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2009年 03月 31日
1.「なんで?」はhowなのかwhyなのか?
娘に、 「どうして(そんなことをしたの)?」 「なんで(こうなったの)?」 と理由(why)を尋ねると、たいてい、 「鉛筆でこうしてこうしてやったの」 「水でぴゃっ、ぴゃっとやったの」 とhowに対する答えが返ってくる。 「いや、お母さんはね、どうやってやったかって聞いてるんじゃなくて・・・・・・」 てっきり、「ああ、whyとhowを混同しているんだな」と思っていたのだが、ある時、ふと、「そうじゃないんじゃないか?」と思ったのだ。 私が『なんで』を使うときは自分では理由を尋ねていると思っている。しかし、多くの場合、その時私が求めている答えは実際にはwhyの答えじゃなくてhowの答えにすぎないのではないか?(*1) たまたま娘に尋ねる時がそうじゃない(=whyの答えを求めている)だけで。 つまり、混同しているのは娘の方ではなくて私の方ではないか? 今、具体例を思いつかないのでそれはまた今度、ということにする(*2)。 2.「見えた」のは間違いではない 今朝、娘の耳に何かついているように見えた。昨日耳垢取りの薬を入れてやった時の脱脂綿がまだ残っているのかと思い、「綿が見えてるよ。取ってあげようか?」というと、 「ついてないよ。(お母さんに)見えてないよ」 と言う。私の見間違いだったらしい。 「見えてないよ」というのにちょっと違和感があった。確かに見間違いだったから自分がどうして違和感を感じたのだろうと考えてみた。 それは多分、「見た」と思った本人にはその時には「見えていた」からで、その事実は否定できないから(=「見えてない」という指摘はその事実を否定するものだから違和感を感じる)だろう。 大人どうしの会話でそういう指摘(「見えてないよ」)がされることはまずないのは、多かれ少なかれみんなどこかでそういう経験(見えてないものが確かに見えた)をしてきたからなのだろう。 *1: whyの答えが理由であるのに対して、howの答えを原因ということでまとめてしまっていいのかどうかはよくわからない。線をぴっちり引くようにははっきりわけるとはできないのだろうし。 英語でも「どうしてだ?」に当たる表現にhowを用いることはあるようで、"To Kill a Mocking Bird"(邦題:『アラバマ物語』)の原作に、 "How was that?" という表現が登場する。これは前後のやり取りから考えて「どうしてだ?」と解釈してよさそうだ。whyを使った時とニュアンスの違いがあるのかどうかよくわからない。 *2: 河合隼雄がよく用いる説明がわかりやすい。しかしこれもちょうどいい部分をぱっと引用できないので、だいたいのところを要約すると、 「臨床心理士の元を訪れるクライアントは(それを意識しているにせよそうでないにせよ)howの答えではなくてwhyの答えを求めている人たちである。 例えば結婚式の前日に事故で婚約者を亡くした人は『何故あの人は亡くなったのですか?』と問う。これに医者は『出血多量で・・・・・・』などとhowの問いに対する答えで説明するがそれではクライアントは納得できない。彼/彼女が本当に知りたいのは『なぜこのようなことが自分に起こったのか?』というwhyの問いに対する答えである」
by liyehuku
| 2009-03-31 05:51
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