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2006年 07月 17日
前から思っていたのだが「あなたが無人島に行くならどんな本を持っていきますか?」という質問は変だ。
無人島といって私の頭に思い浮かぶのはサバイバルしなければいけない究極の状況だ。『ロビンソン・クルーソー』か『蠅の王』の世界である。 特に『蠅の王』みたいな状況になったらとても本なんか読んでいる場合じゃないと思う。『蠅の王』と似たような設定だがもっとほのぼのしている『十五少年漂流記』(未読)ですら誰も本なんか読んじゃいないんじゃないだろうか。 それとも「あなたが無人島に行くなら・・・・・・」という質問の「無人島」はバケーションで行くような所を想定しているのか? この質問に限らず、無人島というシチュエーションは想像上のいろんな場面で利用される。単なるサバイバルの場所というだけではこうも引き合いに出されることはないだろう。 たまに外国の大金持ちが無人島を買ったというニュースを聞くが、あれも単に所有欲からというわけではないのだろう。無人島は何かこう人のロマンチックな部分を刺激したり、そこに行けば仕事や人間関係のわずらわしさから解放されるのではないかという期待を抱かせたりするものではなかろうか。 しかし、他の人の回答を見てみるとやっぱりそこには「娯楽のため」や「のんびりした気分に合った」というような何となくといった感じ本ではなく、「自分が今まで読んできた中で一番好きである」とか「自分の生き方や考え方に影響を与えた」というようなその人にとってかなり重要な意味を持つ本が並んでいる。「座右の銘」という言葉があるが「座右の本」という表現がぴったりするようなリストになっている。 そういえば確かロビンソン・クルーソーは漂着した無人島で何か本を愛読していたのだっけ?(実は未読なのでよくわからないが。)無人島生活も長くなれば読書やら何やらといった楽しみも人間にはなくてはならないものなのかもしれない。 どんどん変に…―エドワード・ゴーリーインタビュー集成 カレン ウィルキン Karen Wilkin 小山 太一 宮本 朋子 / 河出書房新社 ISBN : 4309266843 スコア選択: 私にとって『どんどん変に…―エドワード・ゴーリーインタビュー集成』はそういう本になるのかもしれない。 この本を買ったのは、もちろんエドワード・ゴーリーの絵本を読んだのがきっかけだ。実家にも何冊かゴーリーの絵本(日本語訳のもの)があるが、絵もテキストもしばしば「悪趣味すれすれ」と言われるゴーリーの本を、全くその通りだと思う自分がどうして買ったのかわからない。好きだから買ったんだろうけどそうとも言い切れないような感じなのである。 その上どうして自分が本屋で平積みされていた(当時新刊だった)『どんどん変に…』を買ったのかもよくわからない。買ったのは渡米直前だったがあっさりと読み終わった。確かにところどころ印象に残る箇所はあった。 ゴーリーは隠遁生活を好んだ人である。私はその生活とそれを可能にした彼の潔い性格がうらやましかった。「ああ、私も彼のように生きられたら」とは思ったが、自分にそれが可能だとは思えなかった。到底可能とは思えないのでまさか自分が本当にそれを望んでいるとは思えないほどだった。結局、自分にはこの本に対してもエドワード・ゴーリーの絵本に対しても彼本人に対しても思い入れはほとんどないように思えた。 渡米のために準備した荷物は既に重い。それをわざわざさらに重くする必要もないと考えたので読み終わった本をそのまま実家に置いていくことにした(ちなみに渡米直前、私は2ヶ月ほど実家に滞在していた)。 しかし、その後米国に住み始めてから私はさらに"AMPHGOREY"、"AMPHGOREY, TOO"、"AMPHGOREY, ALSO"を買う。この3冊はゴーリーが発表した作品(主に絵本)の総集編である。これも特に折りに触れて読み返すというわけではなく、最近まで本棚に入れっ放しだった。 そのくせ『どんどん変に…―エドワード・ゴーリーインタビュー集成』のことは、折りに触れて時々気になっていたのである。手元にないとなると余計に気になり、その気持ちは募るばかり。そこで今回一時帰国して実家に滞在している間に本棚から引っ張り出して読み返してみた。 そうして読み返してみて、エドワード・ゴーリーの人物像が、私が私自身を足がかりにして今後到達しうる理想像に限りなく近いのだということに気がついた。 『どんどん変に・・・』で浮かび上がってくるゴーリーという人物と私の間には人間性という点で、しかもそのかなり重要な部分に共通点が確かにある。彼の考え方や好み(ものごとに対する好き嫌いの基準)に私は全く共感できるし、そういうものに即して生きた彼の潔さが自分のものであったならとやっぱり今でも思っているのだ。彼の考え方や好み、生き方隅から隅まで寸分の違いもないほど好みにぴったりなのである。 私が仮にゴーリーの絵本を好きだったとしても、それは彼の「考え方や好み(というかものごとに対する好き嫌いの基準)、そしてそういうものに即した彼の生き方」の一部であるからに過ぎない。つまり彼の作品そのものを好きなわけではないのだと思う。 しかしゴーリーを最初に知ったのは彼の絵本の作者としてである。ということは彼の絵本には「考え方や好み(というかものごとに対する好き嫌いの基準)、そしてそういうものに即した彼の生き方」が表れているに違いない。 ・・・・・・とここまで書いて、続けて具体的にゴーリーのどんなところに私が共感しているのか『どんどん変に…―エドワード・ゴーリーインタビュー集成』の中から引用しようと思っていたのだが、長くなったのでまた今度。
by liyehuku
| 2006-07-17 11:07
| Books
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