リンク
カテゴリ
Diary DD&DS USA Japan Bangladesh Outside the Country Language Learning Lessons Crafts, etc. Nature Movie/TV Books CD/Music Art (General) Baby Products etc. Experimental Cooking The Baby Is Coming! The Baby Is Coming2 Other Memories Memo About the Weblog タグ
USA
English
Religion
Cultures
Books
My Family
Japan
JOCV
Movie/TV
ESOL/ESL
Bangladesh
Spanish
Dreams
Europe
Travels
CD/Music
Vietnam
India
Thailand
Australia
最新のトラックバック
以前の記事
検索
その他のジャンル
ブログパーツ
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
2011年 04月 07日
エルパソに住んでいた時、ママ友で日本人男性と結婚したタイ人の若いお母さんがいた。
夫の方針でタイ語も英語も使わずに3人の子供を育て、彼を喜ばせたいからと日本の料理もたいていのものは作れる。夫に対する彼女の献身ぶりに他のママ友たちは目を見張った(*1)。 ある時(*2)彼女が、 「私はね、最終的には日本に住むことになると思ってる。でももし旦那とダメだったらタイに帰る。お母さんはアメリカだけどお母さんのところには帰らない」 と言い、「●●さん(=私のこと)にはそういうSecond Choiceがある?」と尋ねた。 彼女は子供の頃に母親と一緒に渡米して以来、結婚後に一時期日本に住んでいた期間を除くと、計10年くらいはアメリカに住んでいる。(結婚後は母親とは別の州で暮らしている。) 彼女の場合、まず自分が築いた家庭が自分の「帰る場所」で、それはゆくゆくな日本に落ち着くことになる。その次がタイの祖父母のところ。(ひょっとしたら祖父か祖母はもう亡くなっているかもしれないが、姉はまだ地元に住んでいて彼女ととても仲がいい。)アメリカは選択肢には入らない。 私は答えに詰まった。しばらく考えた後で、ようやく 「私ね、他に帰る場所、ないのよ。ここしかないの」 と答えた 入籍する直前だったか、入籍した直後だったか(*3)、母は私に「いつでも戻って来い。ここはお前の家だから」と言った。母は私たちの結婚に反対はしなかったが納得もしていなかった。 母にしてみればそれは娘への愛情から出る思いやりであったかもしれない。しかし私にとってはいつまでも自分を離そうとしない枷だった。 戻れば私は二度とそこから出ることはできない。 私はぞっとした。 *1: ただし怒ると怖い。「包丁投げちゃった」と言うので、「皿にしときなよ。誰も死ななくて済むでしょ」とアドバイスした。うちがこちらに引き上げて来る際、欠けた皿をいくらか渡しておいたのだが役に立っているようだ *2: 確かうちの夫婦喧嘩が彼女の家に飛び火した時だった。私が彼女に愚痴る→その晩彼女が家でその話をする→彼女の夫がうちの夫の肩をもったため、彼女は私の肩をもって夫婦喧嘩に、という流れ。代理戦争 *3: 約10年前のこと。 結婚式は挙げてない。私の母の願いで結納だけは済ませた。そのことについて両親に対して申し訳ない気持ちはあるが、私自身はそれでいいと思っている
by liyehuku
| 2011-04-07 20:49
| Other Memories
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||