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2007年 10月 29日
「『イスラエルと神』と『米国』」について何かわかるかもしれない。
現在、旧約聖書を調査中。 後で適宜加筆・修正の予定。(2週間、もしくは1ヶ月以上たってから加筆・修正する場合はその年月日を付すことにする。) エルパソのVista Del Sol Baptist Churchにて、火曜日午前の女性向けバイブルスタディの一講座"Through the Bible in One Year"の、2007年10月16日に行なわれた講義(『ガラテヤの信徒への手紙』)が発端。 ◆米国が「イスラエル」を支援する根拠? "We are blessed by God. God will bless America as long as we support Israel. God said that he blesses people who support Israel and puts curses on people who curse Israel'...but we are losing the blessing because the government doesn't support Israel any more" おそらく旧約聖書からの引用。どこからなのか? (上の発言中の「引用」の部分についての記憶は正確ではない。講師の引用自体が大まかなものだった可能性もある。) ◆「滅ぼし尽くせ」 「○○は息子たちをカナンの娘と結婚させるのを嫌がりました。当時のカナンは堕落しきっていたからです。 民が約束の地に入るにあたって、神がカナンの諸国を滅ぼせと言ったのはそのためです。神は『男も女も子ども(babies)も動物も根絶やしにせよ』と命じ、最初の数ヶ国については人々は神に言われた通り、相手を根絶やしにしましたが、(人間は弱いので)だんだんと『こんな小さな子どもは殺せない』とか『こんなきれいな娘、殺すなんてもったいない』という者が出てきて命令が徹底されなくなり、その結果、彼らの兵力は弱くなりました」 これについても旧約聖書からそれについて書かれている箇所を探している。 出エジプト記後半→民数記→申命記→ヨシュア記の9章までを読む限りでは、 1. 迂回 ①「彼らに戦いを挑んではならない。○○の地は既に▲▲(の子孫)に領地として与えた」という内容の神の指示(申命記2:1-23) →セイル(→エサウ)、モアブ(→ロトの子孫)、アンモン(→ロトの子孫) ②イスラムの民が領土を通過することを拒否 -「もし、通るようなことがあれば、剣をとってお前を迎え撃つ」(民数記20:18) -しかしエドム人は、「通過してはならない」と言い、強力な軍勢を率いて迎え撃とうとした。(民数記20:20) →エドム人 2. 住民を滅ぼし家畜だけ略奪 -(神に命じられたので)(=「我々の神、主が彼らを我々に渡されたので」)男も女も子どもも滅ぼし尽くし、家畜だけを略奪した(申命記2:24-37) -民数記21:21-31によるとイスラエルの民が通過することを拒否したためとされている -しかしシホンは、イスラエルが自分の領内を通過することを許さず、全軍を召集し、イスラエルを迎え撃つために、荒れ野にあるヤハツまで軍を進め、イスラエルと戦った。(民数記21:23) →ヘシュボン(アモリ人シホンが治めていたアルノン河畔アロエルからギレアドまでの地域)(アンモンを除く) 3. 住民を滅ぼし家畜と分捕り品を略奪 ①男も女も子どもも滅ぼし尽くし、家畜と町から分捕った物はすべて自分たちの略奪品とした(申命記3) -主はモーセに言われた。「彼を恐れてはならない。わたしは彼とその全軍、その国をあなたに渡した。あなたは、ヘシュボンの住民アモリ人の追うシホンにしたように、彼にもせよ。」(民数記21:34) →バシャン(アモリ人オグが治めていた地域) ②住民をことごとく滅ぼし尽くし、家畜と分捕り品を略奪品とした(ヨシュア記8) →アイ 4. 追い出す その後、モーセはヤゼルを偵察するために人を送り、その周辺の村落を占領し、そこに住んでいたアモリ人を追い出した。(民数記21:32) →ヤゼル 5. 住民のみならず家畜も滅ぼす(分捕り品についての言及なし) 男も女も、若者も老人も、また牛、羊、ろばに至るまで町にあるものはことごとく滅ぼした(ヨシュア記6) →エリコ(ただし偵察の者を匿った遊女と、彼女と一緒に家の中にいる者以外) 6. 滅ぼす(家畜、分捕り品についての言及なし) ①【申命記7】(=モーセが示した律法の一部) -7つの民を滅ぼせ -アナクの子孫(申命記9)である7つの民のこと、すなわち、ヘト人、ギルガシ人、アモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人 -「あなたが彼らを撃つときは、彼らを必ず滅ぼし尽くさねばならない」 -出エジプト記34:11-16にも同様の記述があるがそこでは「見よ、わたし(=神である主)(引用者注)はあなた(=イスラエル)(引用者注)の前からヘト人、ギルガシ人、アモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人を追い出す」となっている →カナンの地 ②【出エジプト記17:8-16】 -主はモーセに言われた。 「このことを文書に書き記して記念とし、またヨシュアに読み聞かせよ。『わたしは、アマレクの記憶を天の下から完全にぬぐい去る』と。」(出エジプト記17:14) -(モーセは)(引用者注)言った。 「彼らは主の御座に背いて手を上げた。 主は世々アマレクと戦われる」(出エジプト記17:16) →アマレク 7. 相手側が敵前降伏 【ヨシュア記9】 彼ら(=ギブオンの住民)(引用者注)はヨシュアに答えた。 「あなたの神、主がその僕モーセに、『この地方はすべてあなたたちに与える。土地の住民を全て滅ぼせ』とお命じになったことが僕どもにはっきり伝わって来たので、あなたたちのゆえに命を失うのを非常に恐れ、このことをいたしました(後略)」 ヨシュアは彼らにそのようにし、イスラエルの人々の手から彼らを助け、殺すことを許さなかった。(ヨシュア記9:24-26) →ギブオン、ケフィラ、ベエロト、キルヤト、エアリム 神の命令は何度かあり、いくつかの例外(①にまとめた)を除いて、「(降伏しない限りは)住民を全て滅ぼし尽くせ」という点は共通していた。(家畜、分捕り品については、特に指示がない限りは略奪品としたようだ。) 「住民」には老若男女、子どもも含まれていた。 そして「その土地の住民を追い払う(または、追い出す)」(出エジプト記34:11、民数記33:52など)は、ほとんどの場合において「その土地の住民を滅ぼし尽くす」と同じ意味で使われている。 さらに、出エジプト記、民数記、申命記、ヨシュア記においては(そしておそらく旧約聖書のそのほかのBooksにおいても)、「主がその土地の住民を追い払う」ことと「イスラエルの民がその土地の住民を滅ぼし尽くす」ことは-原因と結果という関係でありつつも、同時に-同義である、ということもいえる。つまり、「主がその土地の住民を追い払う」とか「主がその土地をあなたに与える」とは、神の「ことば」を信じて攻め入れ、と言われているのと同じこと。 (もう少し説明を加えると、 「主がその土地の住民を追い払う」= 「主がイスラエルの民に勝利を約束する」+「勝利するために戦うのはイスラエルの民」= 「神の約束を信じて戦え」 ということである。そして「戦う」とは基本的に「住民を滅ぼつし尽くすこと」である。) 【出エジプト記33:1-3】 主はモーセに仰せになった。「さあ、あなたも、あなたがエジプトの国から導き上った民も、ここをたって、わたしがアブラハム、イサク、ヤコブに誓って、『あなたの子孫にそれを与える』と言った土地に上りなさい。わたしは使いをあなたに先立って遣わし、カナン人、アモリ人、へト人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人を追い出す。あなたは乳と密の流れる土地に上りなさい。しかし、わたしはあなたの間にあって上ることはしない。途中であなたを滅ぼしてしまうことがないためである。あなたはかたくなな民である。」 ◆補足:モーセとアロン エジプトからイスラエルの人々を率いてきたモーセとアロンは神の命に背いたため、約束の地を踏むことを許されなかった。民を率いて約束の地に入るのはモーセの後継者ヨシュア。 【民数記20:7-8】 主はモーセに仰せになった。「あなたは杖を取り、兄弟アロンと共に共同体を集め、彼らの目の前で岩に向かって、水を出せと命じなさい(後略)」 【民数記20:11】 モーセが手を上げ、その杖で岩を二度打つと、水がほとばしり出たので、共同体も家畜も飲んだ。 【民数記20:12】 主はモーセとアロンに向かって言われた。「あなたたちはわたしを信じることをせず、イスラエルの人々の前にわたしの聖なることを示さなかった。それゆえ、あなたたちはこの会衆を、わたしが彼らに与える土地に導き入れることはできない。」 民数記20章「メリバの水」については、神への信のあり方(神への絶対的服従)をよく表す箇所として以前の講義で触れられたことがある。 もっとも、クリスチャンにとってもすんなり理解するのが難しい箇所であるらしい。たかだか「岩に命じなさい」と言われたところを「杖で打った」くらいの違いで約束の地に入れないなんて、ひどすぎる、と感じる人が多いようだ。従ってこの「(信の)あり方」は、普通に備わっている感覚ではなく、実現するのが非常に困難な、しかし目指すべき理想のあり方である。 ところで、アロンは123歳(民数記33:39)でエドム領ホル山にて、モーセは120歳(申命記34:7)でモアブ領ネポ山にて亡くなっている。 普通の感覚からすれば天寿は全うしてなお余りあるような年齢だが、「メリバの水」について解釈する際は、いったん神によって約束されたものが神の命に背いたことによって覆されたということが重視される。ここでは何年生きたか(=長生きしたかどうか)ということは全く問題にはならず、そういう意味でアロンとモーセは「天寿を全うした」とはいえない。 しかし、それでもモーセは「神に愛された人」であって、天国に召されたと見なされている。 そういう意味では天寿は全うしている、らしい。
by liyehuku
| 2007-10-29 07:22
| Memo
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