リンク
カテゴリ
Diary DD&DS USA Japan Bangladesh Outside the Country Language Learning Lessons Crafts, etc. Nature Movie/TV Books CD/Music Art (General) Baby Products etc. Experimental Cooking The Baby Is Coming! The Baby Is Coming2 Other Memories Memo About the Weblog タグ
USA
English
Religion
Cultures
Books
My Family
Japan
JOCV
Movie/TV
ESOL/ESL
Bangladesh
Spanish
Dreams
Europe
Travels
CD/Music
Vietnam
India
Thailand
Australia
最新のトラックバック
以前の記事
検索
その他のジャンル
ブログパーツ
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
2011年 09月 18日
父性と母性はそれぞれ、「父親というもの」「母親というもの」とは異なっているのだが、混同されやすい。
それは原理である。 手っ取り早くいえば、父性は母親にも存在するし、母性は父親にも存在する。(「父親も母親もおのおのが、自分の中に父性や母性をいかにバランスよく存在させ、臨機応変に行使するかが現代的の家庭の課題だ」というのは河合隼雄がたびたび主張していたことだった。) 父性の特徴で真っ先に挙げられるのは「切る」ことであり、それに対応する母性の特徴は「包み込む」ことである。そして、「日本には本当の父性が存在しない(存在しにくい)」というのも河合隼雄がよく言っていたことだ。 「昔は良かった」という話の流れでよく引き合いに出される「強い父親」も、母性原理に基づいた共同体の土台の上にかろうじて成立させてもらっていたようなものだ、というのがその主旨であった。 それに対し、欧米のほとんどの国々で土台となっているのは父性原理に基づいた社会である、と。 そしてそこには案の定、キリスト教(ひいては唯一無二の神を信仰する宗教)が深く関係している。 キリスト教の神は背いたものを許さない「切る」神である。 こう書けばいろいろと異論はあるだろう(特に「許さない」という点においては納得しない人がいるだろう)が、私が「なるほど」と納得するのは、例えばカトリックにおいて「聖母マリア」への信仰が重要視されているといったようないくつかの事実のためである。おそらく、「聖母マリア」への信仰には父性の切る作用に対する補完的な意味合い(包み込む)が強い。 では、イエス・キリストの母とはいえ、本来は(イエス・キリストとは異なり)ただの人間であるマリアを崇め奉るのをよしとしないプロテスタントの宗派はどうだろうか? アメリカで暮らしていた時に見聞きしたことから推察するに、歴史的に父性原理が極端に強調されてきた神そのものを見直し、「神の愛」(自らの幼子であるイエス・キリストを私たちの罪を贖うために送ってくださるほど愛情深い神)を強調することで補完しているのだと思われる。
by liyehuku
| 2011-09-18 15:18
| Memo
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||