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2006年 02月 18日
昨夜、CBSで(またか)"Without a Trace"というドラマを観ていた。
昨夜の回は韓国系アメリカ人の若い女性が行方不明になるというストーリー。彼女は米国でも韓国の伝統的な生活様式を守る一族に属しているという設定。捜査していくうちに、米国で生まれ育った若い彼女が家族や親戚が重んじるしきたりを受け入れることができず、何とかして「外の世界」に飛び出そうとしていたことが浮かび上がってくる。 彼女の家族は韓国輸入食材のスーパーを営んでおり、店内の壁には韓国の国旗が飾ってあったり、台詞でも彼らは「韓国人」ということになっていたりするのだが、韓国と中国と日本がごっちゃになっている点も散見された。 例えば、行方不明になった女性の元フィアンセをFBIの捜査員が"a Korean boy"と形容するのだが、彼は韓国人コミュニティでは"Hiro-san"(英語名はSteven)と呼ばれている。 あと行方不明になった女性の母親が故郷の言葉で話す部分のキャプションが(SPEAKING Chinese)とか(SPEAKING Cantonese)になっていて一回も"Korean"にはなっていなかった。 キャプションについては、おそらく制作とは関係のない会社が提供しており、どこまでが制作者(映画であれば製作者)側の勘違いなのかは不明。例えば、或る映画(多分"S.W.A.T.")の中で世界各国のニュース映像が流れる時、どう見ても韓国のニュースで、キャスターが話しているのもハングルに聞こえるのにキャプションが(SPEAKING Japanese)になっていることもあれば、CBSの"CSI:NY"の2週間くらい前の回でキャプションは(SPEAKING Japanese)となっている台詞が日本語のようには到底聞こえなかったり、ということがある。 そう言えば、この"Without a Trace"というドラマ、2週間前の回は「以前、日本に駐留し、現地で日本人女性をレイプしたとして懲戒免職になった元米軍兵士が行方不明になり・・・・・・」というストーリーで、一部日本でロケした部分がある。ロケ地は銀座・有楽町辺りだろう。(アンソニー・ラパグリアも行ったようだ。)ロケのシーンには松方弘樹がちょっと出演。ヤクザ社会の上位の人間で、レイプされた女性の父親という役柄。(台詞は全部日本語。) 映画やドラマを観る時は基本的に「こんなの本当の日本じゃない」とか「古代ローマが舞台なのに何故英語?しかもブリティッシュ・イングリッシュ?(HBOのドラマ"ROME")」(多分それは製作国がUK/USAであり、どっちかというとUKが主で、キャストがほぼ全員UK出身だから)とかその他細かい時代考証・現地考証はあまり気にしないようにしている。どうしても気になるような時でも映画(またはドラマ)が面白ければそれでいいやと思う。(*1) 先で挙げたような、いくつかの国が混同され、それがどことどこの国なのか明確にわかる場合も、「どうしても気になる」例ではあるが、面白いなあと混同の背景に興味をかきたてられるだけで、感情的にどうというわけでもない。 この回でも、細かい違和感はいろいろあったもののそのほとんどは取り立てて書くほどでもない。でも一つだけどうしても気になることがある。 ストーリーの主要なエピソードに、 「レイプされた女性の母親が『娘がどこの誰とも知れない男に辱めを受けた』ことを苦に自殺を図る。父親(松方弘樹)が妻の精神状態を保つために犯人を仕立て上げて逮捕させることにし、手下に真犯人の身代わりになる人間を見つけさせる。たまたま運悪く手下に捕まって犯人になるように脅されたのが無実の米軍兵士(で、その人が5年後の現在、行方不明になっている)」 というのがある。 ・レイプされた本人が自殺を図るというならまだ話はわかるが何故その母親が自殺を図るのか ・犯人が逮捕されることで被害者側の気持ちが多少でも和らぐのはわかるとして、犯人逮捕が被害者本人よりむしろ母親の気持ちが和らげることになっており、それがストーリの中で当然のことのようになっているのは何故か ・しかもそのために真犯人追及よりも犯人を仕立て上げることにやっきになる父親がこだわっているのは一体何か(体面か、妻の状態か、自分の気持ちか) ・父親がこだわっているのがもし体面であるなら、その事件を外部の人間が知ることになった、またはじきに確実に知ることになるという前提が必要だが、それを隠しておけなかったのは何故なのか ・もしこだわっているのが自分の気持ちか妻の状態だというなら娘のことはどう思っているのか(被害者本人にしてみれば無実の人間を偽の犯人を仕立てることで事態を丸く収めるなんて困惑するか腹立たしいだけだろうに) ・・・・・・等々ということに関する説明が全くなくて、何だかもう支離滅裂である。しかし、私が説明が必要だと感じる部分に説明がないということは、つまり、日本社会ではそれが当然なのだと、一般的なアメリカ人が捉えているということだろう。 もっとも、このストーリーに登場する日本人はみんなヤクザかその家族か関係者で、私はその世界の常識を全然知らないので、上で挙げたような奇異な点を「ありえない」と断定はできない。でもそもそもこのストーリーが支離滅裂なのは、ヤクザの世界の常識と一般社会の常識が違っているからではなくて、もっと根本的なところに矛盾があるせいじゃないかと思う。おそらく、日本社会における体面の概念と米社会における報復の概念がごっちゃになっているのである。 ドラマのストーリーに沿って具体的に言うと、 「レイプ事件で被害者にも真犯人の特定ができない場合、日本式に体面を重んじるというなら、最初から事件を隠蔽して何もなかったことにしそうなもの。ストーリーの中で、レイプ被害者の母親の自殺未遂というリアクションも家名を重んじるという価値観から発生していると推察されるから、『家』を守るならそっちの方がありそうな展開である。 ところが、『誰かを犯人に仕立て上げて処罰することで鬱憤を晴らす(そのことによって事態を丸く収める)』のは『事件を隠蔽する(そのことによって体面を守る)』ことに矛盾する」 ということである。 それを混同しているということは、米社会の報復の概念と日本社会の体面の概念がそれぞれの社会で或る意味似たような意味合い(社会的機能)を持っており、多くのアメリカ人がそういう共通部分、類似部分から日本社会における体面を理解しているということなのだろう。 米社会における報復は、日本社会における体面と並列なものとしてストーリーの裏に暗に存在しており、つまり、米社会の報復は社会の古いしきたり(つまり、明文化されてはいないが或る程度制度化されたもの)であると言える。 そういえば、映画『ミスティック・リバー』には報復が登場する。そしてこの映画にも結果的にではあるがスケープゴート(身代わりの犯人)が存在し、 「報復には被害者本人の鬱憤を晴らすだけでなく被害者が属するコミュニティに鬱積したエネルギーを放出するという社会的な働きがあり、しばしばこちらの方が重視されることがある。それを実現するには『真犯人が見つからなければスケープゴートを処罰する』という手続きが必要である」 ということがうかがい知れる。 昔観たドラマ『七十年目の審判』にはもろに「俺たちには真犯人なんてどうでもいいんだ」という台詞があって背筋が寒くなった覚えがある。 そして、こういう形の報復はいかにもウィリアム・フォークナーの小説にありそう。 松岡正剛の千夜千冊『サンクチュアリ』ウィリアム・フォークナー 翻って日本はどうか? 現代の日本社会に米社会と同様の、しきたりとしての報復がないとは言い切れないが、日本のテレビドラマや映画、小説やその他の文芸作品に、「事件の真犯人見つからない場合にスケープゴートを処罰することで事態を丸く収める」というのはないように思う。「身代わり」という自己犠牲を払う側の視点からそれを悲劇として描きつつ、明に暗に自己犠牲の美しさを示す、というのはあるかもしれないが、「ことを丸く治めるために誰かが真犯人の身代わりになる」という出来事を、それを強いる側の理屈として描いたものが思い当たらない。どうしても真犯人がわからないなら犯人を仕立て上げる前の段階でうやむやにする方が一般的なのではなかろうか。 ・・・・・・やっぱり「報復の手順の中にスケープゴートの処罰がある」ってものすごくアメリカ的なんじゃないかなあ。 それにしてもどうしてこう、テレビドラマの捜査ものって後味が悪いストーリーが多いのだろうか?この手の話って映画の方が救いがあるものが多いような気がする。(中には能天気と言ってもいいほどのものも。) テレビドラマだと実際に起きた事件を映画より早くストーリーに反映できるからだろうか?観ている側が自分が実際のニュースを見て感じたことをドラマに反映するからなのか、実際に最近起きた事件だけに制作する方が白黒はっきりさせるのを避けてるからなのか? それとも後味が悪いのはCBSのドラマだけ? *1 例えば『レッド・アフガン』。アフガニスタンに駐留するソ連軍兵士という設定なのに、みんな米英語のスラングというか若者言葉で話しており、風貌も米国のその辺にいる若者っぽい人たちばかり。 まあ、ストーリー上、「戦場と兵士」という設定が欠かせないこと、時代から考えてアフガニスタンが最適だったであろうことから考えるに、米国映画であるからにはまさかあの内容で「兵士=米軍兵士」とするわけにはいかなかったんだろうと思う。 それでいてあそこまで兵士たちが「いかにもアメリカ人」なのは、穿った見方をすれば「しょうがないからソ連軍兵士っていう設定にはしてあるけど、ソ連軍にしたって米軍にしたって結局同じ。極限状態とはそういうもの。(そしてそういう極限状態を生み出す戦争は恐ろしくて愚かなものですよ)」というメッセージなのかとも思う。 しかしどちらかと言うと、予算と時間の関係上、俳優にそこまで要求できなかったという可能性の方が高い。
by liyehuku
| 2006-02-18 02:22
| Movie/TV
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