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2011年 05月 17日
私の父や母に会った友人たちは口々に言う。
「○○ちゃん(私のこと)のお父さんってほんまにええなあ。あの人を嫌いな人おらんやろ」 「あんたんとこさ、お父さんもお母さんも素朴で、いかにも田舎のいい人たちって感じがするのに、何であんたみたいなめんどくさい子が育ったんかいな」 「めんどくさい」というのは、私が以下のようなことを日常的に考えているからである。 10年以上前のことになる。 父が仕事関係の知人に、私について、 「あの子はいつでも中立だった。一度くらいわしの味方についてほしかった」 と漏らしていたらしい。 私は「何を虫のいいことを」と思った。 殴ったら終わりだろう。 ただし、私は母が父に与える暴力も、それは肉体的なものではないが、同等のものだと思っていた。 だからこその中立だったのだよ、それ以上私に何を望むのかこの人は、と思った。 私には父が私に望むものの正体がわからない。 父は私に手を上げたことがない。 それは単に私に手を上げる理由がなかったからだろうか? 私にはわからない。 数年前、父と従姉と話していた時、従姉は、 「○○ちゃん(私のこと)はいい子じゃったけえねえ」 と言った。父もそれに、 「ほんまじゃ。○○はいい子じゃった。いい子過ぎた」 と同意した。 何を言っているんだ、この人は、と思った。 従姉が私についてそう言うのはわかる。彼女はあくまで外の人だ。(それに彼女は彼女で母親との間に問題を抱えていたし、その過程で「できの悪い子」というレッテルを貼られていた。) だが、父は違う。私が抱えている「家族」という問題の当事者の1人である。 ああ、この人には何も見えてなかったんだな、とつくづく思った。 見えてなかったのか、見ようとしなかったのか、ここまでいくとどちらでも同じことだ。 私にとって父は『千と千尋の神隠し』のカオナシのような存在である。 一昨日の夜、NHKで『虐待カウンセリング ~作家 柳美里・500日の記録~』が放送された。 録画しようと思ったら既に予約されていた。夫だった。 翌日、観ようとしてちょっとためらった。 虐待のニュースに触れることによってですら、「他人事ではない」という方向に少し過剰に振れてしまうのだ。それに、そもそも「虐待の連鎖」という考え方は私の役には立たないのではないか、とも思った。 「親が自分にしたこと(あるいはしてくれなかったこと)」を、私は「自分が子供を損なっている」ことの言い訳にできるだろうか?果たして自分の行いを「しょうがない」と思えるほどのことを私は子ども時代に親から被っただろうか? それが現状私が認識できていない形で行われたとして、どのような形で行われたのか、ということについてどうしても考えてしまう。 でもそれは意味のないことだ。 子供を育てること(ひいては誰かと共に暮らすということ)が、相手を損なうという側面を本質的に(避けがたく)内包しているからだ。 そういう側面と虐待との境界線は曖昧である。 でもとりあえず、『虐待カウンセリング』を自分で観てみることにした。 そして観た上で考えた。 仮に私が子ども時代に被ったものが虐待であったとする。これはあくまで仮定である。なぜそのような仮定を行うかというと、そうすると自分が今抱えている問題が説明しやすいからだ。 私は、母が負っているもの、父が負っているものについてある程度認識している。彼らの親たち(双方の祖父母たち)が負っていたものもある程度は理解している。そして、自分ではそれらの諸々のことをかなり消化できていると思う。 その上で私は、両親との距離を適切に保とうとするのだが、そうやって距離をおこうとすると、私の両親はあたかも私の代わりに娘を取り込もうとするような動き(*1)を見せる。それが怖い。怖いというか気持ち悪い。 そういう両親の動きを感じると、私は彼らから娘を遠ざけようとする。すると今度は、私と娘の間の距離がうまくおけなくなるという状況が-それがたとえ一時的であるにせよ-生じる。 私には「私から娘を奪おうとする母と父の不思議な同盟」の正体、つまり、それが私の中の何を表しているのかということがわからない。 しかし、それが何かわからなくても私は戦わねばならぬ。 しかも、相手(母と父)にはそれと悟られないように戦わねばならぬ。 というのは、私にとって父と母の介護は既に始まっているようなものだからだ。介護の必要な人と正面切って戦うわけにはいかない。 自分のささやかな日常がギリシャ神話っぽくて驚く。 (もちろんその物語はある仮定の上に成り立つものである。私は同じ事柄について全然別の物語を語ることもできるし、そのことをためらわない。) *1: 例えば、娘を私と呼び間違えるということ。些細なことだが、あまりに頻繁だし、その時の様子に娘を本当に私だと思って疑っていないようなところが窺えてぎょっとすることがある。 そして、何かというと「娘をこちら(広島)でしばらく預かる」と提案してくる。彼らにしてみれば親切心なのだが、そういう時、息子は彼らの眼中に全くない。それとなく息子のことを持ちかけると「▲▲(息子のこと)はまだ小さくて手がかかるから」と言うが、やっぱり何か変だ。 ちなみに、私の両親は息子が可愛くないわけではない。むしろ普通の祖父母と孫の関係である。娘に対して抱くものがいびつ過ぎるだけだと思う。
by liyehuku
| 2011-05-17 17:27
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