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2006年 10月 20日
これまでここでも何度か書いたことがあるが、私は体の不調が心身症の症状として出やすいタイプだ。鬱の傾向が強く、心身共に疲れてくるとanger controlができなくなる。
今回の引越しにあたって自分が無事に乗り切れるかどうか、非常に心配だった。しかし引越しで一番大変なのは夫の方である。それに私たちには娘がいる。どう心配してみても乗り切るしかないのだった。 ハイハイをし、立ち上がり、たまには伝い歩きをし、隙あらば何かを口に入れ、高い所によじ登ろうとする赤ん坊を伴った引越しは思った以上に大変で、前回の引越し(今年の5月。娘はまだ寝返りができる程度だった)がいかに楽だったかが身に染みた。 さらに、1歳~1歳半という時期は自立の前段階として分離不安が強くなる時期だ。新しい土地、新しい環境ということが重なって娘は私にべったりになった。しかし私があまりかまってやれないのでよく泣き、その泣き方が尋常ではない。 単に荷物の整理がつかないというだけでなく、必要な物がなかなか出揃わず、大人が不便なだけならいいのだが、娘の世話もままならない。ままならないという思いが募りそれが空回り、泣き喚く娘を前に「こっちだっていっぱいいっぱいなんだよ!」とばかりについ娘を怒鳴りつけてしまう。 子育てにfeeling guiltyは禁物(*1)なのだが、こうなってくるとそうも言っていられない。そろそろprofessional helpが必要かもと考え始めた。要するに心療内科か精神科に行くということで、そこで抗鬱剤なり精神安定剤なりを処方してもらうということである。 病院に行くことを真剣に考え始めて3日目。たまたまその日にインターネット環境が整った。 何気なしにブログの記事を書き更新してみたら、何となく気分が軽くなったことに気がついた。 引越しの前後はホテルに滞在している間を除いてインターネットが利用できなかった。 引っ越してからインターネット環境が整うまでどれくらいかかるのか事前に予測はできなかったが、落ち着くまではブログの更新ができないのは当然だと思っていたし、それほど更新に対して執着もしていなかった。 ・・・・・・少なくとも自分ではそのつもりだった。 更新再開2日目。気分はさらに軽くなる。 しかし、どちらの記事の内容もその時私が心に抱えていた鬱屈とは全く関係がない。 これは果たしてどういうことなのだろう。 引っ越して新しい環境の中に身を置くということは、生活の中で触れる全てのものごとが外からの新しい情報として自分の中に入ってくるということだ。経験してみてわかったがその情報量は膨大である。 そういえばインターネット論(?)か何かで、人間というものは情報をインプットされ続けるだけの状態だと厳しいストレス状態に陥るという話を聞いたことがある。ひょっとしてそれは本当の話なのではなかろうか? (そして、外国で生活する際に現地で出身国を同じくする人たちのコミュニティに属することは、自分の中に入ってくる情報の量を制御する方法として効果的なのではないだろうか?) ブログの記事を書くことで私の気分が軽くなったのは、文章化することで蓄積され続けてきた情報の一部が自分の中で整理され、結果的にそれが捌け口(アウトプット)になったからに違いないと思う。 思えば私がこのブログの前身であるWebサイトを始めたのは、米国に住むようになってからだ。テネシーでの生活には徐々に慣れてはいったが、それでも私にとって新しい環境であることには変わりはなかった。だからブログを続けてこられたのだろう。 つまり、日本に帰ってカウンターカルチャーショックの時期が過ぎたら書くことがなくなるんじゃないかと思う。別にそれを心配しているわけではなく単に客観的な予測としてそう思う。 *1: この機会に、自分が子育てをしている上で娘に感じるguiltyの感情が主にどこからやってくるのかまたさらにじっくり考えてみた。 それは単に「自分が(特に母親として)完璧でないから」というだけのことではない。「(自分は完璧でないのに)赤ん坊は完璧である」という無意識のうちの思い込みがあるからなのだ。 つまり「完璧でない自分が完璧な赤ん坊を損なっている」と感じることからくるguiltyなのである。しかし、当然のことだが完璧な母親がいないのと同様、「完璧な子供」「完璧な赤ん坊」というのもいるわけがない。(そういえば『シアーズ博士夫妻のベビーブック』の中にそんな文章があったような・・・・・・。) 「赤ん坊は完璧である」という思い込みは、時に-特に赤ん坊が自分の思い通りにならないような時に-赤ん坊に対する失望や怒りになることがある。 この思い込みは無意識のものなので非常にやっかいだ。自分の中にあるこのやっかいなものがいったいどこからきたのか不思議でしょうがない。
by liyehuku
| 2006-10-20 05:19
| Diary
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Comments(2)
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