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2006年 11月 09日
ベンガル語で話している時の「私」と日本語で話している時の「私」は違う。
今ではもうベンガル語の多くを忘れているし、バングラデシュにいて日常的にベンガル語を使っている時も、私は協力隊員の中でそれほどベンガル語が達者な方ではなかった。 それでも、ベンガル語で話している時の「私」と日本語で話している時の「私」は違う、と私は言う。 それと同じように英語で話している時の「私」と日本語で話している時の「私」も違うと思う。 言葉を発するまでに自分の中で踏むステップ-主に思考のステップ-が違うのではないか。 それがどこから生じる違いなのかよくわからない。 言語の違いによるものだろうか。 しかし語学としての言語、つまり、教室で習うような内容について言語同士を比較すると-もちろん様々な点で違いはあるが-実はどれもそれほど大きな違いではない(と思う)。 その地域でその言葉を使って暮らしている人々の意識が日本語のそれとは違うからだろうか。 暮らしている土地が持つ要素(例えば気候、自然環境)によってそれぞれの人間が受ける影響が一般化され、人々の間に共通する生活習慣、文化、社会環境を生みまたは再形成される。「生活習慣、文化、社会環境」というのは、つまり総体としての意識や思考と言ってもいいものなのかもしれない。 しかし自分の中のステップの違いを「それぞれの言語を使って暮らしている人々の意識の違いである」と片付けてみてもなんだかしっくりこない。 言語にはその言葉を使って暮らしている人々の意識が反映されている。それと同時に言語の方から人々に何らかの形で反映しているものがある、と私は思う。それがどういうものなのか的確に捉えられなくてもどかしい。 言語に人々の意識が反映されると、それはつまり、意識(の一部)が言語化されたということになり、言語化され形を与えられたものが今度は逆に人々の意識や思考をパターン化し、場合によっては縛ることもある、ということだろうか。 エルパソで買い物の際にお店の人とやり取りをしていると、一瞬、相手が何を言っているかわからないことがある。 もちろんテネシー州に住んでいた時にも相手の言っていることが理解できないということは珍しくなかった。しかしたいていは自分でもあらかじめ「理解できないかも」と思っているので戸惑うことは少なかった。もちろん相手が言っていることを理解できないと恥ずかしい気持ちがするし、状況によっては困ったことになるが、それは今感じている戸惑いとは違う。 エルパソに来てから当然わかるだろうと思っていたところが聞き取れなくて戸惑うことが多いのだ。それはスペイン語訛りだからというだけではなく、使っている単語が違うからではないかと思う。方言というほどのものではないが微妙に言い回しが違うような気がする。 全米展開されていてローカル色があまりないように見えるお店(ウォルマートやターゲットなど)でもそういうことがある。 まだテネシー州に住んでいた頃の或る日、ESOLの授業で私の他に生徒がいなかったのでMrs.Sにスペイン語を教えてもらっていた。 スペイン語では2人称単数が2種類ある。主格を例にするとustedとtúがそうだ。両方とも英語で表すとyouになる。2人称複数になるとustedがustedsにtúがusáisとなるがusáisの方はスペインで使われているのみでメキシコ(をはじめとする中南米)では使われていない。 既に何度か聞いた話で、前にその話が出た時、メキシコ出身の生徒に違いを確認したことがある。ustedは友達や自分より若い人(多分「目下の人」ということだろう)に使い、túは年上の人(多分「目上の人」ということだろう)に使うとのことだった。 その日、Mrs.Sは新しいエピソードを加えた。 「メキシカンマーケットでね、お店のメキシコ出身の女性に"¿Cómo está usted?"って声をかけたら、その場にいたメキシコ出身の男性に"You can't say that to her. You don't know her"って言われたことがあるの」 と言う。初対面の人には敬語を使った方がいいよとその男性は言いたかったのだと思う。 そういえばベンガル語にも似たような使い分けがある。2人称と3人称にはそれぞれ3種類ずつあり、使い分けの基準は社会的地位の上下や親しさであって、性別にはよらない。「目上の人に使うもの」と、「友人や配偶者に使うもの」、「子供や、たちの悪い冗談を言い合うようなごく親しい相手、または蔑みや怒りの対象となる人に使うもの」の3種類である。 協力隊の訓練中、ベンガル語の先生はしきりに、 「丁寧な表現を使っていればまず問題はないから」 と目上の人に対する表現を使うよう勧めていた。 一般的にアメリカ英語ではカジュアルな表現が好まれることが多い。表現のカジュアルさ、フランクさを好む人が多いのだと思う。 エルパソで英語が苦手な人が多いのはひょっとしたらそのせいではないだろうか。 スペイン語の上下関係や親しみの境界と英語のそれが異なっている(スペイン語の方がはっきりしている)ために、「日常会話はスペイン語」という人たちの中には英語を使う時に、 「え、これって使っていい表現なんだっけ?」 と戸惑ってしまう人が多いのではないか? アメリカ英語ではカジュアルな表現が好まれる、と書いたが、"To Kill a Mockingbird"の朗読CDには、主人公の少女が近所の老婦人に通りがかりに"Hey, Mrs.Dubose"と挨拶したら、相手から「"Good afternoon, Mrs.Dubose"と言うもんだ」と叱られる、という箇所がある。 もちろん、この小説が背景にしている時代には世間的な風潮として今よりもずっと丁寧な言葉遣いが好まれていたのだろうが、ひょっとしたら今でも丁寧な表現を好む人は少なくないのかもしれないと思うことがある。 引っ越す前に住んでいた家の隣の奥さんは平日、近所に住む友人の子供(2歳の男の子)を預かっていたが、「(誰かに何か頼む時には)"Could you...?"と言いなさい」と彼に教えていた。それを聞いた時、「なるほど("Will you...?"でも"Can you...?"でもなく)"Could you...?"なのね」と思った。 E(英語の家庭教師)が、 「私が子供の頃、うちの母の前で"Can I...?"を使ったら、必ず彼女に『"May I...?"って言いなさい』と直されたものよ」 と言っていたが、「"Can I...?"は間違いで本当は"May I...?"」というのも似たような感覚からきているのかもしれない。 ・・・・・・本当は他にもっと書きたいことがあったのだけれど、記事を書いているうちに収拾がつかなくなってきたのでまた今度。 追記(2006年11月9日): コメントで 「2人称Tuは、親しみ、優しさ愛情の形と呼ばれていて、友人同士の普通の会話、特に親近感を表したいときに使い、Usted は尊敬を表し、丁寧にいうときに使う、と習いました」 と教えていただいた。 手元のスペイン語の辞書にも you (a)...(familiar use)(singular)tú... (b)...(polite use)(singular)usted... とある。 ということは、Mrs.Sのエピソードで男性が"You can't say that to her. You don't know her"と言ったのは、彼女が相手にustedを使ったからという理由ではないということになる。 うーん、何なんだろう?
by liyehuku
| 2006-11-09 14:50
| Language
|
Comments(2)
Commented
by
ponpin
at 2006-11-10 00:55
x
実は私、スペインに以前住んでいたんです。
2人称 Tu は、親しみ、優しさ愛情の形と呼ばれていて、友人同士の普通の会話、特に親近感を表したいときに使い、Usted は尊敬を表し、丁寧にいうときに使う、と習いました。 スペインでは1度でも会った事があったり、Tu を会社でもよく使っていたようですが、メキシコ側ではよほど親しくならないと使わない、なんていう話を聞きました。 私的には Usted をつかうとなんだかよそよそしい感じがするのですごく年上の方以外は結構 Tu で話しています。 それにしても言葉って奥が深いですね。英語にしてもスペイン語にしてもわたしにとっては母国語ではないので、もちろん、違う自分、という感じがします。どちらかというと、スペイン語のほうが感情移入もできるので私にとっては自分に近いかな? それにしても英語は発音がメキシカンには難しいではないかな? 単語も簡単なものほど似ていないし。どうでしょうか?
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Commented
by
liyehuku at 2006-11-10 13:12
おおう、スペイン語が!?
>2人称 Tu は、親しみ、優しさ愛情の形と呼ばれていて、 >友人同士の普通の会話、特に親近感を表したいときに使い、 >Usted は尊敬を表し、丁寧にいうときに使う あれ、私が聞いたのと逆なんですね。 私の聞き間違いなのか、記憶違いなのか、それともメキシコでは使い方が違うのか。機会があったらお向かいの人にでも聞いてみます。 メキシカンには英語って難しいみたいですね。 英語との接点が多いわりにそういう人が多いので、どうしてなんだろうとあれやこれや時々考えてみることがあります。 そういえばベネズエラから来た高校生も-彼女は半年ほどで驚くほど英語をマスターしていましたが、それでも-「英語って読みにルールがなくて綴りから推測しづらいからややこしい」とこぼしていました。 やっぱり言葉の違いというのが一番大きいのでしょうね。 スペインとかポルトガルでも「英語に苦手意識がある」という人は中南米と同じような割合でいるのかもしれません。 そういえばポルトガルでは英語がほとんど通じませんでした。私のつたない英語では「通じない」という表現が当たるかどうかわかりませんが。
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