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2016年 01月 19日
先日、大学時代の同級生たちと久しぶりに会った。
その時にある人が「若者の無気力さにショックを受けるようなことがここのところ続いて、自分の子供(幼児)がそうならないためには自分がどうしたらいいのか考えてる」という話をし、その場で「最近の若者のやる気のなさ」に同意する意見もあったのだけど、実は私にはその実感があまりない。 まず一つには「誰よりも自分が無気力だから」というのがあるのだけど、他に「ここで話題になっている“若者”が具体的にどの世代のことを指すのかをはっきりさせないとダメだ」とか「親が意図的に子供のやる気を刺激するというやり方が、たとえそれが“環境を用意する”という間接的なやり方でもその子の人生にプラスに働くかどうか」とかいろいろな思いが心に湧いた。 あと一つ、その時は何となくはっきり言えなかったのだけど、昨晩の"フジテレビ『SMAP×SMAP』生放送謝罪" を観てはっきり気がついたのは、「こんなもん公然と当然のものとして流しといて若者のやる気がどうこう言う資格はないよな、年輩者は」ということだった。(とてもグロテスクでした。) その後、最近の若者について憂う彼女は私に「あなたはこの時どうだったの?」「どうしてあの時そうしたの?」などと私の「若い頃」について矢継ぎ早に聞いてきた。 「おそらく誰よりもやる気のない私にそれを聞いてどうするのよ」(要約)という意味のことを言ったのだが、 「だってあなたのバックグラウンドで⚪︎⚪︎大学を受けるのはよほどのモチベーションがないとあまりないことでしょ」(要約) 「やる気がない人がバングラデシュには行かない」 とさらに追及してきたのだった。 いや、ほんとに「あの時ああしたのはこういうことだったんだな」って後付けで言えることはいくらかあっても、当時具体的な何かに対してすごくやる気があったわけじゃないのよ。 「確かに一浪して⚪︎⚪︎大学を受験はしたけど、高3の12月まで数学科に行きたかったし、⚪︎⚪︎大学に行きたくてすごく勉強したという感覚はない。周りには私よりもっと勉強してた子ももっと成績が良かった子もいっぱいいたから、むしろ自分は勉強してない方だと思ってた。ただ、高3のギリギリで進路変更するに当たって関東の大学を選んだのは、やはりできるだけ遠くに行きたかったんだと思う。その時にはそういう意識はなくて、ただできるだけ“いい大学”に行きたいだけだった。自分が得意なのは勉強だけだったから、それを試してみたいっていうのはあったかもしれない」 まあ、結局、その場の会話としては「大事なのは家庭環境よりも学校とかそういう教育環境なのかもしれない」というあたりに話に落ち着いたのだが。 彼女は将来の自分の子供に「やる気」や「好奇心」を望んでいた。 やる気の燃料は「好奇心」なので「好奇心」に話を絞っていいと思う。 「好奇心」って、「自分のコントロールできないものごとに対する志向」だから、あれ、「自分が全てをコントロールできることへの恐れや不安」がないと生まれないんじゃないかな。 突き詰めると「親にできること」って「自分がコントロールできないものに対してどういう態度を取るか」しかないように思うし、それって「誰か(子供を含む)に見せるため」じゃなくて「自分がどう生きるか」だからなあ。
by liyehuku
| 2016-01-19 09:26
| Diary
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Comments(5)
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ねこぢる
at 2016-04-21 11:50
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なるほど~そんな風に考えてたのね。
そうそう、引っ越してきて直ぐの、先日主人と同じ会社の方の奥さん(30歳前?とにかく若い)とのやり取り。 「バンコク生活楽しい?」「私は凄く楽しんでます!」「具体的には?」「家で日本の連続ドラマ観るのが一番楽しいです!」 またかよ・・と思ったよ(笑)。
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ねこぢる
at 2016-04-26 10:31
x
そんな風に考えてたのね~
自分が参加した会話の記事を読むのは面白いね。 こちらに引っ越してきてすぐ、主人の会社の若い奥さん(30歳前)に「バンコク生活は楽しい?」と聞くと、、 「はい、私は楽しんでます!」 「具体的には何が楽しいの?」 「家で日本のドラマ観てる時が一番楽しいです。」 またかよ~って思ったよ。やっぱし。 *ちょっと前にコメント入れたつもりだったんだけど、記録されたか途中で不透明になったので再入力しました。
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liyehuku at 2016-05-20 10:41
この内容、もともとTwitterでつぶやいたのをまとめたんだけど、その時に共通の友人であるところのある人からリプライをもらって、彼女はまた違う意見だった。結構前のことなので肝心の部分を忘れたのでちょっくら探してきます。
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liyehuku at 2016-05-20 16:34
ええと、私が「コントロールしたい人」に関して、
「自分でコントロールできるものなんてないというのが無意識のレベルで根付いていても、そこが諦念になっている場合とそのことに対する不安をもつ場合だと全然違うかも(後者は「コントロールしたい人」になりがち)」 と言ったら、 「そもそも自分で全てがコントロールできるなんで思ってないので、コントロールできないことに不安や恐れを感じるというのがピンとこない」 というリプライが来て、私は 「でも、その辺りは言語化できない領域なので、仮にでも諦念とか不安とかいう言葉を当てないと他の人に言葉では伝えられない」 って立場だったんだけど、 「不安とか諦念とかいう言葉はかけ離れているように感じる。単に"(好奇心が)自分にコントロールできないことがあるという感覚から生まれる"ということならわかる」 と言われたのだった。(うん、思い出した!) 今思えば、当時の私は「自分でコントロールできるものなんてない」ということを意識的あるいは無意識に把握していても、コントロールを志向する人はいるよね、という話がしたかったんだろうと思うんだけど、伝わらなかったと思う。(私は一般論を、彼女は自分自身の話をしていたので無理もないわね。) ちなみに「あることに対してコントロールできちゃうかもとか、コントロールしたくなっちゃう気持ちに対する不安が起こるのはわかる」とのこと。
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liyehuku at 2016-05-20 18:14
あともう一つ付け加えると、彼女も私も「ことさらに今⚪︎⚪︎な若い人が増えたようには思えない」という点でも意見が一致したのね。「前からいて数もそれほど変わってないけど可視化された」みたいな捉え方してる。彼女はマイノリティとの接点が多いし、私はどこにいても「よそから来た人」「別の階級の人」だからかもしれない。個人的にはこの「可視化」は「価値観の多様化」の表れなのかもしれないなと思ったりする。
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