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2013年 03月 09日
これまでこのブログに子どもたちのことを書く時は、主に私と娘(7歳)との関係に焦点が当てられていた。意図的にそうしていたのではなく、私自身が抱えている問題のせいで娘との関係に難しさを感じることが多く、自然とそうなっていたのだ。
ところが、最近は「そんなことありましたっけ?」というほど、状況が変化した。私と娘がある時期を乗り越えたこともあるのかもしれないが、それより、下の子(息子4歳)が大変なのである。 正直、息子に関しては「上の子で一通り経験しているから楽勝楽勝」と舐めてかかっているところがあった。つまり、今そのツケを払わされているのかもしれない。息子が表現したいのは「ぼくはぼくだ」ということなのだと思う。 では今、具体的に私と息子の間には何が起こっているのか?ここ2〜3日の例でわかりやすいものをいくつか挙げてみよう。 たとえば、一昨日、幼稚園からの帰り道、木に10羽ほどスズメが止まっているのを見て、 「あれ見て。スズメがいるよ。リンゴみたいに木に成っているように見えるねえ」 と私が言うと、息子は、 「ぼく、すずめすき」 と言った。それに対して私が「そうだねえ。スズメ、かわいいもんねえ」と言うと、息子は癇癪を起こした。 「ぼく、すずめすき、っていったんだよ。かわいい、っていってないのに、なんできいてくれないの!」 そして昨日の出来事。幼稚園で遠足に行くことになっていたのだが、朝出る時に妙にぐずるのである。幼稚園の門まで行ったところで「何か忘れ物をしたかもしれないから家に帰って確認したい」とか「やっぱりあっちのお菓子(選ばなかった方)がいいから家に取りに帰りたい」などと言い出す。 幼稚園が嫌いなわけでもないし、遠足は楽しみにしていたのだ。何となく漠然とした不安があるのではないかという感じだった。 しょうがないのでクラスの下駄箱の所まで付き添ったが、そこでもひとしきりぐずぐずし、そうしているうちに踏ん切りがついたのか、不意に私から離れて「行ってきます」とにこやかに手を振った。 前者は、自閉症的と表現するとわかりやすい言動である。ただ、他の子どもたちとの関わり方や彼らに対する関心の持ち方を見ると、自閉症であるようには見えないので、成長過程の一つ(一時的なもの)なのではないかと思う。 後者は、強迫神経症的な兆候で、私はどちらかというとこちらの方を心配している。というのも、私自身もそういう傾向が強いからだ。私の場合、日常生活に支障をきたさない程度にコントロールできているのだが、自分の中の漠然とした不安をコントロールするための自分なりの儀式とかルール(家事をこなす順番など)があって、それが乱されると違和感や不安を覚える。それは怒りにつながることも多い。家の外で会う分には私のそういう部分に気づく人はまずいないが、一緒に暮らしている人からみれば十分強迫神経症的なのである。気をつけないと、私と息子の間でピンポン感染みたいなことが起こりかねないのだった。(そのことに気がついたので最近は自分の手順を乱されてイラっとした時は、「私の漠然とした不安には根拠がない。今これができなくても全然問題ない」と呪文を唱えることにしている。) 思えば、娘も5歳くらいの時期にいろいろあった覚えがある。その時はちょうど米国での生活を終えて日本に帰ってきた時期だったので、当時はもっぱら「環境の急激な変化が確立しつつある自我に揺さぶりをかけているから」という捉え方をしていた。 しかし自我の確立というものはそれ自体が大きな事件なのだろう。 私の経験(子ども2人)では、子どもは4〜5歳の時期に「自我確立のための反抗期」(表出の仕方は様々かもしれない。その面倒臭いことといったらイヤイヤ期の比ではない)を経る。事情があって「甘える相手も反抗する相手も1人(たとえばうちの場合だと母親である私)しかいない」という状況だと、相手になる私にしてみれば職場のモラハラ上司が1日24時間、年中無休でうちにいるようなものである。(彼が幼稚園に行っている間だけが休息の時間である。)自分の自我を確立するために他人の自我を侵害するというか侵食するという意味において、モラハラ上司と幼児は似たようなものだ。 そう思えば、子どものそれはある程度しょうがないかな、と思う。ここできちんと折り合いがつけられればいいんじゃなかろうか。私の直観にすぎないけど。
by liyehuku
| 2013-03-09 10:32
| DD&DS
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