、ある時、公立の施設でESOLの講師をしている共通の知人の話になった。私はそのESOLのクラスに通っていて、そこで個人教授の彼女と知り合ったのだった。彼女はその人について、 「彼女は講義の時間にキリスト教への信仰を勧める発言をするがあれはよくないと思う」 と言った。 「彼女のことは好きだし、私自身もクリスチャンなんだけど、あれは適切ではない」と彼女が言うので、私は「差し支えなければあなたがどの宗派を信仰しているか教えてもらえない?」と訊ねたのだが、 「それについては答えられない。私は信仰をごく個人的なものだと考えていて、それを他の人と共有する気はない」 という答えが返ってきたのだった。 2012年 01月 20日
母が自己満足のためだけの余計なお節介を仕掛けてくるたびに、「私が一番必要だった時に一番必要な助力をできなかったくせに」という黒々とした憎しみが湧いてくる。
認めたくない感情だが、それを認めないことには先に進めないのだろう。 「私が助力を一番必要としていた」のは原発事故の後だ。私は子どもたちを連れて広島の実家に避難したが、2週間そこそこで母に追い出されるようにしてこっちに戻ってきた。 「たぶん、それは本当の原因ではない。きっかけにすぎない」 「あの時は夫も私たちが広島にとどまることは現実的ではないと判断した」 「とどまらなかったのは結局私の判断だ。夫は最終的な決断を私に任せていたし、もし、私自身が本当に広島にとどまるべきだと思えば、母の状態を我慢すべきだった。あるいは、実家にいる必要はないのだからアパートを借りるなりすればよかったのだ」 頭の中で自分にそう言い聞かせる声がある。でも、その声を自分のものにしようとすればするほど、憎しみが深くなるのも避けがたいことだ。 「好き」も「嫌い」も愛情も憎しみも全て自分の外にはなく自分の中にある、という閉塞感が今の私にはある。それに耐えられずに自分の外に憎しみの対象を求めているのだろうか。 その憎しみを捨てたら私は何者になるのだろう。それは私だろうか。 まあ別に「私」が「私」じゃなくなっても「私」は構わないのだが。 津波の被災者の中に幽霊に悩まされる人が出てきた、というニュースを聞いた。 子どもはよくそういうものを見る。子どもの場合は家の中で見ることが多いのじゃないかと何となく勝手に思っているが、これはうちの子どもたちがそうだからというだけのことかもしれない。 だから「いる/いない」という話は別として、大人がそういうものを見たとしても不思議はないと思う。子どもにそれが見えるということは、人間にはどこかしらそういうものを見る回路があるのだろう。 原発事故の後で子どもたちを連れて広島まで車を運転している間、ラジオで「逃げたくてもガソリンがなくて逃げられないんです」という被災者の悲鳴に近い声を聞きながら、「ああ、私はこの人たちを置いて逃げるんだ」と思った。人の命を踏みつけにした感触みたいなものがあった。 (私は「この人たち」の中に関東圏で暮らす友人知人たちを知らず知らずのうちに含めていたようだ。大学時代からずっと東京やその近辺で暮らしてきたから、私の友人知人のほとんどは関東圏にいる。) その話を夫にしたら、「それは違う。ガソリンはある。流通がうまくいっていないだけだ」と私に諭した。(夫は当時米国出張中で、飛行機が飛ばなかったので帰国の目処が立ってなかった) 確かに私の感じたことは論理的に考えれば阿呆らしいことなのだろう。でも私には確かにその感触があった。 それこそまるで「幽霊を見た人」みたいである。自分には確かに見えるのに他の人には見えない。 自分には「人の命を踏みつけにした感触」があった。人の命を踏みつけにしてまで避難したのは子どもたちを守るためだった。 しかし2週間かそこらで挫折する。自分の母親との折り合いが悪くて追い出されすごすごと帰ってきたのだ。 「そこまでしたのに子どもたちを守れなかった」という絶望感は今でも時々私の中に蘇る。「人の命を踏みつけにしたこと」と「子どもを守ろうとしたこと」と「それに失敗したこと」は私の中では繋がりのある一連のできごとである。 いまだに「広島にとどまらないでこちらで暮らす」という自分の決断に自信が持てない。そして「向こうで踏ん張れなかった自分」を時々嫌悪しながら暮らしている。 しかし、どれほど何に絶望しようとも今の私は自分の人生を諦めるわけにはいかない。 私を絶望させる「幽霊」は他の人には見えない。私にはむしろその方がいいのだ。特に子どもたちには見せたくない。 それは私の中にこの上もなく憂鬱な姿で存在している。でも、別に攻撃を仕掛けてくるわけではない。うっかり近づくと吸い込まれてしまうかもしれないが、基本的にはただそこにいるだけである。 しかもその「幽霊」は私の顔をしている。というより私そのものなのだろう。 2012年 01月 18日
私はジェレミー・レナーとゾーイー・デシャネルのファンである。(日本では「ズーイー・デシャネル」と表記するのが一般的なようだが、彼女の名前が『フラニーとゾーイー』に因んでいると聞いたので、「ゾーイー・デシャネル」という表記に少し拘りたいと思う。)
前者は男性で、後者は女性。この2人に対して私がどのような感情を抱いているか、そこに決定的な違いがあることに気がついた。その違いについて考えてみて、つまりはこういうことなのではないかと思った。 私が「誰かのファンである」時、その対象が女性なら、私自身も女性であり異性愛者であるにも関わらず、対象を見る目はわりと男性目線になる。しかし、完全に男性目線なわけではない。 対象の女性に自分が持たないものを求めているのだ。私は女性である。だからこそ既に自分が「その対象にはなれない」ということをこれまでの人生から学び、諦めてしまっている。私は私以外の女性になることはできない。そしてもはやそっちの方向に目指すべき「何か」はないのだ。だから目線は違う方向に向かう。それも自分と重なるところができるだけ少ない方向、できるだけ正反対の方向を。 現実の人生においては、私は「自分が持たざる部分」を異性に求める傾向がある。おそらく、現実の人生において、「自分が持たざる部分」を持った女性はコンプレックスの対象になるのだろう。しかし、自分と接点のない遠い世界でならそれを同性に見出すことができる。 それに対し、その「対象」が男性である場合、「もし私が男性だったら」というワンクッションが入る。そこになぜワンクッションが入るのかはわからない。普通は入らないのではないか。女性に関して自分自身であること以外の可能性が閉ざされているからだろうか。 その理由が何であるにせよ、自分にそのワンクッションが入ることによって、対象はひょっとしたら実現したかもしれない可能性となる。対象が女性である場合は閉ざされた可能性であるのに対し、男性である場合にはその可能性が開かれているのだ。それは、結果的に「自分がこうありたいと思う姿」となる。 対象が女性である時は自分とはタイプが正反対だが、男性である時は方向が同じなのである。 現実の人生における好みとファンとしての好みが捻れつつ結びついているというか、ちょうど反転しているかたちになっている。現実の人生における好みとファンとしての好みがどうして単純に同性どうしの対応として結びついていないのかは、やはり理由がわからない。他の人はどうなんだろう? (あと、対象が日本人である場合、ひょっとしたら私の中でも現実の人生の好みがそのままファンとしての好みに反映されるのではないか、という可能性もふと思いついたのだが、男性にせよ女性にせよ日本人でそういう人がいないので現時点では確認できない。) (それとも、日本人が対象にならない、ということにまた何か別のものが潜んでいるのだろうか。) (確かに日本人が対象になったことはほとんどない。しかし、「誰かのファンになる」こと自体めったにないことなので、これについても現時点では何とも言えない。) ちなみに私が一番好きなゾーイー・デシャネルは『(500)日のサマー』。ジェレミー・レナーは『ジェフリー・ダーマー』だ。 2012年 01月 02日
ここのところ、カントリー・ミュージックばかり聞いていた。
でも私が「カントリー・ミュージックのファンだ」と公言することはない。特にアメリカ人には決して言わない。あれは「アメリカ白人の、アメリカ白人による、アメリカ白人のための」音楽だからだ。 私が聴いているのはここ数年のうちに流行った新しい曲ばかりである。中には「これがカントリー・ミュージック?」と思うようなものも少なくない。 カントリー・ソングの特徴として、「必ず伴奏がついている」「伴奏には必ず弦楽器が入っている」「弦楽器の中にヴァイオリンが入っていることが多い」というのがある。ヴァイオリンはその昔、西部開拓時代にヨーロッパから入って来た開拓民にとって重要な楽器であった。『大草原の小さな家』シリーズで、チャールズ(「とうさん」)が厳しい生活の中で自分の一部のように携えていた楽器でもあった。彼はそれを親しい人たちが集まる時に決まって奏で、音楽に合わせてみんなで歌い踊った。 しかし、カントリー・ミュージックのもっと本質的な特徴は、それが「白人による音楽」であるということである。音を聴いて、それがどれほど、レゲエっぽくてもソウルっぽくても歌っているのはみな白人だ。これがポップス調になるといよいよ判別しにくくなるが、カントリー・ミュージックというのはデビューの仕方や何かが特殊なので、最終的にはそこで判断することになる。 私はカントリー・ミュージックのファンではない。 私が時々(半年に一度くらいの頻度で)狂ったようにカントリーばかり聴いているのはアメリカ生活に対するホームシックのためである。(そして、それは日本に対する堪え難いカウンター・カルチャーショックの裏返しでもある。) それがここ数日、ようやく和らいできた。 それがわかったのもやはり自分が聴いている音楽の微妙な変化からだった。 カントリーの合間にEels(1995年にMark Oliver Everettが結成したアメリカのバンド。ジャンルとしてはオルタナティブ・ロック)(参照)が入り始めた。その割合はだんだん増してきている。 カントリー・ミュージックはどんな人生のどん詰まりを描いていても、その世界の基盤にはポジティブな希望がある。 Eelsの"Mr. E's Beautiful Blues"にはある晴れた日の情景が描かれているが、どれほどそれが晴れわたった美しい日を謳っていても、そこには常に「自分に中にある埋められない穴(欠落)」への意識が影のようにぴったりと寄り添っている。 (「音楽の1ジャンルであるカントリー」と「1アーティストであるEelsの、それもある限られた時期の作品群」とを対比の仕方させるのは、音楽の一般論としてはどうかと思うが、ここはあくまで私の個人的な経験に基づいた見方ということで勘弁してください。) 「ポジティブな希望を基盤にした世界」と「自分という世界を根底から揺るがしかねないどうしようもない欠落を抱えていることを常に意識した不安定な世界」は互いに相入れない。2つは同時に成り立つことはできない。 が、ある一人の人間の中で2つの世界が代わる代わる現れることは普通にある。 「ポジティブな希望を基盤にした世界」は、それを一見(あるいは一聴)した時の輝かしさ、確かさに反して、非常に厳しい世界である。たとえば、誰かがどれほど進んでも先が見えないような状況にある時に、希望の確かさを語ることは残酷なことである。しかし、その世界に属している限りはその希望に異を唱えることはできない。たとえそこに希望がなくても希望は体現されなくてはならない。 「自分の中の致命的な欠落を常に意識した世界」の人生は、あわよくば自分を飲み込もうとする穴との戦いであり、共存である。 そこに希望があろうとなかろうと、私は踏みとどまるために戦わねばならないし、えてして希望は虚ろな張り子の虎である。 しかし、希望に頼らない世界はそれなりに優しい。 つまり、どちらの世界も同じくらい厳しく、同じくらい優しい。 2011年 12月 18日
塾の講師に告白された友人がいた。
中高一貫教育の女子校に通っていたので、それが中学生の時だったのか、高校の時だったのかわからない。 その同じ子から、通りすがりのおじさんに、「チョコレート一枚あげるから、前屈してくれない?」と言われた、という話を聞いたこともある。 塾講師の話を聞いた時、「絶対やめとき」みたいなことは言ったと思うが、私も彼女が求める友情の重さに逃げたクチなので、あまり偉そうなことは言えなかったはずだ。 大学に進学してしばらくしてから風の便りで、どこかの社長さんに囲われているという噂を聞いた。ちょうどその頃だったか、彼女のお母さんに偶然会った私の母が(たぶんごく気軽な挨拶のつもりで)彼女の近況を訪ねたら、「さあ。私はあの子のことはよく知らないんです」と返ってきてたまげたらしい。「私、あの子のことはあまり興味がないから」だったか、「あの子のことはあまり好きではないから」だったか。彼女は確かに昔から両親のことを憎んでいた。姉が一人いて、彼女については憎むまではいかなかったとは思うが、やはり嫌っていた。嫌う、というより、軽蔑していたのだと思う。 彼女のこともそうだけど、拒食症で学校やめちゃった子とか、今思い出すと、「ああ、あの頃って自分のことばっかりで、彼女たちのことを救えなかったな」という後悔が沸き起こる。おこがましい話なんだけれども。 つまりは、そうやって思い出している今の私が大人の視点で彼女たちを見ているということなのだろう。思い出している私は大人だが、彼女たちは私の記憶の中でいつまでも少女のままである。 同時にそれは、「私は自分自身のことはちゃんと救えたのだ」という土台に立った視点である。 2011年 12月 02日
娘6歳「お母さん……日本もアメリカみたいにGodが作ったの?」
私「そうねえ……そうだってことになってるよねえ」 「でもAちゃん(幼稚園の友達、元クラスメイト)にそう言ったら「知らない」って言ってた」 「そうねえ、Godを知らない人もいるしねえ。それに、そうじゃないって考えてる人もいる」 「男の子たちはそういうこと言うと怒るしねえ。Nちゃん(クラスメイトの女の子)も怒る」と娘。 「あのね……「そうじゃないって考えてる人」は○○(娘の名前)が言うことを聞いて怒るかもしれない。あなたが言っていることは、その人がそう考えてることは間違ってる、という風に聞こえるかもしれないからね。そんな風に言われたら腹が立つようなことなのよ、それは」 あなたがそう考えてることは悪いことじゃないの。むしろ、いいことなの。それはあなたにとってはとても大事なことなのよ。 でも、他の人がそのことについて別の考えを持っていたとしても、それもその人にとっては同じようにとても大事なことだからね。 なんて言ったらいいかなあ……そう、お母さんがいつもね、「大事なもの(おもちゃ)を○○が友達に見せたいと思う気持ちはわかるけど、それが本当に大事なものならきちんとしまっておきなさい」って言うでしょ、あれと似てる。 うーん……ほんとになんて言ったらいいかなあ。おまたとおっぱいは他の人に見せたり触らせたりしちゃだめだよね?でも、おまたやおっぱいは別に悪いものじゃないでしょ?むしろ、とても大事なものだよね。だから大切にしなきゃいけない。それと同じこと。 「でも、プール(娘の幼稚園では週一回水泳の授業がある)で着替える時は他の人に見せてるよ」 「そうね、必要があったら見せるよね。でも、その必要がないのにむやみに見せるのはダメでしょ?」 ○○がさっき言ったこともそうなの。あなたがどうしても話したいと思えば、それは話す必要がある。でも、誰に言うか、どんな時に言うかはちゃんと考えなくちゃいけない。誰に言うべきでないか、どんな時に話すべきでないか、ということも。 例えば、あなたがAちゃんにどうしても話したいと思えば、それは別にいいかもしれない。 いったん話を終えた後、しばらくたってから私は娘に話しかけた。 「あのね、さっきの話だけどさ、○○がどうしても誰かにその話をしたいと思って、自分できちんと考えて、それでいいと思えば、別に話してもいいんだ。 あなたはもうそろそろそういうこと自分で考えられるようになってきてる。 だから、自分でよく考えてやっぱりその人に話したいと思えば、話しなさい。それでいい。 ただ、それはあなたにとって本当に大事なことなんだということだけは覚えておいて」 2011年 11月 28日
朝食後。娘6歳が「△△(彼女の弟のこと)がそばにいるとイライラする」と言う。
さて、どうしたものか。 放っておくという手もある。 歯磨きを終えた娘を呼んだ。 「あのねえ、昨日、○○(娘のこと)が学習発表会の練習の時に、真面目にやらない子が何人かいて、それが好きじゃなかった、って言ってたでしょ?」 そりゃ、そうだ。○○は真面目にやってたんだよね。真面目にやってる子からすると面白くない。 ……でもさ、学習発表会っていうのはやることが決まってて、それはみんなでやりましょうってことになってるよね?真面目にやってる子もそうでない子も一緒に。 真面目にやる子たちだけでやってた方が、真面目にやらない子と一緒にやる時よりきちんと見えるしずっときれいにできるかもしれない。でも真面目にやらない子も一緒にやらなきゃ意味がないんだよね?いろんな子がいるから、ものすごく上手にはできないかもしれないけど、それでも、少しでも上手にみんなでできるように何回も何回も練習したんでしょ? 幼稚園もそうだけど、これから○○が学校に行くようになってもみんなでいろんなことをやんなきゃいけない。学校にはいろんな子がいる。あなたが好きな子もいれば、あんまり好きになれない子もいる。嫌いな子だっているかもしれない。ひょっとしたら、あなたのことが嫌いで意地悪する子だっているかもしれない。 好きな人とだけ一緒にやってられたらいいと思うかもしれない。でも、そういうわけにはいかないのよ。大人になったら、もっとそうなの。いろんな人がいて、その人たちと一緒にやらなきゃいけないことがある。そういう時、やらなきゃいけないことをできるだけ楽しくやるためには工夫がいるの。いろんな工夫がいる。楽しいだけだったらいいと思うかもしれないけど、そういうことってまずないのよ。そういう風にできてない。 学校で勉強することで一番大事なのはそういうことなの。みんなで何かをやる時の練習。それは長いこと練習しないと身につかないの。 学校で算数や字の書き方なんかを勉強するのももちろん、大事なことだけどね。本当にやるのがそういうことだけなら実は学校でやる必要ないのよ。そういうことは1人でもできるんだから。 「でさ、家でも実は一緒なの」 ○○は今、△△が嫌なんでしょ?いつも嫌なわけじゃないけど、嫌なこともある。それはお母さんも一緒。お母さんも時々、「1人になりたい!」って叫んでるでしょ。お父さんだってそう。お父さんは口に出しては言わないかもしれないけど、明らかに1人になりたがってる時があるよね。 だから○○が△△のことを時々嫌になっちゃうのはわかる。 でもさ、お母さんが「1人になりたーい!」といくら叫んだところで、そうはならないよね。お母さんはね、1人で暮らそうと思えばできないことはない。お父さんだってそう。でも、お父さんもお母さんも1人では暮らさない。 それに、○○はまだ1人ではやっていけないよね。自分のことがようやくできるようになって、でも、自分でお金が稼げるわけではない。その前に、やることがいっぱいあるし、そのためには何年も何年も時間がかかる。 お父さんとお母さんと○○と△△は、お父さんとお母さんと○○と△△、みんなで一緒に暮らすことになってる。一緒に暮らすことにして、そうしたら、そのためにはどうしたらいいか、考えながらやっていかなきゃいけないの。時々嫌になっちゃうこともある。それでも楽しくやっていこうと思ったら工夫がいるのよ。 みんなで一緒にやっていくっていうのはそういうことなの。 集団生活の意義。 自分が決してうまくやれているわけではない分野について子どもに諭す時のこの複雑な気持ち。 2011年 11月 15日
このブログの過去記事は、数ヶ月前のある決断を経て非公開にしていましたが、非公開にすると自分自身の記事を検索できないという不便さに負けて再び公開することにしました。
家族について書かれた記事(特に子どもについて書いたもの)については、今後再び勝手に非公開にすることがあるかもしれませんが、あくまで個別の記事に対しての対応になると思います。 2011年 10月 24日
私の実家では長いこと白文鳥を飼っていた。 ヒナで買って育てる。最初のうちは、無精卵を詰まらせたり、カゴから出している間に父がうっかり下敷きにしたりして、せいぜい1~3年で死んでしまったが、長いものでは8年くらい生きた。 飼ってみるとよくわかるが、文鳥はびっくりするほど情が深い。かなり知能の高い動物だと思う。
ペットショップで取り扱う鳥には近親交配が起こっていることが多いと聞く。 そのせいだろうか、ある時買った白文鳥は片方の足が生まれつき麻痺して曲がっていて、片足しか使えなかった。障害があって思うように動けないからなのか、人間に対する不信感が強く、長い間、家族の誰にも懐かなかった。 それが、ある時、妙齢の従姉がうちに来てから、態度を一変させる。初対面の従姉にべったり懐き、後ろをついて回る。文鳥はオスだった。 従姉が帰った後、彼は突如として「うちにも女の子がいる」という事実に気がついたようだった。当時私は確か中学生。 文鳥はよく私に懐き、それをきっかけにして他の家族にも心を許すようになった。 残念なことにその文鳥はそれほど長くは生きなかった。多分、生まれつき持っていた障害は足だけにとどまらなかったのだろう。そう思わせるような突然の死だった。 その次に飼った文鳥もオスである。メスは繁殖可能な年齢になると卵を詰まらせて死ぬことが多かったのでオスを選ぶことにしていたのだ。 これは最初から私によく懐いた。人間に育てられ、他の文鳥を知らないので、自分を人間だと思っていたようだ。よく求愛された。「ぴちょん、ぴちょん」と鳴きながらダンスを踊る。 私が大学に入学して家を離れた後、一週間飲まず食わずで巣に引き篭もっていたそうだ。しかし、一週間で気が済んだのか、その後は元気になったらしい。確かこれが一番長生きしたはずである。 文鳥は「ちょん、ちょん」と鳴く。これは、スズメの「ちゅん、ちゅん」という鳴き声を聞くと余計にそう聞こえる。だから、うちの白文鳥は代々「ちょんべえ」と名付けられていた。 小学校3年生の時、作文でちょんべえのことを書いたら、担任の先生から母に「ちょんべえという名前はちょっと…(差し障りがある)」という話があったそうだ。 しかし、文鳥は改名されることもなく、その後の文鳥たちも代々(相変わらず)「ちょんべえ」と名付けられた。 変わったことはといえば、私が自分の家で飼っている文鳥のことを作文に書かなくなったことくらいである。 2011年 10月 09日
「気づいてらっしゃらないんですね。お宅、もう何十回も泥棒に入られてますよ」
「ぼくの声に聞き覚えはありませんか」 私は適当な相槌を打ちつつひとしきり相手の話を聞いてから、ああ、でも私の周囲の音でこちらの情報が伝わってはまずいなと思って唐突に電話を切った。何しろ、いたずら電話だからそもそも向こうの方が無礼なわけで、こちらがいきなり電話を切ったからと言って無礼には当たらないだろう。もしかしていたずら電話ではないかもしれないけど。あるいは、家や個人にセキュリティーに関するサービスを提供する資本主義的な活動の一環なのかもしれないけれど。いずれにせよ、まず相手が無礼なのには変わりはなかった。 そういう電話がかかってきて、私はそれを単なるいたずら電話だと判断した。もちろん、それが単なるいたずら電話だったとして、全く不安を感じないわけでも、それに怒りを感じないわけでもない。しかし、もしあの電話の内容が性的な妄想であったら、私はそれを理不尽な暴力だと思い、もっと激昂しただろう。 実際には、電話の内容は「世間を回り回ってきた誰かの不安」だった。それは他の誰かのものだったかもしれないし、私自身のものかもしれなかった。日常的に大小様々な不安を抱える私はたまたまその不安を通り過ぎてしまっていて、私は自分の中ですでに処理が終わっている不安をいったん受け取ってゴミ箱に捨てただけだった。
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