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2007年 02月 27日
大学入学当時のクラスメイトは15~20人単位で仲が良く、孤独を感じるのが怖かった私は何となくそこに属していた。(そしてそうやって何となく属し続けてわかったことは自分がやっぱり孤独であるということだった。)
そういう私の動機はどうあれ、すでに相当の年月を経た今でも付き合いは何となく続いている(ようだ)。やれ誰それの結婚式だの、地元で就職した人が上京するだのという機会があると今でも何人かは集まって一緒に飲んだりしている。「いる」とはいっても今の私はメールのやり取りでそれを知っているだけなので、私に関しては「いた」という方が本当は正しいのかもしれないが。 しかし潜在的母集団の規模が15~20人ともなると、中には私とはほとんど接点のない人もいる(いた)。「接点がなかった」というのは、顔を合わせる回数が他の人より少なかったということではない。(そもそも他の人と顔を合わせる機会もそんなにはなかった。)単に親しくなかったというだけで、はっきりいえばお互い反りが合わなかったのだろう。 何年か前、多分バングラデシュから帰ってきて渡米するまでの間だったと思うが、飲み会でそういう「接点のない人」の1人に、 「俺にはなんでだか全く理解できないんだけどさあ、○○とか△△とかお前のことすげえ心配してたんだぜ。お前、そういうの大事した方がいいよ」 と言われたことがある。 ありがたいと思うと同時にちょっとショックでもあった。 そういうことを言われて傷つくほど親しくはないが、ちょっとした不快感のようなものを感じた。 その時の気持ちを正確に表せば、 「筋合いのない人からこんな風に言われるってことは私は○○とか△△とかによっぽど不義理を働いているように見えるのかな」 であり、「ありがたい」というのはそのことに気付かせてくれたことに対して、ということである。 でも、大きなお世話だとも思った。ほんのちょっとだけだけど。 今でもその気持ち(ショック+ありがたさ)に変わりはない。 「大きなお世話」という気持ちにも。
by liyehuku
| 2007-02-27 07:07
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