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2011年 03月 07日
子どもは寝ている時が一番かわいい。
もう少し調子がいい時ならそういう自分に対して「何てひどい母親!」と思ったりするのだが、いかんせん今は調子が悪すぎて、寝てる間だけでもかわいいと思えるだけマシな状態である。ほとんど育児ノイローゼみたいになっている。 こういうことを書くと心配してくださる方がいるので、いや、大丈夫です、ということだけは伝えておきたい。(ここにこうして書けるようになったのも少し回復したからなのです。心配しないでください。メールなどもご不要です。どうもありがとう。) 今はどうか知らないけれど、まだ鬱(病気としての鬱)が今ほど世の中にきちんと認識されていなかった頃、 「欝は心の風邪です」 という「ごく普通の病気だから臆することなく専門家に相談してください」ということを伝えるためのフレーズがよく使われていた。 私はその「心の風邪」をひきやすいタイプで、長年そういう自分と付き合うちに対処に慣れてしまったのだ。 そういう母親を持つ子どもたちを不憫だと思うこともあった。特に上の子(5歳の女の子)に対しては、 「この子は私が母親でなければもっとのびのびと育つことができたのに」 という罪悪感を感じることが多かった。 最近ではだいぶ開き直っている。 「こういう人間で迷惑かけるけど、あんたたちの母親は私しかおらん。我慢してくれ」 と思えるようになった。 今でも発作的に「私なんかが母親で不憫」という罪悪感に襲われることが全くなくなったわけではないが、だいぶ気が楽になった。 「育児ノイローゼみたい」と言ったが、問題が子供たちにないということはわかっている。私が感じているものの本当のところは彼らを育てることへの不満でも不安でもない。 私自身のアイデンティティが揺らいでいるのだ。自分の中に抱えている問題が子どもたちに投影される形でぶわっと出てきている段階なのだと思う。 多分、カウンターカルチャーショックというやつだ。とはいえ、外的に何か問題(周囲の人と摩擦があったり衝突したりということ)を抱えているわけではない。「今の自分の状態を他の人に話してもわかってはもらえないだろうな」とは思っている。孤独といえば孤独だがそれはしょうがないことだとほとんど諦めはついている(*1)。 「長期間外国で暮らしていた人が自国に帰ってから感じる生きにくさ」を「カウンターカルチャーショック」と呼んだところで、おのおのの人がそれをいつどのような形で抱えることになるかということを具体的に知ることはできない。人それぞれ、しかもその都度違うからだ。それは本人にすらわからない。 もちろんそういうレッテル貼り(認識)に全然意味がないわけではない。 例えていうなら「ケガをすれば痛い」ということなのだ。 その認識についてまず挙げられるのは「ケガをしたら痛い」ということがわかっていればなるべくケガをしないように注意することができるということだ。 しかし今の状況は私には避けられないものだった。 「ケガをしたら痛い」ということをあらかじめ知っていたところで、実際にケガをした時の痛みをなくすことはできない。今の私は「まさに現在進行形でケガの痛みに苦しんでいる」状態にある。 では、もう既にケガをしてしまっている私にとってその認識は役に立たないのだろうか。 いや、むしろ「ケガをしたら痛い」という認識で重要なのはその後の部分、「実際にケガをしてしまった場合、どうするか?」ということなのだと思う。 ケガの痛みをゼロにすることはできなくてもできるかぎり少なくすることはできるのだ。痛みは不安によって増大する。 自分の負っているケガはどの程度なのか。どういう処置を施すべきなのか?(自分で洗って消毒をするだけでいいのか?医者に行かなくてはならないのか?それとも救急車を呼ぶべきなのか?ひどいケガをした時や処置についてわからないことがあった時はどこに連絡をすればいいのか?)そういうことを知っていればやみくもに心配しなくても済む。 「カウンターカルチャーショック」についても同じことで、あらかじめ「そういうものがありますよ」「これこれこういうことがあるかもしれませんよ」「中には深刻なこともあります」「その時は専門家に相談しましょう」というようなことがわかっていれば、よほどひどい状態でない限りは自分のことを客観的に見ることができる。 もちろん、子どもたちへの影響を考えて「早く回復しなければ」という焦りは常にある。でも、むやみにあがいてもしょうがないということもちゃんとわかっている。 だから私は大丈夫です。 *1: 「ほとんど」といったのは、諦めがついているようで実はついていないのかもしれないと思うからだ。子どもたちに対して「他の誰にもわからなくてもあなたたちにはわかるはず。なぜならあなたたちは私の分身なのだから」という期待が知らず知らずのうちにあって、それが裏切られたという思いがこころの奥底のどこかにあるのかもしれない。そしてそれこそが今の状況の本当の姿なのではないだろうか?だとしたらそれは親子の距離を取り直すいい機会なのではないか?
by liyehuku
| 2011-03-07 23:19
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