リンク
カテゴリ
Diary DD&DS USA Japan Bangladesh Outside the Country Language Learning Lessons Crafts, etc. Nature Movie/TV Books CD/Music Art (General) Baby Products etc. Experimental Cooking The Baby Is Coming! The Baby Is Coming2 Other Memories Memo About the Weblog タグ
USA
English
Religion
Cultures
Books
My Family
Japan
JOCV
Movie/TV
ESOL/ESL
Bangladesh
Spanish
Dreams
Europe
Travels
CD/Music
Vietnam
India
Thailand
Australia
最新のトラックバック
以前の記事
検索
その他のジャンル
ブログパーツ
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
2005年 11月 30日
寄付を募る主旨のユニセフの手紙がひょっこり出てきた。寄付は何年も前に一度したっきりだがそれ以来年に何度かこういう手紙が来ていた。宛先は以前住んでいた会社の寮の住所になっている。その後送り元に自分の住所変更を連絡した記憶がないので、さすがにもう私の手元には届かないが、もしかしたら今でも送られ続けているのかもしれない。ひょっこり出てきた手紙は実家に転送された物だ。(郵便局が転送してくれる期間は1年かせいぜい2年くらいのものだったと思う。)どうやら私がアメリカに越して来る際に荷物の中に紛れ込み、それがさらに夫の荷物の中に紛れ込んでいたらしい。
それを見ながら夫が、 「ずっとどこかに寄付したいしたいって言ってるけどいまだにしてないんだよなあ。・・・どういうのがいいのかなあ」 と言う。 「例えばいくらでワクチン一本、とかあるけど、全面的に賛成できないところがあるんだよねえ」 と言うので、 「例えばどんなところが?」 と尋ねると、 「仮にそのワクチンで命が救われたとしてもその後どうやって暮らしていくのかっていう人が多いわけでしょ?ワクチンだけでその後のことは知りませんっていうのは無責任な気がするんだよね。そりゃそういう人が目の前にいれば何とかしなきゃと思うけど、今みたいに離れた所から全体を見てしまうとやっぱりそういうことが気になるんだなあ。例えばさ、協力隊の訓練中に聞いたネパールの話とかあるじゃん」 ネパールの話というのは、或る隊員と親しかったネパール人が事故で瀕死の重傷を負い、山間部で交通事情の悪い所に住んでいたので、ヘリコプターで都市部の病院まで緊急移送した、結果、命は助かったが、ほぼ寝たきりの状態になってしまい、高額な医療費の支払いが彼の家族の肩にかかってきた、それまでその家族では彼が唯一の働き手だったのでその支払いはおろか生活すらも全く目処がたたない状態で・・・・・・という話である。私の記憶があやふやなので確かには言えないが「死んでくれた方が良かったかもしれない」という言葉もあったのではなかったか。 「協力隊の活動自体・・・・・・自分が協力隊としてやっていること自体にも同じ疑問を感じていたわけだけど」と夫。 「うーん・・・それも一つの考え方だねえ。協力隊の時には私もそれが気になっていたし、今でもどこかに寄付しようと思う時には気になることがある。でもさ、寄付をする人がいるってことは、別の考え方をしている人がいるってことだよね。例えば、(まず命は救われなければならないものという前提で)『救われた人の命や人生はその人のものなんだから自分(=寄付をする側)がそこまで責任を負う必要はないし、責任を負わねばならないと考えるのはおこがましい』と考える人もいるんじゃなかろうか。(そしてそれはそれでかなり説得力のある考え方だと思う。)」 「この前ネットで『子供を産むかどうか』ということについて或る人が意見を述べているのを読んでねえ、その人の考えでは-と言っても私なりの解釈なんだけど-『子供を産む産まないは個人の人生の選択の問題だが、(いち個人としての)自分の考えでは例えばこれから先子供が苦労するからという理由で子供を産まない、と考えるのは不遜なのではないか。子供は子供自身の人生を生きていくのだから』ということだったんだけど、それを今ふと思い出したんだよね。それをものすごく拡大解釈して転用すればそういう考え方にもなるし、そう考えている人もいるんじゃないかなあと思ったんだけど・・・・・・」 と私は言った。 それから話はどんどん脱線し、いつの間にかこんな話にもなった。 極東ブログ:「[書評]プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神(マックス・ヴェーバー)」 自分で話に出したわりに内容をあまりわかってなかった(今でもわかってない)のだが、興味があるのでとりあえずクリップしておく。 それにしてもせっかくの夫婦の会話だったのに、何だか疲れていて自分の言いたいことを言うのに精一杯だった。ちょっと夫に申し訳ない。それにどうせ言いたいことを言うなら「子供」に関連してもっと娘のことを話せばよかった。 最近私はよく、 「『自分の』娘を育てるんじゃなくて一人の人間を育てたい」 と考える。娘にはどこででもいいからたくましく、同時に社会的人間として生きていってほしい。要するに「地(社会)に足ついた人になってほしい」ということか。「一人の人間」ということについてそれ以外に何か具体的な考えがあるわけではない。そして「地に足ついた人」っていうのも実は全然具体的じゃない。じゃあもっと具体的に・・・・・・と考えると「自立した人」ってことかな。自立は「どこででもいいからたくましく、同時に社会的人間として生きていく」ことと等価ではないけれど、少なくともそれを実現するのに非常に有効な手段ではある。メジャーなゴールをサポートする、マイナーなゴールとしては最適か?(追記) 「子供は育つもので親があまり期待するのはよくない」というのはよくわかってはいるが、期待しすぎないように心がける前に自分が娘に一体何を期待しているのかはっきりさせておきたい。というよりもそうしておかないと、ちゃんとした意味で期待しすぎないでいることができない。 娘がまだ赤ん坊のだからなのかそれとも子供が一人しかいないからなのか、時々何か事件や事故に巻き込まれたら・・・・・・という漠然とした不安に駆られたり、大きくなったら母親のこと嫌いになったり疎むようになったりするんだろうな・・・と悲しくなったりして、思わず娘を元いた場所-子宮-に戻してしまいたくなることがある。(多分もう入りきらないけど。)それにもしかしたら、私は夫が言うように、子供に向けられた質問につい代わって答えてしまうような過保護タイプの親かもしれないし。こういう時に「どこででもいいからたくましく、同時に社会的人間として生きていってほしい」という初心に帰るのは親の勝手な期待ではあるが健全な範疇のものだろう。(「子宮に戻したい」と「どこででもいいから・・・・・・」のどっちの思いが強いのか?そういう気持ちになるタイミングが違い、それぞれのタイミングで思いの強さは同じくらいか・・・・・・。ではどちらがより本能に近いのだろう?よくわからない。とにかく、「どこででもいいから・・・・・・」が「初心」だとは限らないな。) そういう話をしてみたい。 追記(12/3/2005): いやいや、「自立した人」の前に「トラウマを上手に消化できる人」というマイナーゴールを設定したい。深刻なトラウマが残るような体験は子供にさせたくないが、そうでなくても大なり小なり、そして多かれ少なかれ人はそれぞれそういうものを持っているものだし、自分自身のことを振り返ってみても必ずしもその「トラウマ(のようなもの)」が悪く作用したわけではなかったと思う。それを消化して得たものは自分の糧というよりは強さとして自分そのもの(の一部)になっているような気がする。もっとも私の「トラウマ(のようなもの)」は世間によくある話のレベルで他の人から見れば全然深刻ではなかった。そして自分では(今のところ)きちんと消化したと思っているのだが、そういう自分にとっても大したことじゃないと思う。(でも「大したことじゃなかった」とは言わない。)
by liyehuku
| 2005-11-30 23:55
| Diary
|
Comments(3)
イギリスに来てびっくりしたのが、チャリティーショップがたくさんあること。自分の要らない服や家具なんかを持っていって、その売上金をがん患者や恵まれない子供なんかに寄付するというお店。とにかくどんな小さな町にも必ず1件はあるという感じです。これだと誰でも気軽に参加できるよね。アメリカにもある?時々掘り出し物があるから私も買い物に行くよ。 ところでバングラで爆発あったね。こわいねえ。
0
Commented
by
liyehuku at 2005-12-02 23:58
>チャリティーショップ
多分あるんだと思う。でもいろんな団体がいろんなことをしている(キリスト教教会関係が多いけど)のでこっちではあまり目立たないかなあ。今度探してみよう。(そういやあそこのお店、そうかな・・・。) ハリケーン「カトリーナ」の時にはWebサイトを使ったチャリティ詐欺がニュースになっていたけど、そういう事件は行なわれるチャリティ活動のわりには少ないような気がする。(それとも多すぎていちいち報道できないのかもしれないけど。)
Commented
by
liyehuku at 2005-12-03 07:56
バングラデシュはもしかして総選挙が近いんじゃないだろうか。そうだとしたら選挙に向けてこういう事件が増えるんだと思う。
私がいた時にも総選挙があって、その時は9.11直後だったという事情も併せてJICA現地事務所が隊員を全員「ダッカ待避」させてました。ヒンドゥーの村が襲われたりデモの衝突で死傷者が出ることも。私いまだに人の多い場所が怖いわ。 総選挙を控えた或る日、或る隊員がお金持ちの知り合いに家に招待され、私も含め何人か他の隊員も一緒に連れて行ってもらったのだけど、ちょうどその知り合い夫婦が我が子のようにかわいがっている姪っ子たちも遊びに来てました。庭を案内してくれたり「ハチに刺されたよー」と大泣きしたりかわいかったんだけど・・・。私たちがお暇する時彼女たちを迎えに来た父親(知り合いの弟)が、その家の前で後日暗殺されたのが報じられた時はびっくりしました。選挙がらみの事件だったそうです。向こうの新聞は死体をもろに報道するから、それがその子たちの目に入らなければいいなあと思いました。 バングラデシュの総選挙って国際組織(国連とか)の監視団が来るんだよね。その時もいろんな国から来てたみたい。
|
ファン申請 |
||