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2007年 05月 27日
昨日の記事でもちょっと出てきたが「(親がカトリックだったので)もともとはカトリックだったけど、そこでは救いを得られず、今ではカトリックであることをやめている」という人は結構多い。
先日まで受講していたバイブルスタディの講師がそうだった。彼女は20代の初め頃までずっとカトリックだった。いつだったか、 「カトリック教会でも、イエスが人類を救った、ということは教えてくれる。でも私はカトリック教会で、イエスが個人を-私自身を-どう救うことになるのかについて答えを見つけることができなかった。今の教会と出会って初めて、私もイエスに救われた存在なのだ、ということを確信できるようになった。とても幸せなことだと思う」 と言っていた。彼女は今はバプティストである。 Dも昨日同じようなことを言っていた。(*1) 「最近、教会に通い始めたの。知ってる?この近くの・・・・・・」 「ああ、結構新しい教会でしょ?うちの戸口にもお知らせのハガキが置いてあった」 「いつも私の髪を頼んでいる美容師に紹介されて行ったんだけど、すごくよかったわ。いろいろなクラスやサービスがあるの。子どものデイケアもしっかりしてるみたい。 それにいろんな人種の人がいるのがいいわ。私、ここでいくつか教会を見て回ったけど、みんな、黒人ばっかりとか白人ばっかりとか、そういう所ばっかりでね。 今の所はいろんな人がいて居心地がいいの。みんなで一緒にお茶を飲んで話してても楽しいわ。パストールの話も素晴らしいし、私、メンバーになったわ」 「D?」 「何?」 「あなたの宗派(=Denomination)を尋ねても構わないかしら?」 「別にいいわよ。私、特に信仰している宗派(=Religion)はないのよ。 母がカトリックで、カトリックの家庭で生まれ育ったからクリスチャンではあるけど。 カトリックであることはやめたの。カトリックの教会ってね、何か知りたいことがあって質問しても『それは神があなたに与えられたことだから』って答えが返ってくるだけなんだもの」 やっぱり『ブラウン神父』を現実世界に求めるのは無理があるのだろうか? というより、聖職者である以上は「こうあるべき」という厳然たる基準を当てはめられることを受け入れざるをえないのだろうけど、所詮は人間だもんな。そのへんは、比喩的に「聖職」と言われることが多い(または、多かった)学校の教師が「所詮は人間」であるのと全く変わりがないだろう。 素晴らしい人もいるがそうでない人もいて。素晴らしい人にめぐり合えれば「カトリックは素晴らしい」となるが、そうでなければ「何でこの人が『偉い人』なわけ?」となる。カトリックでなければ、「パストールと合わない」→「じゃ、他の教会に」で済むところが、カトリシズム自体に不信感を抱いてしまう結果になってしまいがちなのだろう。(パストール、特に多くの信者を集めるだけの魅力を持つパストールの言説が、「権威あるもの」として流布されたり彼自身が「偉い人」と見なされたりすることは珍しいことではないが、少なくとも彼が宗教的かつ公的な意味で「偉い人」と規定されることはない。あくまで教会のほかのメンバーと同等の立場であり、カトリックの神父のように別格扱いはされない。) つくづくG・K・チェスタトンという人は運がよかったのだと思う。 *1: ただし、昨日の記事で書いたDに関する部分は、昨日の会話ではなく何ヶ月も前のDとの会話の中から拾ったこと。
by liyehuku
| 2007-05-27 06:27
| Memo
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