リンク
カテゴリ
Diary DD&DS USA Japan Bangladesh Outside the Country Language Learning Lessons Crafts, etc. Nature Movie/TV Books CD/Music Art (General) Baby Products etc. Experimental Cooking The Baby Is Coming! The Baby Is Coming2 Other Memories Memo About the Weblog タグ
USA
English
Religion
Cultures
Books
My Family
Japan
JOCV
Movie/TV
ESOL/ESL
Bangladesh
Spanish
Dreams
Europe
Travels
CD/Music
Vietnam
India
Thailand
Australia
最新のトラックバック
以前の記事
検索
その他のジャンル
ブログパーツ
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
2011年 04月 08日
頑張れとか復興とかって、多分、今言うことじゃない。(*1)
やっぱり母のことと関連付けて考えてしまう。今の私の状況だとどうしようもないことなのかもしれない。 さっきもテレビ(NHK)で「ボランティアがまだまだ足りない」という話をしていて、これからもどんどん募集され、応募する人もたくさん出てくるだろう。 そこに水を差すようなことは言いたくないのだけど、でもやっぱりこれだけは忘れちゃいけないんじゃないかと思うことが一つある。 必要とされるということと感謝されるということは分けて考えるべきだ。 どういうきっかけでボランティアを行うのであれ、与えられた作業をできるだけ淡々とこなすのがいい。 もちろん、「私は見返り(感謝も含めて)など期待しない」と思って参加する人が多いのだろうけれど、場合によっては感謝されないどころか怒りをぶつけられるかもしれない。援助を受ける人が必要そしているのは実は何よりも罵倒の相手だということは十分ありうる。 いっそのこと「感謝されること」なんか忘れてしまう方がいい。 そういう役割を引き受けるのは相当しんどい仕事になると思う。たとえ「感謝されること」を忘れたとしても。 本当に苦しんでいる人は自分の苦しみを相手に刻もうとする。 例えば、私の母が必要としているのは彼女の苦しみの責めを負う人である。 彼女は苦しみの中にいる。「なぜ自分だけがこのように苦しむのか」ということがわからなくてものすごく腹を立てている。そのため「私は悪くない」ということを絶えず確認せずにはおられない。 彼女はそのために誰かを必要としているのだが誰でもいいわけではない。 「相手」になるに相応しい人を彼女は徹底的に罵倒する。「私は悪くない」という証は常に更新されていなくてはならないので、そのために相手の欠点や落ち度を絶えず探している状態になる。 もちろん、「アラ探し」という言い方は本人にとっては心外だ。彼女にしてみれば、ただ目に付いてイライラするというだけである。 それを「病気(鬱)だからしょうがない」となんとかやり過ごそうとすると、こちらにとってより痛い部分を突かれることになる。まるでそういう態度は彼女にとって許すことのできない「逃げ」とか「手抜き」でもあるかのように。 「お前の本気を見せてみろ」と始終要求されているようなものだ。 彼女が欲しているのは要するに人間サンドバッグである。 しかし、1日24時間年中無休で人格攻撃され続けるのに耐えられる人はそうはいない。 でもそういう役割こそが本当に求められているとしたら、求められた人はどうしたらいいんだろう? 相手は溺れる手で掴む藁のように必要としている。 でも自分にとっては不当で受け入れることが非常に難しい。 そういう役割をどのように果たしていったらいいのだろう?(*2) *1: 加藤はいねさんという人(参照)の書いた文章に似ている。 似ているどころの話ではない。もう本人としか思えない。 ひょっとしたら作り話なのかもしれないけれど、だからといって読み手として腹が立つということもない。この辺りの「何がダメで、何がOK」なのかというラインは結構微妙なものがある。深刻なトラウマを受けた人がたどるといわれるある段階をとてもよく捉えているからOKと感じるのか?それだけではないような気もする。 結局、この記事の「お兄さん」の「俺たちを幸せになんてふざけたこと思わないで、俺たちの分、そっちもみんな不幸になってくれたらなー」という部分が、私が広島に帰省した時に感じた「どうしてこちらではまるで何事もなかったかのような日常が続いているのだろう」というもどかしさとダブるからなのかもしれない *2: ただし、被災者の場合、あくまでいつかは終わる一つの段階の中でそういう状態になっている人も多いので、まずは短期的な関わりの中でどう対応するかという考え方でいいのかもしれない。
by liyehuku
| 2011-04-08 14:35
| Diary
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||