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2007年 02月 05日
昨日の記事でSteveの台詞を引用した時、
Steve: I'm sorry. I said "Monkeys shouldn't play golf" と、""で括って直接話法のように表記したのだが、実際のアニメの台詞では特に直接話法っぽい表現はされていなかった。多分、あの表現をそのまま表記するとしたら、 Steve: I'm sorry. I said monkeys shouldn't play golf だと思う。 未だに「shouldはshallの過去形」という先入観がぬぐえないでいる。そのせいか、上に挙げたSteveの台詞も「じゃあ、これは直接話法に直したら"I said 'Monkeys shall not play golf'"になるのでは?」とつい思ってしまうのだが、話の流れから考えて"Monkeys shall not play golf"はおかしい。 手っ取り早く言うと、これは、 「確かにshouldは本来は『shallの過去形』で、いまだに過去形として使われることもある(例えば、直接話法の""の中のshallが間接話法の従属節で時制の一致の結果としてshouldになる、とか)が、基本的には独立した別の単語としてとらえるべきである」 ということなのだ。 とはいえ、独立した別の単語としてのshouldにもshallの名残はある。 shallの主な役割はwilと並んで未来のことを表現するのに用いる助動詞だ。ただし、本当に単純に未来を表すwillと比べると、shallは特別に色合いを帯びている。以下、以前自分で書いた記事より。 「つまりwillは単に未来の出来事というだけだが、shallを使う場合は、そこに主語とは別に文章の述語である動詞に作用する要素があり、その要素(人やもの)は動詞が表す主語の動作または状態を引き起こすのに最終的な決定権を持つが、普通、文章中には明記されないらしい」 この「主語とは別に文章の述語である動詞に作用する要素」は、Godとか運命とか、そういう「大きな(超大な)存在」、「絶対的な存在」であることが多く、その点で昨日の「shouldの意味のbe meant to do」の話とだぶる。 shouldという助動詞が主に意味する、『~すべきである』というような、義務とか当然とか(そういうものから派生する、必要とか命令とか要求とか主張とか意向とか)はもともとそこから来ているのだと思う。さっき「shouldにはshallの名残がある」と言ったのはこのことである。 しかし名残は名残にすぎない。確かに、『~すべきである』のshouldは今となっては何の過去形でもない。 そのことは私も重々承知しているのだが、一つどうしてもひっかかることがあってなかなか腑に落ちないでいた。 「例えば"I said, 'I should do that'"を間接話法に直したらどうなるのだろう?」 shouldの過去形はどうなっているんだ?という疑問だ。"I said I should have done that"だと意図しないニュアンス(「~するべき(するはず)だったのに~しなかった」)が加わるような気がする。 should (do)の過去形については、学校英語では「~するべき(するはず)だったのに~しなかった」という意味でのshould have (done)以外には特に触れられなかった。辞書で調べても、最初に挙げられる「shouldはshallの過去形」と言う説明でお茶を濁される形で、「義務の(そして、その他そこから派生する意味の)shouldの過去形」については一向にわからない。 それがついに、"Curious George's Low High Score"のSteveの台詞で、 「shouldの過去形はshouldである」 ということがわかったのだ。 とても嬉しい。 これは"I'd better to go"のhad better toや、"I gotta go"のgottaにも応用できそうだ。"I gonna go"にも応用できるかもしれない。 つまり、 「had better to doの過去形はhad better to doである」 「gottaの過去形はgottaである」 ということだ。 まあこういうものの過去形が問題になるのは直接話法を間接話法に直す時くらいだ。 gottaもgonnaも口語のかなりくだけた表現だから間接話法の従属節内で使うととても不自然な感じに見える。それは間接話法という表現そのものに「きちんと感」があるからだと思う。 それに会話では間接話法より直接話法の方が伝わりやすいことが多い。ということは、間接話法が使われるのは主に書き言葉の中、ということでもあるが、書き言葉となると「きちんと感」は一層増す。 had better to doについては、私にはそこまでくだけた感じはしないが、一般的にどう捉えられているのかよくわからない。これも『~すべきである』の仲間で、強制する度合いが強く脅迫的な感じがすることがあるから主語がI(私)の時以外は使うべきではない、という話は聞いたことはあるが。 あ、これも昨日と同じで「多分ね」の話です。 追記: Steveの"I said monkeys shouldn't play golf"は時制の一致とは関係がないのだ、ということにこれを書いた後で気がついた。 これ、"I didn't belive the earth is round"とか"The teacher taught us the sun rises from the east"というのと同じだ。真理とか永久的(または半永久的な)事実については時制の一致に従わず現在形を用いる、というやつだ。 Steveの"monkeys shouldn't play golf"は「サルというものはゴルフをしないものである」ということをサルの特性として言わんとしている。サルがサルであり続けるための特性というのは「半永久的な事実」と言っていいだろう。 だから『~すべきである』のshould (do)を時制の一致にしたがっての過去形にする場合にはshould have (done)となり、それで意味が伝わりにくいと思うなら他の表現方法、例えば直接話法などを採るべき。 ただし、shouldの本来の意味(Godや運命といった大きな存在の意図)からすると、基本的には時制の一致に従わないと考えてよいのかもしれない。
by liyehuku
| 2007-02-05 05:56
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