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2010年 10月 14日
新しい生活に必要なものを買うために休日ごとにホームセンター回りをしている。
とはいえ、荷物のほとんどは船便で送ったのでまだ届いていない。多分今頃は太平洋上のどこか。 それが全部届いたら今住んでいるアパートの中は荷物で溢れかえることになるから、今足りないものをどんどん買うわけにはいかない。今は不便でも船便で届くまでなしで何とかしのげないかと頭を悩ませる。なるべく買わないようにするのだがやっぱり不便なので未練がましく何度も見に行くことになる。 ホームセンターのペットコーナーに張り付いていた娘が水草の入った小さなビニール袋を持ってくる。魚が買いたいのだと訴えるがきちんと面倒が見られるかどうかわからないのでダメだと答える。 「水草を買ってそれがちゃんと面倒が見られたらまた考えよう」 と言い、水草を育てるために容器にするバケツと底に敷く砂を一緒に買う。 案の定、家に持ち帰っても娘は自分では面倒を見ない。先に私が手を出してしまったからということもあるが、どうもそれが当然だとそもそも思っている節がある。 次の週末、ホームセンターに行ったついでにまたガーデニング・ペットコーナーに寄ってもらう。 娘はまた猫だか犬だかが買いたいと言っている。 「あの子どもの犬は小さな子どもの言うことでもよく聞くんだと思う。よく言うことを聞く子どもの犬なら子どもが連れて散歩することもできるよ。ちゃんと面倒が見られる」 などとなかなか込み入った説得をするが、私の目的は別にあった。 ガーデニングのコーナーにあつらえ向きの鉢を見つける。睡蓮や何かを植えるのに水が溜められるようになっているものだ。陶製で高さ30~40cm、直径40~50cmはありそうな大きなものである。 中学2年生の時だったか、国語の教科書でコンラート・ローレンツの「アクアリウム」という文章(『ソロモンの指環』のうちの1章)を読んでから、大学進学で上京するまで、そこに書かれた通りのやり方で魚を飼うことに熱中していた時期がある。 高校3年の夏、網を持っていそいそと家のそばに通う娘に母は、 「もうやめてくれ。風が悪い(外聞が悪い)」 と嘆いた。 実はローレンツの「アクアリウム」の本質は魚を飼うことではなく、水槽の中で完結した自分の身近な自然に近い小さな生態系を作ることにある。だから水のろ過装置や水温を調節したりする器具が必要ない。 私は過去の経験から、魚を飼う場合、水槽の方が横のどの角度からも中が見られて人間には好都合なのだが魚には落ち着かないこと、なるべく身近な自然に近い生態系を作り出すアクアリウムの場合にはどうしても壁面に藻が発生するし、生態系の一部であるはずの藻を除去するのも変な話だし、ということは水槽を使うメリットがないということを知っているので「睡蓮の鉢」にこだわっていたのである。それも将来的な拡張(複数の魚を加えること)を考えてなるべく大きいものを。 夫は呆れていたが私が頼み込むのに特に反対する気もないようだった。 鉢の他に、前に娘が選んで買ったのとは別の水草を1つ、それに底に敷く砂を少し買い足して家に帰った。 翌朝、子どもたちが起きるより前に起き、仕事に出かける夫に朝食を用意するより何より真っ先にやったのは、鉢に水を張り砂を敷き水草を植えることだった。
by liyehuku
| 2010-10-14 23:24
| Diary
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