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2005年 10月 04日
クリストファー・ゲストが好きだ。
俳優としてもさまざまな作品に登場しているがそれよりも映画監督としての彼の方が有名かもしれない。日本でも、ここ数年彼の監督作品である『ドッグ・ショウ!』や『みんなのうた』が近年紹介されたことで認知度が上がっている模様。残念ながら私は『ドッグ・ショウ!』を観ていない。その代わり"Waiting for Guffman"は観たことがある。 「みんなのうた」も面白かったけれど私は"Waiting for Guffman"の方が好きなので、これが日本に紹介されていないのはとても残念。でもクリストファー・ゲストの監督作品は日本でもこれからますます注目を浴びそうな気もするし、その暁には過去の代表作として紹介されることもあるかもしれないので、感想をメモしておく。(何ヶ月も前に観たのでだいぶ記憶が薄れているが。) "Waiting for Guffman"はアメリカのさびれた地方の町が舞台。本当にどこにでもありそうな感じのさびれ加減で、地方在住のアメリカ人(多くのアメリカ人)はまずここに共感するのじゃないかと思う。 アメリカ映画で「田舎」が描かれる時、サスペンスやホラーだとそのコミュニティの不透明さと閉鎖性によって閉塞感たっぷりにまたはおどろおどろしく描き出されることが多く、コメディや恋愛物だとそこに住む人々の素朴さ、実直さによって善いものとして描かれることが多い。映画の中では田舎は明に暗に「都会」と対比され、両者には共通点がないように見える。水と油みたいに。(さらに、映画の作り手側からするとあくまでまず「都会」ありきで「田舎」が語られているということも言えそう。そのため「田舎」とは言っても正真正銘のド田舎だけではなくそこそこの規模の「地方都市」も含めて考えてもいいだろう。) 「本当にあった怖い話」みたいな事件の例も見聞きするので田舎の閉鎖性とか不透明さはあながち否定できないが、素朴さ実直さによって「田舎はイイ!」と言っているような映画についてはどうか。そこでは決まって「都会」での生活は批判されるべきものとして描かれている。別にそれはそれで結構なのだけれど、あんまり手放しで「田舎万歳!」という感じなのは胡散臭くてしょうがない。第一、そういう映画で舞台になっているような「田舎」なんて実際にはアメリカはおろかどこにも存在しそうにも思えない。都会に住む人の現実逃避のためのまぼろしのように見える。 つまり何というか、アメリカ映画の中の「田舎」のイメージは(それが良いイメージであるか悪いイメージであるかに関わらず)、ものすごくアンバランスな感じがする。何かが決定的に欠落している感じというか、そこに在るものが全く存在しないかのように扱われている感じというか。ちょっと気持ち悪い。 さて、"Waiting for Guffman"では町(そこそこの規模はありそうで、閉鎖性による閉塞感はなさそうだが、さびれていることによって閉塞感はたっぷりある)の記念日に町の歴史をテーマにした素人劇をやることになり、ニューヨークからIターンしてきた「ブロードウェイ経験者」がそれを演出することになる。彼の提案で町おこしを兼ねてニューヨークから有名な演劇批評家を当日招くことにし、メンバーの練習にも熱が入るが・・・・・・、という話。『ドッグ・ショウ』や『みんなのうた』と同じようにモキュメンタリー(いかにもドキュメンタリーという感じだが全くのフィクション)の手法で作られた映画だ。 普通の「田舎万歳!」映画だと、そこに住む人々(特に主要人物)はたいていささやかでつつましやかで地に足の着いた生活をしており・・・・・・という具合にその魅力は専ら彼らの「善良さ」「純粋さ」にかかっているが、この映画では町の人々は確かにある意味ささやかではあるがそれと同時にいじましくせこくもある。観る側が「(田舎にしろ都会にしろ)そうそう、こういう人いるよね」とか「自分にもそういうとこある」と思える人たちばかりが登場する。そういう「人間臭さ」が魅力的に映るのは、人間の中の「ささやかさ」と「いじましさ」「せこさ」が表裏の関係として描かれ、人物造型に説得力があるからか。 人間誰しも多かれ少なかれ「認められたい」とか「日の目を浴びたい」という欲求はあるし、それを実現する手段によっては-特にそれが「舞台に立つ」というものだったりすると確実に-都会への憧れが強くなる。それをめぐる人間のせこさいじましさが単に卑小なもの(馬鹿にするようなもの)として映るのではなく、観る側が「誰にでもそういうとこはあるよね」という共感しつつ、登場人物を笑うことで自分自身の「そういうとこ」もからっと笑ってしまえるのがこの映画のうまいところだと思う。そして登場人物全員(町の人たち)に対するその共感によって観客は町を今自分が住んでいる場所のように感じ、そういった「アメリカのどこにでもありそうな町」への愛着(愛憎?)が「アメリカ」(国家としてではなく一つの国としてのアメリカ)への愛を感じさせるところもある。「アメリカ万歳!」という感じの国威高揚映画は好きになれないけれどこういうアメリカ讃歌はいいなあ。 劇中劇が意外によくできているのも良かった。(実際に劇として観てみたい。) あとクリストファー・ゲストについては、彼の演技とも作品とも直接関係ないけれど奥さんがジェイミー・リー・カーティスというのもポイントが高い。しかも結婚のきっかけがジェイミー・リー・カーティスの猛烈アプローチというのが素敵。そして2人の映画における距離感がちょうどいい(彼の監督・出演作品と奥さんの出演作品の方向性の違いとか、奥さんが彼の作品に出ないところとか)のも好印象。
by liyehuku
| 2005-10-04 01:05
| Movie/TV
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