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2010年 08月 14日
娘(もうすぐ5歳)はsoldierのことをgovernorという。
前に見たニュース映像の中で、何か式典に出席する州知事が軍服を着ていたので勘違いしているらしい。 昨日、夕方のニュースを見ながら彼女が、 「○○ちゃん(=娘のこと)、governors好きじゃない」 と言う。 「governorsってsoldiersのこと?戦っている兵士のことだよね?」 「うん。○○ちゃん、好きじゃない。人を殺すから」 ちょうどニュースではアフガニスタンの状況が報じられていた。 「そうね、人を殺すのはよくないことだよね。それは正しいよね・・・・・・でも、○○ちゃんの英語の学校(=現地校)でも、お父さんやお母さんがsoldiersという子どもはいるよね」と私。 「うん、学校にもgovernorsの服着た人がいて、○○ちゃん、そっちの方を見なかった」 「でもさ、あの人たち自分が殺したくて殺しているわけじゃないよね。この国ではそういう戦う人たちがいなければならないってことになっているの。soldierたちは、自分たちの国で戦わなきゃいけないということが決まった時に戦う誰かが必要だから戦っているんだよね。戦っていると人を殺さなきゃいけない時もあるの。殺したくなくてもそういう時があるのね。そしてそれはアメリカでは『国を守ることだから』『みんなを守ることだから』ってことになっているの」 「○○ちゃんの学校でも、今はもうやってないけど、そういうのがあったよね(*1)。まだMs.Marthaのクラスだった時に月曜日はみんな青いポロシャツを着なきゃいけなかったでしょ?あれは戦っている人たちに『ありがとう』って感謝の気持ちを見せるためにやっていたことなんだよ」 「日本にはそういう『戦う人たち』がいないの。何十年も前-○○ちゃんやお母さんが生まれる前、おじいちゃんやおばあちゃんがまだ小さかった頃-にそういうことにしようって国で決まったの。どうしてそうなったかはあなたが大きくなったらわかると思うわ」 「でもそういう国は日本くらいなの。他にもあるけど、そういう国は本当にちょっとしかないのよ。韓国にも、アメリカにも、メキシコにもそういう戦う人たちがいるの。それはそういう風に国で決まってるのよ」 「でも人を殺しちゃいけないのよ。それは○○ちゃんでもわかるよね?」 「うん」と娘。急にカメをいじめたらどうなるかという話を始める。 「そうね、動物も殺しちゃいけないよね。でもね、『動物を殺しちゃいけない』っていうのと『人を殺しちゃいけない』っていうのにはちょっと違うよね」 「例えばさ、カメを殺すのはよくないことだけど、食べ物がなくて死にそうな時、人間はカメを殺して食べるよね?そこまでいかなくたってさ、○○ちゃんもお母さんもニワトリの肉を食べるでしょ?あれはお母さんが殺してるわけじゃないけれど、人間が食べるために誰かが殺したわけでしょ?」 「でも、お母さん、ピーピちゃんを拾った時は死なないように夜もろくに寝ないで世話したよね。何でだろうね。ニワトリは殺して食べるのにね」 「うーん、ひょっとしたら『動物を殺しちゃいけない』っていうのと『人を殺しちゃいけない』っていうのに違いはないのかもしれないけれどね」 「本当はお母さんにもよくわからないんだ。でも違うと思ってるんだよね、お母さんは」 うちの娘が私の言ったことをどれほど理解しているかはわからない。 多分ほとんど理解できなかったのではないか。 それは話を始める前から自分でわかっていたことだ。自分にだって実はよくわからないことを説明するのだから。 でも、それでも説明する必要があるのだと私は思った。 私は日本に、それも小学校に上がる頃から原爆教育が施される広島に生まれ育ち、 「戦争は絶対いけないことだ」 という教育を受けた。そして子どもの心の中では、それはごく自然にそして単純に「戦争は人を殺すからいけないのだ」という風に結びついていた。 海外に出るようになってそれが変わったのかどうか、変わったとしたらどのように変わったのか、自分ではよくわからない。 娘の学校の同級生たちのうちで、子どもが昨日のような話をしたら親はどういう対応をしているのだろう? ただ、一つわかっているのは、もし私の子どもたちが日本で生まれ育っていれば、 「戦争は人を殺すからいけないことだよね」 と言えば済んだだろうということだ。 もし子どもがアメリカで生まれ育つとしたら、私は 「戦争どうしても起こってしまうものだ。国で決めたことに従って戦いに行く人は必要だし、それが自分たちの国を守るということなのだ。そして戦いでは人を殺すこともあれば殺されることもある」 つまり、 「人は殺してはいけないが、殺さなくてはならないこともある」 と言うのだろうか。 両親が日本人で日本の国籍を持つが、アメリカで生まれたので米国籍も持っており、いずれは日本に帰る子どもたちに、それをどう伝えればいいのだろう? 「人は殺してはいけないが、殺さなくてはならないこともある」という考え方を、私たちの帰国後の生活にうまく馴染むように伝えることはできるのだろうか? そもそも私はそれを自分の中でどう受け入れているのだろうか? 夕食後、息子(もうすぐ2歳)がいたずらをするのを見て、娘が、 「お母さん、△△(=弟のこと)、叩いてもいいよ」 と言う。 こういうことはよくある。「大したことじゃない」と聞き流そうと思ったこともあるし、状況によっては聞き流すこともあるのだが、娘がこう言うたびにどうしてもひっかかってしまう。ひっかかるというかざらりとした気持ちになるのだ。 「あのね、そういうことはアンタが言うことじゃないの!○○や△△が悪いことをしてそれ怒る時に叩くかどうかはお父さんかお母さんが決めることなの!子どもの決めることじゃないの!」 「本当は叩いちゃいけないの。叩くのはよくないことなの?わかるでしょ?」 「お父さんお母さんだって本当は○○や△△を叩いちゃいけないし、そもそも叩きたくなんかないの。それでも叩かなきゃいけないことがあるのよ」 「でもそれはそんなに簡単に決められることじゃないの」 「人を殺す」というのもそういうことなんだろうか? *1: 勘違いだった。 先日、新学年が始まるにあたってのオリエンテーションでもらったParent handbook(校則などをまとめたもの)に、 "We all wear red shirts on Friday to show our support for our military families" とある。昨年度も金曜日には制服の赤いポロを着て学校に行っていた。 昨年度からやらなくなったのは「月曜日に制服の青いポロを着る=神に対する信仰を表す」の方らしい。
by liyehuku
| 2010-08-14 02:16
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