リンク
カテゴリ
Diary DD&DS USA Japan Bangladesh Outside the Country Language Learning Lessons Crafts, etc. Nature Movie/TV Books CD/Music Art (General) Baby Products etc. Experimental Cooking The Baby Is Coming! The Baby Is Coming2 Other Memories Memo About the Weblog タグ
USA
English
Religion
Cultures
Books
My Family
Japan
JOCV
Movie/TV
ESOL/ESL
Bangladesh
Spanish
Dreams
Europe
Travels
CD/Music
Vietnam
India
Thailand
Australia
最新のトラックバック
以前の記事
検索
その他のジャンル
ブログパーツ
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
2010年 10月 24日
これからあなたにてがみをかきます。
こいうことをここにかくのがいいことなのかどうかよくわかりません。 でも、おかあさんはとてもよわいにんげんで、じぶんで「こうだ」ときめたことをわすれないでいることができないかもしれない。わすれないためには、ここにかくのがいちばんいいのではないかとおもったのです。 おかあさんはいつもいそがしくてあなたにおこってばかりだし、うっかりするとあなたにだいじなことをつたえることさえわすれてしまうかもしれないから。 あなたはこうえんでほかのひとにあうとかならず、きかれなくても「わたしのなまえは○○です」「これは△△です」とじぶんたちのことをしょうかいします。とおくにいるひとにわざわざいいにいくこともあります。 きょうもこうえんで「あのひとたちにこんにちはっていいたい。いってきてもいい?」としきりにいっていましたね。そしてなんども「こんにちは!」というのだけど、あいてのひとはまさかしらないおんなのこからそんなふうにこえをかけられるとはおもっていないから、ぜんぜんきいてなかったりきこえてもまさかじぶんにいっているのだとはおもえなかったりしたようでした。でもさいしょは「こんにちは」といってくれなかったひとたちでも、なんどかあなたがくりかえしているうちに、ようやく「こんにちは」といってくれるひともいましたね。 おかあさんはそういうあなたや△△(あのこもしらないひとにてをふるのがすきです)をみるととてもうれしくおもいます。でもときどき「ちょっとはずかしいな」とおもうこともあります。 それはたぶん、おかあさんもあなたくらいのちいさなこどもだったころは、きっといまのあなたとおなじようにしていたのだけれど、にほんではほかにそういうひとがあまりいなかったのでおおきくなるとやめてしまったからなのだとおもいます。 このまえおじいちゃんとどうぶつえんにいったとき、がいこくじんのようちえんのこどもたちがきているのをみて、 「○○ちゃん、がいこくのひと、すきじゃない」 といったとききました。 たぶん、にほんにいるときとあめりかにいたときではたくさんのことがちがうということを、あなたはもうしっているのだとおもいます。はやくにほんのようちえんにいきたいとおもっているから、いまはがいこくのことより、にほんのことをいろいろしりたいとおもっているのでしょうね。 これまでずっとあめりかにいて、にほんのことがわからないことでいっぱいなのはひょっとしたらとてもしんどいことかもしれない。 しらないひとに「こんにちは」ということがほんとうにすきで、あなたにとってとてもだいじなことなら、それをやめないでください。 なかにはしらないおんなのこから「こんにちは」といわれるのがすきじゃないひともいるけれど、あなたが「こんにちは」といってくれるのがすきというひともかならずいます。きっとそういうひとのなかにともだちがいるでしょう。あなたの「こんにちは」はそういうひとをみつけるためのものだとおもいます。 おかあさんは、あなたが「こんにちは」をつづけても、なにかりゆうがあってやめてしまってもあなたのことがおなじようにだいすきです。 あなたはさいきん、 「にほんにもGodはいるの?」 とよくおかあさんにききます。 「○○はどうおもうの?」 とおかあさんがきくと、あなたは「わからない」といいます。 「でもGodはどこにでもいるんだよね?○○のそばにもいつもいるんでしょ?いま、○○はにほんにいるんだから、にほんにもいるんだよね?」 というと、 「うん、そう」 といいます。 あなたがじぶんで「Godがじぶんのそばにいる」とおもえるのならそれはとてもすばらしいことだし、おかあさんもたいせつにしてあげたいです。それはあなたにとってはたからものみたいなものだからです。 でもだいじなものというのは、ほんとうにそうしなければならないときにしかひとにはみせません。それはじぶんのからだのだいじなところをふだんはぜったいにひとにみせないのとおなじことです。 あなたはくりすちゃんです。 でもおかあさんはじつはじぶんのことがよくわかりません。ひとによってはおかあさんのことをくりすちゃんだというし、たぶんそうでないというひともいるとおもいます。おかあさんはときどきじぶんのことをくりすちゃんだとおもうこともあるし、そうおもわないこともあります。(それについてはあなたがもっとおおきくなったらおはなしできるとおもいます。) でも、そういうおかあさんでもここのところまいにちかみさまにおいのりしています。 かみさま、おねがいです。 ○○にどんなことがあっても、○○はだいじょうぶ、ちゃんとやっていけるのだとしんじるつよさをわたしにあたえてください。 ○○がつらいとき、いつもそばにいてやれるつよさをわたしにあたえてください。 ○○をまもるべきときにはまもり、そのためにたたかうべきときはあいてがだれであろうとたたかえるよう、でもあなたのつよさをしんじてみまもるべきときはじっとみまもっていられるように、どうかわたしをただしくおみちびきください。 ほんとうは、あなたや△△につらいことがぜんぜんおこらないよう、かみさまにいのりたい。 でも、つらいことはどうしてもおこってしまう。とくにたくさんのことがおおきくかわってしまったいまのようなときには、つらいことがあるのはとうぜんのことです。 だから、あなたたちのぶんはわたしがひきうけるから、とさいしょはかみさまにそういいました。 でも、いきているなかでつらいことがまったくおきないことはありえないのとおなじように、だれかのつらいことをべつのひとがひきうけることはできません。もしそういうことができたとしても、やっぱりそれもあななたちにつらいことがぜんぜんおこらないようにいのるのとおなじくらい、とてもまちがったことなのです。 なぜなのかうまくせつめいできません。ひょっとしたらあなたがおおきくなっておとなになっても、おかあさんはあなたにうまくせつめいできないかもしれません。 でもそれがまちがったことなのはおかあさんにはわかっているのです。そしてたぶんあなたにもいつかはわかるのだとおもいます。(ひょっとしたらいまでもわかっているのかもしれないけれど。) おかあさんはよわいにんげんかもしれないけれど、あなたたちがつらいときでもそばにいてはなしをきちんときいてあげられるようにつよくなりたいとおもっています。
by liyehuku
| 2010-10-24 00:51
| DD&DS
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||