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2010年 09月 05日
"The Unusuals"
制作はABC。2009年4月に放送が開始されたものの1シーズンで放送が打ち切られた。 NYPD殺人課の刑事たちの生活を描いた刑事ドラマ。コメディとまではいかないがコメディタッチのドラマで、事件よりは刑事たちの人となりに焦点が当てられている。 amazon.comのレビューを読むと、放送打ち切りの原因は視聴率の低さにあると見られているようだ。確かにそれもしょうがないと思う点もある。アマゾンのレビュアーの中にも触れている人がいたが、「第1回のエピソードにあまりに多くの登場人物とドラマの主要な要素(伏線)を詰め込みすぎた(その結果、視聴者の中にはこのドラマを何だかバカバカしいものに感じた人もいるかもしれない)」(参照)のが主な理由だろうと思う。IMDbのレビューに「lameなドラマ」と辛口の評を寄せている人がいるが多分そのせいだろう。(lameというのは「説明が不十分な、まずい」という意味で使われているようだ。)私も「主要な登場人物がたくさんいる上にその誰にも同じようにスポットライトを当てようとしたせいで、最初の2、3回くらいまではとっちらかってうまく収拾できていない」という感じを受けた。 しかし、回を追うごとにだんだんと面白くなり、結果的に最終回となってしまった第10回が終わる頃には「もっと続きが観たい」と思うように。(アマゾンのレビューにも打ち切りを惜しむ声が圧倒的に多く、その中には打ち切りを決めたABCやひいてはテレビ業界全体をこき下ろしている人がいたり、視聴者の質の低下を嘆いている人すらいる。) 打ち切られたので、ドラマの主要な要素であるにも関わらずほったらかしのままにされた伏線がいくつかある。 いちおう主役はアンバー・タンブリンが演じるお嬢様刑事。ジェレミー・レナーはその相棒で、珍しくかっこいい(強いが情に厚く、皆に慕われている)役を演じている。彼らを始めとする3組の殺人課の刑事たちとそれを統率する課長が物語を引っ張る主要な登場人物である。 ジェレミー・レナーは『ハート・ロッカー』以来、大作への出演が相次いでおり、もし仮に番組が続いていたとしても続投は難しかったかもしれない。ひょっとしたらそのあたりも番組の打ち切りの原因になったのかもしれない、と憶測。 "Take" 「何だか頭で考えた映画だなあ」と思いながら観ていたら、最後に社会問題を提起するテロップが出て「やっぱりそうか」と思った。「頭で考えただけの映画」なので心に訴えかけてくるものがない。 その社会問題ありきのいわばワンアイデア映画。そのためにサスペンス的な要素をあえてなくしているようにも見える。例えば、映画が始まってすぐにこの映画で誰が死んでしまうのかはわかってしまう。観る者に働きかける謎の要素が残されていない物語はわかりきった結末に向けて収束していくだけだ。 いや、別に「サスペンスの要素をあえてなくしてドラマであることを強調する」こと自体は悪いことではない。問題は、作り手が登場人物の心の動きまでも「こうだからこうなって・・・・・・」と段取り的に語ってしまい、俳優の演技にそれを語らせることを邪魔していることなのだろう。(結果的に俳優の演技を殺してしまっている。) 何というか映画全体が説明的なのだ。amazon.comのレビューに"Intense, gorgeously made film "という評があったが、私にはむしろ冗長な感じがした。 というわけで話の流れは単純なのだが、それだけにつじつま合わせのような部分が目立ってしまう、というのもまずい。 <以下ネタバレ有り> 例えばサウルの死刑。確かに彼によって2人の人間が死んでいる。そういう意味では「2人殺せば死刑の可能性はある」という法による量刑の一般的な傾向には沿っているのかもしれないが、「殺された(=The were killed by him)」ということは言えても、「殺人(=murder)」を成立させるには弱いような気がする。一番重く見ても、強盗、第二級殺人、誘拐、過失致死のそれぞれの量刑が加算されて、2百数十年だか3百数十年の実刑(実質的には終身刑)というところなのではないか。映画を成立させるために「2人殺せば死刑になる可能性がある」という理屈がこじつけられているように見え、話全体を現実味のないものにしている。 アマゾンのレビューには他に、"Amaazingly insightful movie"というものもあったが、あんな説明的な描写で描ききれるような薄っぺらいものが本当にinsightと呼べるものなのかどうか私には疑わしい。 この映画のテーマを「赦し」とみる人もいるが、たとえそうだとしてもそれすらも薄っぺらにみえてしまう。そもそも作り手が「赦し」と「この映画が提起したかった社会問題」のどちらに重心を置きたかったのかよくわからない。いずれにせよ、どちらかがどちらかにこじつけられているようにしか見えないのだ。どちらかといえば、「赦し」という重い課題(人間にとってより根源的な問い)が、「ある社会問題」というより表層的なテーマにこじつけられた、単なるきれいごとのように見える。 この映画が提起したかった社会問題とは、「犯罪の被害者と加害者が面会することで再犯率を抑えることができる(だから、現在、認められていない被害者と加害者の面会を認めるようにするべきだ)」ということ。 "12 and Holding" ここでも、放火で亡くなった少年の双子の兄弟に対して、友人の少女が「問題に直面するべきだ。加害者と面会して問題(事件で受けた傷)を乗り越えるべき」というアドバイスするシーンがある。ただし、それはこの映画のテーマではなく、伏線の一つに過ぎない。少女のアドバイスは母親の受け売り。彼女の母は精神分析医で、日頃から娘にも仕事に用いている手法そのまんまに接しているようなところがある。 amazon.comのレビューで、「悲しい話。映画としてはよい映画なのかもしれないが、話が悲しすぎて二度とは観ないと思う」と言っている人がいたが、確かに悲しい話ではある。ただ、私にとっては後味の悪い映画ではなかった。 この映画の終わり方にあまり閉塞感を感じなかったからだと思う。映画の中でも"Life is going on"という台詞があったが、"They are moving on"というか「残された彼ら(12歳の子どもたち)の人生は映画が終わった後もそれぞれ続いていくのだ」ということがしっかり感じられる終わり方だった。きっと彼らに限らず、生きている限り誰もが成長する過程で引き受けた何か(「その時」に自分がとった行動。映画の中では「12歳の時」)を抱え続け、いつか何らかの形で清算する(ツケを払う)ことになるのだろう。でもそれは同時にその人の成果でもあるのだろうと思う。 シリアスな話であるにもかかわらず、そこかしこにユーモラスな感じが漂う、不思議な映画だった。この監督の別の作品("L.I.E.")も観てみたい。
by liyehuku
| 2010-09-05 09:07
| Movie/TV
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