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2006年 03月 05日
2006年2月26日の日記の「でも日本人の「集団としての記憶」の持ち方とバングラデシュ人のそれの持ち方は明らかに違う」の部分に、メモとして追記。
もちろん、日本人の「集団としての記憶」の持ち方とアルメニア人のそれも違うだろう。さらに言えば、バングラデシュ人のそれとアルメニア人のそれも異なるのだと思う。 ・・・・・・などと考えて頭の中がぐるぐるし始めていた矢先に、『finalventの日記』の2006年3月4日分。以下引用。 「ルワンダ虐殺と関東大震災の朝鮮人虐殺とは異なる」の中で筆者は山本七平の『日本人とユダヤ人』からの引用を用いながら、 「日本人は朝鮮人に憎悪の感情を向けていたわけではなかったし、そう思われるような事件もなく、その後もない」 「特に重要なのは、関東大震災の朝鮮人虐殺といっても、その部落襲撃もなければ、その所有物の盗み出しなどもないという点だ。 たぶん、現代の日本人でも、そういう襲撃や略奪のことは想定もできないことではないだろうか。しかし、他国の歴史に見られる虐殺には普通につきまとうことなのだ」 「そうでなくても旗幟のみが問われる問題になりそうなので、結論を先に書いておこう。それは、ルワンダの虐殺と関東大震災の朝鮮人虐殺はとても異なるものであり、その差異をどう理解するかが日本人に問われるということだ。『あなたの子をアウシュビッツに送らないと誰が保証してくれよう』という懸念を、もし可能なら、薄めておきたいのだ」 私が怖いのも「あなたの子をアウシュビッツに送らないと誰が保証してくれよう」ということ。(既に自分の代にそうならないとも限らないと思う。) つまり、(日本人として)その辺りのことをきちんと区別しないということは、まさに「ルワンダの虐殺」(アルメニア人の虐殺も)を「自分とは関係ないこと」だと捉えているということになるのではないか? ちなみに同日の『finelventの日記』中の「歴史の感覚」(「いや、そうではないと思うのだ」)も-個人的に-参考になりそうだ。以下引用。 「『客観的、全体的、歴史的に把握する』ということは、歴史の認識ではない。歴史の認識というのは、小林秀雄がよく言っていたように、死んだ子の歳を数えるようなもので、ある情感を元にしている」 「先達の成功・失敗、愚行・善行、その全てを、それが自分の父母であるように受け止めることなのだ。 それは必ずしも『愛国心』でもない。うまく言えないが、そういう情感を経由しない普遍的な人間の認識がありえないという条件でもあるのだ」 「歴史を知るというのは、己が日本人であることを知らされ日本の歴史に刻まれていくことだ」 「理想的には、民族の歴史と情感は、人類の進化のなかに昇華されるものだが、それはそう理想的にはいかない」 「人間である情感は普遍性の原理から天下ることはできない」
by liyehuku
| 2006-03-05 02:19
| Movie/TV
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