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2010年 10月 15日
引越し前の話。
夫の会社が主催する送別会が日本食レストランで行われた。夫ともう一人別の日本人駐在員が同じ時期に本帰国するので2人とその家族のために行われたものである。 現地人(メキシコ人)のスタッフも何人か来ており、夫の向かいにはそのうちの1人で夫と特に親しくしていた人(立場上は上司に当たる)が座っていた。 私が子どもの面倒を見ている間に2人は何やら話をしていたのだが、夫が「ねえ、お母さん」と急に私に話を振ってきて、 「A(夫が話をしていたメキシコ人の友人)が下の娘さんを1年間日本に留学させたいと考えていて、うちにホームステイさせてもらえないかと言っているんだけど、お母さんはどう思うかね?」 と尋ねる。 私は「いいよ」と答えた。 国境を挟んでメキシコ側のフアレスは数年前から治安が極度に悪化している。世界で一番治安の悪いソマリアのどこかの次に治安の悪い地域だというデータがあるという話を1年くらい前に聞いたが、それが「一番(最悪)」になったという噂も最近聞いた。日本の外務省からもこの地域に対してはまだ渡航禁止勧告が出ているはずである。 アメリカ国内でも(実は)比較的治安がいいと言われていたエルパソに比べ、フアレスの治安はもともとよくなかった。それでも、私たちがエルパソに引っ越した当初あたり(3年半くらい前)までは一般市民が巻き込まれる事件はそれほど多くないという話だった。当時、上述の夫の友人(以下Aさん)は「アメリカから入ってくる若者が、こちらでは銃や麻薬が手に入るということで入ってきてことを起こしているから治安が悪いのだ」と言っていた。 それが変わったのはメキシコの大統領が「マフィア撲滅」「汚職の排除」を掲げ、軍を動員した強行策に出てからだった。(いきなり軍が動員されたのはもともとメキシコで警察は信用されていないからだ。) 弱小グループも含め当時フアレスで活動していたマフィアの組織は3つほどあったのだが、そのそれぞれと軍の間で内戦状態になる。そして治安の悪化に伴ってそれに便乗した強盗や誘拐や殺人が数え切れないほど起こった。一般市民が無差別に狙われる犯行にはマフィアとは直接関係のないものも多かった。まだそういう混乱状態が始まって間もない頃(2年くらい前)、フアレスのマーケットで「昨日、娘の夫が撃たれて死んだ」と商店の主人が話していた。同じ頃、Aさんの妻も親戚の人と買い物に出た際に路上でホールドアップにあったという。Aさんには買ったばかりの新車があったが車庫にしまったままにすることにした。そして彼らはその後自分たちが住んでいた家(街中にある)を離れることになる。今はもう無人になった家を売ることはできないという。家を売って金が入ってくれば犯罪のターゲットにされるかもしれないからだ。 夫の同僚は昨年末誘拐されて殺害された。 フアレスの市長(おそらく今は「前市長」となった)もエルパソに避難した。避難した上でマスコミを通じて「私は逃げも隠れもしない」という声明を出したと聞いたが、何かの冗談みたいな話だった。 それでも夫や他の駐在員たちは仕事のために越境していた。夫の会社(日本の本社)は「メキシコ側の職場が国境のすぐそばであること」「工場地帯であり、事件が多発しているダウンタウンとは離れていること」から当面は大丈夫と判断したという話を聞いた。(あと、スペイン語の通じない外国人を誘拐するより現地人を誘拐する方が効率がいいから、日本人はとりあえず大丈夫だろうという見方もあった。でも日本人にも「お前の家族を誘拐してやる」という脅迫があったという話を聞いたことがある。) 昨年のちょうど今頃だったと思う。大統領が「あと半年で事態が収拾できなければ辞任する」と宣言したが、その甲斐なく事態はさらに悪化した。 送別会の席でのAさんの話だと、この10月(つまり今月)にフアレスの市長が変わるとのことで、「新しい市長」は前市長(9月現在)なのだと言っていた。10月に入った今となっては前の前の市長が返り咲いて市長職に就いているということになる。そして前の前の市長ということは、かつて市長職に就いていた時にマフィアとの強力なパイプを持っていた人ということになる。 Aさんは事態はきっと改善するはず、だから娘を一時的に日本にやる期間も1年程度で済むだろう、と期待していたが、フアレスと深いつながりのあるエルパソの友人の話によれば「(前々市長がが復帰しても)収拾するには事態が悪化しすぎている」とのことだった。(そして、国境のすぐそばでダウンタウンから遠いから大丈夫、という見方にも相当疑問を持っているようだった。) 以上のような事情からAさんは自分の子どもたちを親戚やら友人を頼って一時的に他のところに避難させたいと考えている。彼には子どもが4人いるが、上の2人(女の子と男の子)は既に大学生だったりカレッジに上がる年齢だったりで、その場合アメリカに進学させればいい。多分、エルパソに進学させてエルパソに住まわせるのだろう。問題は下の2人で、うちに頼んできた下の娘は高校生、一番下の息子は小学生か、せいぜい中学生くらいである。 デトロイトだったか、アメリカのあのあたりに移住している親戚がいるので一番下はそちらに避難させようと思っているらしかった。 なぜ私は送別会の席で「いいよ」と即答したのか? 後で思い返してみて理由はいくつか思いつく。 まず一つ目は「面白そう」と思ったからだ。思えば私は全く同じ調子で夫のプロポーズにyesと答えている。(私たちは夫のアメリカ転勤を機に結婚している。私は、協力隊に参加する時に「一度海外に住んでみたい」と思ったのと同じような調子で、結婚そのものよりはアメリカという自分の知らない外国に住むことが魅力的だと思ったのだが、そもそも夫も私のことを「今、言わなければこの人一生結婚しないんだろうな」と思ったからプロポーズしたのだそうで、何というか、お互い様な感じの夫婦である。) 2つ目は、夫がAさんに対して特別に友情を感じているらしいこと、そしてそれを通じて夫や私たち家族が影に日向にお世話になっているのだろうと思ったことである。 私と夫は青年海外協力隊の同期だ。同じタイミングで同じ国に派遣され、結果的に活動の大半を共にすることになった。 協力隊に参加するにあたって3ヶ月にわたる派遣前訓練があり、その内容は現地語の習得を主としたものとなっている。バングラデシュに派遣される私たちにとっての現地語とはベンガル語だったのだが、その語学訓練で私の成績は悪くなかった。他の人と比べてできたと思う。 しかしというか、案の定というか、実際に現地に派遣されて私が痛感したのは「語学の出来不出来が問題なんじゃない」ということだった。 それは決して語学をおろそかにしていいということではない。それはそれで大切なことだ。武器にもなる。 例えば私の性格であれば語学ができるということは重要なことである。ただし、他の人にとってそうとは限らない。私の性格で語学すらできないとなると全然ダメだが、世の中には-数はそれほど多くないかもしれないが-語学なんかできなくったって全然大丈夫の人もいるのである。協力隊員にしても、現地語が得意でなくったって最低限生活できればOKだし、それに加えて課された任務すら遂行できる人だっている。 要はその人がどういう人かということなのだ。 (ただし協力隊員の場合、派遣前訓練中に行われる語学のテストに合格しなければ派遣取り消しということになっている。追試など救済策が設けられており、私が訓練に参加していた当時は語学が出来なくて派遣が取り消しになったという例は過去の隊員を含めてもなかったようだが、3ヶ月間、朝から晩まで訓練所の中でほぼ語学漬けという生活を送れば、さすがに全然出来ないという人はいない。) 私は「モテない人」で、それは相手が男性であるか女性であるかによらない。 海外に出て痛感したのは「日本でモテないものは海外でもモテない(少なくとも私はそうだ)」ということだった。それはもう、モロッコだろうがバングラデシュだろうがアメリカだろうがモテないものはモテない。イタリアあたりなら声くらいはかけられるかもしれないが、あそこは「女性に声をかけないのは非礼」という文化である。参考にはならない。「色が白けりゃ美人と言われる」(たいていの日本人はバングラデシュの人たちより色が白いと見なされて「きれい」と言われる)バングラデシュでも、私といわゆる「美人隊員」では現地の男性の扱い方は全然違うのだ。現地人の同僚たち(男性ばかり)が期待に目を輝かせて日本人女性の話をする時、「いや、あなたのことは置いといて」と私は除外された。私の個人的な話を差し挟むことは彼らの期待(というより妄想)に水を注すことになるらしかった。 ひょっとして、「美」の基準-外見的な要素だけに限らないので「モテ」の基準といった方が近いのかもしれない-は世界的に共通しているのではないか・・・・・・ といったぐあいに、これまでの話を今よく言われる「モテ・非モテ」論まで一気に一般化できるかどうかわからない。今確かに言えることは、少なくとも私には人類に共通する「非モテ」の要素があるらしいということだけだろう。 ・・・・・・と言いつつ、私は自分が立てた仮説(「モテないものは世界中どこに行ってもモテない」)が正しいにちがいないと密かに思っている。 というのも小さな子どもとか赤ちゃんというのは男女を問わずえてして男性より女性の方を好むものだが、その時の女性を見る目というのはとてもシビアなものだ。彼らにとって女性は若ければ若いほど、美しければ美しいほどいいものだが、何よりも大切なのは魅力的であるということである。そしてその基準(どういう人を美しいとみなすのかとか、魅力的というのはどういうことなのかということ)はやはり国によってほとんど違いがないように見える。そういった基準は「言葉で明確に表すと何かが零れ落ちてしまいマニュアル化は不可能だが、誰もが本能的に知っている」事柄のようだ。 私が初対面で小さな子どもになつかれることはまずない。 バングラデシュで私は人間関係に苦労した。 職場の権力ゲームみたいなものに巻き込まれ、それも恋愛とかそういう色っぽい話は抜きで、もろにコマ(有力なコマではあっても、単なる一つのコマであることに違いはない)としてその中に放り込まれた。私がうかつだったのだと思う。そういうことはちゃんと考えておくべきだった。社会人としてその可能性を事前に予測しておくべき事柄だったのだ。 「それに引きかえ」と私は夫(当時は単なる同期)を見ながら思った。この人は自分の属性が何であるかに関わらず、そして相手の属性が何であるかに関わらず-というのは例えば、相手が日本人であるかバングラデシュ人であるかに関わらずということである-同じように誠実に人間関係を築いているではないか。 人にアピールする魅力に欠けるということは確かに私の欠点だ。人間関係を築く上で何だか自分だけ損をしているような気がするし、このことは私にとってかなり大きなコンプレックスにもなっている。 でもモテない人にはモテない人のやり方がある。いや、それをやり方と呼ぶと何だか小手先のテクニックだけのもののように聞こえる。それだってやはり(=モテ基準と同じように)マニュアル化できないものなのだ。むしろそういう人たちがおのおの持っている世界の基盤のようなものだと思う。 バングラデシュで私は、いわば自分の泥沼状態と引き換えに、それまで見えなかった夫のそういう部分-簡単に言ってしまえば「人を見る目」とか「人への接し方」-が見えるようになり、自分がよって立っている「そういう部分」(自分の中にある世界の基盤)をようやく自分自身のものとして理解し始めた。だから私はこの人と結婚したのだ。 私は夫とAさんの間にしっかりとした友情関係があるのだと判断した。私は夫の「人を見る目」を今でも信頼している。夫がAさんの娘を引き受けたいというなら、たとえそれにトラブルが伴うとしてもそれ込みで引き受けるべきだと思ったのだ。 それに・・・・・・。 あの場でyes以外の答えが返せただろうか? 夫に聞けば絶対に「いや、別に嫌ならNoと言ってもらっても俺は全然かまわなかった」と言うのは間違いないが、多分(それがたとえ彼の無意識のうちであっても)私がyesと答えることを期待してわざわざその場で私に聞いたのに違いないと思っている。
by liyehuku
| 2010-10-15 22:41
| Diary
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Comments(6)
Commented
at 2010-10-16 09:47
x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented
by
liyehuku at 2010-10-16 13:51
鍵コメさん、
ありがとう。 夢に出てくるよねえ。 連絡先は今すぐ送っときます。
0
Commented
by
kuma
at 2010-10-17 19:59
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Commented
by
liyehuku at 2010-10-17 23:34
Commented
at 2010-10-21 22:20
x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented
by
liyehuku at 2010-10-22 20:29
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