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2007年 08月 10日
実家には私の荷物がたくさんある。
既に実家を離れた、同じくらいの年齢の人たちを、仮に一まとまりの集団として捉えると、その一般的な基準から言ってもかなり多い方ではないかと思う。 住む場所を転々としているせいだと思う。 ①大学進学と同時に実家を離れる ②大学卒業後、就職するがその後1年間、研修生または実習生という身分だったため各地を点々とする(6箇所くらい)。その間住所は不定 ③正式配属が決まり会社の寮に入る ④青年海外協力隊への参加が決まり訓練所へ ⑤バングラデシュへ ⑥帰国後、復職に伴い、元の寮に入る ⑦入籍。渡米のために一時実家に身を寄せる ⑧テネシーへ ⑨そこで1度引越しした後、テキサスへ こうした引越しの都度、捨てるに捨てられない荷物を実家で預かってもらっているので、そんな状態になっているのである。(ただし⑧より後の引越しは実家の荷物の話とは関係なし。) このたび実家に滞在するにあたって、さすがにこれじゃいかんだろうと思い立ち、何とか荷物を整理しようと試みた。 とりあえず目に付いた箱を開けてみると、 ①クレジットカードを利用した際の控え ②各種「預金口座からの引き落とし明細」 ③給与明細、他会社関係の明細 ④海外旅行の思い出の品 ⑤手紙類 が入っている。 これをどうしたかというと、 ①5年より前のものは焼却処分 ②5年より前のものは焼却処分(結果、ほぼ全て処分することに) ③給与関連の明細だけ「今後の何かの参考のために」全部とっておき、あとは焼却処分 ④とっておく 問題は⑤だ。 手紙類の山を前にしばし悩んだが、 「さすがに小学校以来(=つまり自分が手紙や何かのやりとりをするようになってこのかた)のものを全部取ってあるのは、どこか過剰だ」 という気がして、ごく一部を除いて全て焼却処分にすることにした。 何しろ授業中に友人とやり取りしたメモの切れっ端までいちいち保存してあるのだ。さすがにこれについては、取っておこうと思った自分の気持ちがわからない。 それでも、捨てるにあたり、一応ざっと中身の確認をしておく。 もらった年賀状や暑中見舞いで図案(送り主の手になるもの)が気に入ったもの、今は音信不通になってしまった相手の、ひょっとしたら消息を知る手がかりになるかもしれないものは取っておくことにした。小学生の時、家庭教師に来てもらって以来、毎年必ず年賀状をくれる人からのものも全て取っておいた。(家庭教師をしてもらっていた当時は短大の学生で今は3児の母である。) 自分で書いて相手に渡しそこねた手紙なんかも残っていて、読んで暗澹たる気持ちになった。 過去のことを思い出す時、「今の自分」は「過去の自分」のことを客観視している。つまりいくら頭で「『過去の自分』も『自分』、少なくとも『自分』の一部である」と考えていても、実際にイメージとして頭に描き出されるのは「別の誰か」なのだ。 しかし「手紙」は、「『過去の自分』は紛れもなく私自身で、それは『一部』なんてものじゃなく、私そのものなのだ」ということを「事実」として(もしくはあたかも「事実」であるかのように)突きつけてくるのだった。 しかも高校生くらいの年齢で考えていることって、今となってはなるべく表に出さないように隠している部分であることが多い。それをその当時の私がさらけ出していたのかと思うと本当にいたたまれない気持ちになる。「うわーっ、やーめーてーっ!!」と心の中で何度も叫んだ。 過去にさかのぼりたい。そして穴があったら入りたい。(「ホラ、ここに穴作っといたからしばらく入っとき」と過去の自分を誘導してやりたい。) 年賀状や暑中見舞いをあらかた整理してしまってから、友人、知人からもらった手紙を読み返す。 小学校から高校ぐらいまでの間にもらったものには、友人関係の悩みの相談(もしくは不満の告白)だったり、小説やマンガのアイデアのやり取りだったり、といったものが多い。 大学や社会人になってからのものだと、近況報告(もしくは近況にまつわる愚痴)が圧倒的に多くなるが、そんな中、「○○ちゃん(=私のこと)はこういう人で・・・・・・」(例:「○○ちゃんって面白いよね」「○○ちゃんって不思議で・・・・・・」「1人で海外旅行に行くなんてすごく勇気があると思う」)という記述があちこちで目に付く。そして大学時代にもらった手紙にあるそういう記述はたいてい私を励ますためのものであった。 不思議なことに、もらったどの手紙からも私の姿は見えてこない。 「○○ちゃん(=私のこと)はこういう人で・・・・・・」と書いてあるものですら、そこからは「書いた人が私のことをどう見ているか」ということから「書いた人自身」の姿が見えてくるだけで、私はそこにはいなかった。 私は手紙を全部処分することにした。 私自身が書いたものがあれだけ私をいたたまれない気持ちにするなら、この手紙を書いた人たちもほとんどは同じような気持ちになるような気がする。 これが私の手元にまだ残っていることを知ったら、「頼むから処分して」と懇願するのではないか? (少なくとも私は懇願します。) 結局、実家にいる間に荷物整理できたのはたった1箱。 ちなみにその箱の中から定額預金の証書が出てきた。 念のため郵便局で確認したらまだ有効なものであった。(というのは、「多分、紛失扱いで再発行済みのものだろう」と考えて、危うく手紙と一緒に焼却処分にするところだったのである。) 母に怒られた。
by liyehuku
| 2007-08-10 07:03
| Diary
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Comments(4)
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by
ponpinn
at 2007-08-11 23:09
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ああ、手紙や日記は処分にこまりますよねぇ。
私も授業中に交換したと思われるノートの切れ端まで取っておくタイプです!(でも、結婚を機にだいぶ処分したけれど) 実家には結婚で家を出るときにすべてものを持って行け! とお達しがでたのでいまは主人の実家に日本においてある荷物と一緒にあります。 でも、もし、なにかあってその荷物を他人に見られたら…と思うと、やはり捨ててしまうべきだったかな、なんて考えたりします。
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liyehuku at 2007-08-12 12:16
うちは入籍、渡米がずいぶん急な話だったのでなし崩し的に実家に預かってもらっていますが、ことあるごとに「なんとかしてくれ」と催促されています。
>他人に見られたら… 何だかもう想像しただけで悪夢を通り越して悶死しそうです。 まあ、そういう場合、えてして本人は既に亡くなっていたりするわけで、そうなると逆にショックのあまり生き返ってしまいそうです。(なんとかしなければ>私) 卒論やら協力隊の隊員報告書やら、自分ひとりの力では今さら抹消できない汚点もありますが、「あれはヤバい」と思いつつ何故か放置してある(どころかわざわざ自分で取ってある)ことがあって、自分で自分が理解できません。 でもそういう人多いみたいですね。 人間て不思議。
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mikky
at 2007-08-22 23:20
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liyehuku at 2007-08-23 07:33
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