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2010年 10月 22日
広島の実家から帰ってきたところ。
父がうちの娘(彼にとっては孫娘)を動物園に連れて行ってやった時のこと。 娘が女の子に話しかけて遊んでいると、突然その子がうちの娘の背中を殴ったり足を蹴ったりし始めたそうだ。相手の子は1つくらい年下のようだったと父が言っていた。 「その場にはその子の母親も祖母もいて見ていたのに何も言わなかった。よっぽどわしが言ってやろうかと思ったんじゃけど・・・・・・」 多分娘が、もうその子のところへは行かない、と言ってそれで終わりになったのだろう。 父曰く「○○(うちの娘のこと)は殴られたり蹴られたりしても『やめて』『殴るのはいけないことなんだよ』というだけでやり返したりはしなかった」そうだ。父は娘のことを「偉かったのう」と褒めたが、私は正直複雑な気持ちだった。 「やられたらやり返せ」というのはよく言われることである。 アメリカにも日本にもそう子どもに言う人は多い。多分、世界的に見ても珍しくないのだろう。 アメリカの場合、そこにしっかり理屈(「それはself defenceだから当然なのだ」という理屈)がつく。この点は日本とは違っているだろうが、だからといって日本とアメリカでそんなに違いがあるとも思えない。 ただ娘の場合、アメリカではいちおう「学校」に通っており、そこでの教育の影響が大きいとは思う。 娘の学校はクリスチャンスクールだった。「手を出す(=暴力に訴える)」というのは-たとえそのけんかが相手から仕掛けられたものであっても-厳しく戒められていたが、それを教えるのに聖書の教えを引いていた。(アメリカでは何にしても理屈がいるので、その学校が用いていた「理屈」が聖書だったということだ。) そしてその方針(例えば、叩かれたら叩き返すのではなく"You have no right to hit me"と相手に言いなさい、とか)は「言葉で表現すること」が高く評価される傾向があるアメリカの一般社会には親和性が高いものだった。おそらく日本では「言葉できちんと表現する」こと-たとえば日常生活の中で正しいことを正しいとしこととして主張すること-はそれほどいいことだとは思われないだろう。 娘を初めて学校(プレスクール)という場に出すにあたって、家庭→学校への流れがなるべくシームレスになるように、ゆくゆくはアメリカの学校→日本の学校への流れがシームレスになるようにと考えて学校を決めたはずなのだが、今は正直それ(特に「アメリカの学校→日本の学校」の部分)について自分が正しい決断をしたのかどうか自信がない。 上の子(娘)と下の子(息子)は正反対といえるほど全く性格が違っている。 上だからこう下だからこうという違い(後天的)と、女だから男だからという違い(先天的)と、それとは別にそれぞれが生まれつき持っている気質の違い(先天的)、これまで周囲から学んだものの違い(後天的)が相まって今の彼らになっているようだ。 例えば、娘が動物園で置かれたのと同じような状況に息子が置かれたら、彼の場合、相手の顔面をグーでパンチしていただろうと思う。それも、相手が手(または足)を出してくる前、あっちがガンを飛ばして来た時点で手が出ているはずだ。それで私も娘もしょっちゅう殴られている。 そういうわけで姉である娘はしょっちゅう弟に泣かされている。しかしというべきか、きょうだいの宿命だから当然というべきか、姉は姉で結構意地が悪かったりする。年が上なので意地悪も知能的だったり言葉の攻撃だったりして傍目にはそれはそれで結構えげつないのだが、悲しいかな敵は2歳児なので相手の顔面パンチでケリがつくことも多い。 手を出したら手を出した方が悪いというのは基本だが、それでもその場の状況と私の状態によって、姉の方(泣いている)を叱ったりけんか両成敗だったりいろいろである。今のところ一貫性はない。 そうやってえげつなくけんかしつつも結構仲良くやっていることも多い2人を眺めながら思い浮ぶのは、いじめられて泣いているお姉ちゃんをかばって弟が相手を殴りにいく、という、下の子が小学校の中学年ぐらいになった頃の将来図で、微笑ましいといえなくもないけれどそれはそれで頭が痛くなるようなそんな構図である。 「これから幼稚園に行ってね、何かあったら、お母さんに言いなさい。そうでなかったらおじいちゃんでもあばあちゃんでもお父さんでも、誰でもいいからとにかく誰かに言いなさい」 私は娘に言った。 「○○ちゃん、だいじょうぶだよ。○○ちゃんの友達が意地悪されてたりね、友達じゃなくても子どもが他の子どもに意地悪してたりしたらちゃんと『やめて』って言えるし、それでだめだったら先生に言うの」 笑って娘が言う。 「うん、まずは先生でいいから。それでもどうにもならなくなったらお母さんに言いなさい。いい?」 私が心配しすぎなのだろうか? でももしも娘が同級生にいじめられて辛い思いをしていたらどうしたらいい? 私自身がいっぱいいっぱいなのに。ちゃんと話を聞いてやる余裕すらないのに。 今の私には、 「お母さんはね、どんな形でもあなたを傷つける人は死んでしまえばいいと思うよ。そんな風に思うことは本当はいけないことなんだけどね」 と言うことしかできない。 たとえ彼女を一番損なっているのが実は私自身であったとしても。
by liyehuku
| 2010-10-22 22:08
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