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2010年 11月 27日
メモ
昨晩遅く、教育テレビで『ビリーバー』という舞台劇が放映されており、本編が始まる前の出演者のインタビューだけたまたま見た。 主演俳優である勝村政信さんが、作品を紹介するにあたって、 「この世の中で何が正しいかということはわからない(決まっていない)。何が間違っているかということもわからない(決まっていない)」 というような意味のこと話していた。 でも、おそらく意外に多くの人が自分の中に「何が正しくて何が間違っているか」という基準を持っている。 特に外国に行けば特定の宗教を信仰している人が多く、同じ信仰を持つ人の間では-つまりかなり広い範囲で-そういう基準が共有されていることも多い。 多分そういう相手と話をするには、 「何が正しくて何が間違っているかはきちんと決まっている」 ということを立脚点にしないと対話が始まらないのだろうな、と思う。 「決まっていない」という人と「決まっている」という人の対話に接点を見出すことは一見不可能のようにも見える。それは確かにとても難しいことだと思うが、決まっている人たちにしてもそうむやみやたらに「正しいこと」を押し付けあって息苦しく生きているわけではない。そこにはそれなりの知恵があって、それがひょっとしたら接点につながるのではないかと思う。 彼らの間では、何が正しくて何が間違っているかはきちんと決まっている。 ただし、何か行動をとらねばならない時、その人がそれと照らし合わせてどんな行動をとるかは与えられた状況下の一瞬の判断にかかっている。その時、ひょっとしたら間違っていることを選択するかもしれない。それは本当にケースバイケースで一般化できない。 その人のある選択が正しくでも間違っていても、その先に起こることがいいことばかりとは限らないし、逆に悪いことばかりとは限らない。いずれにせよ、いいことであっても悪いことであってもそれを引き受ける覚悟がいる。そしてその覚悟が他者を赦すことの基礎になっている。 そしていずれの立場をとるにせよ、「何が正しくて何が間違っているかということ」についていえるのは、それももちろん大切なことではあるが、それよりもっと大事なのはそれが自分の人生の中でいかに現実化されるかということだ。それは自分の人生を自分自身のものにしていく過程だと思う。
by liyehuku
| 2010-11-27 18:37
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