私の中の冠詞問題にケリをつけようと思う。
英語の家庭教師を雇ったはいいが何を教えてもらうか、ということになって、昔読んだ『日本人の英語』(マーク・ピーターセン著)を読み直している。これまでも時々必要な部分だけ読み返すことはあったがじっくり読み返すのは久しぶりだ。
と、これまで散々私がここで書いてきた英語の冠詞問題の回答がズバリ書いてあるではないか。何故今まで気がつかなかったのだろう。
まず冠詞を考えるにあたって、その「もの」の数、文章でいえばその「もの」を表すのに使われている名詞が可算であるか不可算であるかということは切り離せない。そして本書によると、英語には根底に非常に精密な「数意識」があるらしい。
冠詞の大原則。
「a,the,ゼロ冠詞の使い分けに関してのルールは,結局のところは一つしかないといってもよいと思う.それは『冠詞の使用不使用は文脈がすべて』というものである」
(本書第6章「文脈がすべて-冠詞と複数」の「shynessとthe shyness」より)
これは「世の中にたくさんある名詞がそれぞれ可算名詞、不可算名詞という2種類に分けられるのではなく、同じ名詞でも文脈によって可算になったり不可算になったりする」ということでもある。(これについては第4章「間違いの喜劇-単数と複数」の「冠詞と数は環境で決まる」の中にわかりやすい表と例文があるので興味がある方は本書を参照していただきたい。)
とはいってもinformationやadviceなどどうしても可算名詞にはなれない名詞というのは確かに存在する。その理屈は第5章「思いやりがなさすぎる-純粋不可算名詞」の「純粋不可算名詞と純粋可算名詞」でこう説明されている。
「tubeの定義は,大まかにいえば,『丸く細長く,中の空ろなもの』であり,tubeのアイデンティティーは形そのものであるので,形以外の存在はないのである.tubeといわれて思い浮かんでくるのは,始めと終りのはっきりした中空円筒である.そのはっきりした始めと終りがあるかぎり,tube自体が自分の単位となり,どうしても数えられるはずである.one tube, two tubes,......と数える.
しかし、英語の都合によって,もっと漠然とした,材料的な意味での『管状の物』,『管類の物』,また『管というような物』に似たような言い方がときおり必要となるために,tubingという言葉が出来ている.tubingは不可算名詞である」
純粋不可算名詞は或る純粋可算名詞の「可算性の純粋さを汚さぬために」、別に作られたものであり、だから純粋不可算名詞を純粋可算名詞を補完するものだと考えるとすんなり頭に入るというのだ。同様の例としてmachine(純粋可算名詞)とそれに対するmachinery(純粋不可算名詞)のペアが挙げられている。
筆者は本書の中で繰り返し英語の数意識について触れ、日本人の場合、それを理解していることが英語の理解の重要なキーとなると説いている。
なるほど、第5章「思いやりがなさすぎる-純粋不可算名詞」の中で用いられている"She put in her cat in her microwave"の例に従って「英語の数意識」「電子レンジと冷凍庫」「飼っている猫は一匹」と読み進んでいくと、これまで疑問に思っていたことやなんとなく「そうかなあ」と思っていたことが明快に説明されていている。
例えば、
「英語では,いきなり"her cat"で紹介した場合,それはher one and only catという意味になる」(「飼っている猫は一匹」より)
"my friend"を使う時には気をつけなくてはいけないと前にどこかで読んだことがある。友人と話している最中に「そういえば友達がねー」と別の友人の話を出す時、いきなり"my friend"を使うと「その人こそが私にとっては本当の友達で、あなたは違うのよ」というニュアンスになりかねないので"a friend of mine"がいいのだとか何とか。あれも理屈は「飼っている猫は一匹」と同じだ。(もしかしたらこれを読んだのは本書の中でのことだったかもしれないのだが。)
しかし、中でも目からウロコが落ちたのは「電子レンジと冷凍庫」。
「なぜmicrowave ovenの場合はher microwaveというのに,冷凍庫の場合はherではなく,the freezerというかは,純然たる意識の問題である.具体的にいうと,冷凍庫というものは,どの家庭にでもあるというふうに意識されるが,電子レンジはまだそこまで普及していない.どの家にでも当然電子レンジがあるという意識は,近い将来にできるかもしれないが,今はまだない.その冷凍庫との意識の違いをherとtheの使い分けで表現する.her microwaveのherの単なる所有関係に対して,the freezerのtheは,
the freezer that is the expected part of any home
(i.e. that it is normal for any person to have)
という意味を与える.(後略)」(ちなみにこの本の初版は1988年)
昔、学校の英語の授業で
He hit me on the head. 彼は私の頭を殴った
He hit me in the face. 彼は私の顔を殴った
というような例文が出てきた時、それはon my headでもin my faceでもなくon the headでありin the faceなのだ、誰かの、その体の一部をどうにかする場合には「所有格+体の部分を表す名詞」ではなく「the+体の部分を表す名詞」なのだ、と習った。
これまでそれがずっと頭の片隅にひっかかっていたのだが、ひょっとするとこれも「体の一部は"that it is normal for any person to have"だから所有格ではなくtheなのだ」ということではなかろうか。
さて、ここまではいわば前置き。今日の日記の本題はここからだ。
私がしきりに気にしている定冠詞については第3章「あの人ってだれ?-定冠詞」で述べられている。それによると日本人はどうやら英文を書く時にtheを余分に付ける傾向があるようだ。
この「余分なthe」はネイティブ・スピーカーを混乱させるのだそうだ。特に文章の冒頭センテンスにそれがある場合、ネイティブ・スピーカーは「the ○○って一体何の○○のことなんだ!?」とイライラするものらしい。
ということは、先日の日記で、"The lion is a big cat"という例文を挙げ、「ライオンというのはそういうものだ」と言いたい時、つまりライオンという動物の属性(=一般的な特徴・性質)について述べる時に、"the lion"という表現を用いることがあり、この時の"the lion"は「ライオンというもの」とか、「概念的なライオン」というか「ライオンという概念」というようなニュアンスになる、と書いたが、こういう時に定冠詞を使うのは避けた方が無難かも。
そしてこの「概念的な○○」「○○という概念」という点に注目して、同じ日記の中で「"a kind of apple"でも"this kind of book"でも"apple"や"book"は可算名詞で、かつ単数形であるはずなのに"an apple"だったり"a book"となっていない。ということは"apple"は本来"the apple"であり"book"は本来"the book"であるということだ」と書いたが、"a kind of apple"や"this kind of book"の"apple"や"book"が「概念的なリンゴ」だったり「本と言う概念」だったりする、というのは当たっているとしても、そこにtheが省略されているというというのはちょっと飛躍しすぎだったかもしれない。
『日本人の英語』の説明(第4章「間違いの喜劇-単数と複数」の「冠詞と数は環境で決まる」)を応用すれば、appleもbookも"a kind of..."や"this kind of..."の中で使われることによって「リンゴそのもの」とか「本そのもの」を指す不可算名詞となる。
さらに本書の定冠詞に関する説明からは、不可算名詞はtheやthisなどの語を伴うことはあるのでたまたまtheがつくことはあるかもしれないが、特にtheが省略されているということではないし、もし「たまたま」を伴っているならそのtheは省略しえないはずだ、ということになりそうだ。
『日本人の英語』を読んでなお残った疑問は、
1. 口語で"Problem is..."(「問題は・・・・・・ということだ」)や"Thing is..."(「要するに・・・・・・ということだ」)という場合の無冠詞はどう捉えるべきか?この場合、指しているのはあくまで具体的な「問題」であり「こと」であると思うので不可算名詞とはいえないはず。もし可算だとすると省略されているのはaか?しかしaが省略されているとは考えにくい。とするとtheか?
2. 例えば映画『バッド・エデュケーション』。英語題は"Bad Education"で無冠詞。つまり、このeducationは不可算名詞でると思われる。ところが、スペイン語の題は"La Mala Educacion"で定冠詞がついている。この違いはどうして生じるのか?
3. ESOLのクラスで配られるプリント(スペイン語圏出身者向けの英語の教本からのコピー)でも、名詞の英単語は無冠詞なのに対しスペイン語の単語はelやlaという定冠詞を伴っている。この場合も例えば英単語がhedgeなら「生け垣というもの」「生け垣そのもの」という意味で不可算であると捉えるべきか?その場合、何故対するスペイン語の単語が定冠詞を伴っているのか?(2と同様の理由?)
それとも可算と捉えるべきか?その場合、対するスペイン語の単語が定冠詞を伴っていることから考えて英語で省略されているのも不定冠詞ではなく定冠詞であると考えるのが自然なはず。"the hedge"(「その生け垣」)とはどの生け垣のことなのか?プリントに描かれている生け垣を指しているので「「その生け垣」」なのか?
4. 英語とスペイン語、それぞれの言語の成り立ちや、ラテン系言語が英語に与えたであろう影響から推察するに、不可算名詞はもともとtheを伴う(というかtheに伴われている)ものだったのが後に省略されたもののではないか?
というわけで本当はケリなんか全然付いちゃいないが、これでひとまず一段落ということにしたい。
日本人の英語
マーク ピーターセン Mark Petersen / 岩波書店
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冠詞について/bancoとbanca