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2006年 08月 09日
「親がなくても子は育つ」
という常套句がある。 しかし子育て中の母親にしてみると、とりあえず家族の衣食住は確保できており、これまでのところ子供の体調にも親の体調にも大きな問題がなく、見込み(実際には将来のことはわからないので希望的観測に過ぎないにせよ)としてこの先もおそらくそうであろうという状況であれば、重要なのは「この子がまがりなりにも生きていけるかどうか?」ということではなく、それより踏み込んだ、 「どう育つか?」 ということである。 そうなると悠長に「親がなくても子は育つ」とは言っていられないのである。 「ウチの子、発育が遅れてるんじゃないかしら?」 妊娠中に読んだ育児書なんかでよくこの手の質問を見かけた。そしてそのほとんどが「その子それぞれのスピードで成長するんだから気にしなくていいんじゃないの?」と思うようなものだった。 ところがいざ自分の子供が生まれてみて、おそらくこの質問の多くが、子供の身体に器官的な問題があるのではないかという心配より、「私の抱っこが足りなかったんじゃないかしら?」とか「私が甘やかしすぎたんじゃないかしら?」という、「ひょっとしてこの子の発育が遅れているのは自分のせいじゃないかしら」という心配から出ているのだ、ということがわかった。 もちろん、「子供の身体に器官的な問題があるのではないか?」という心配がないわけではないが、それよりもまず先に「自分のせいじゃないかしら?」という気持ちが湧いてくるのだ。子供は本来成長する力を持っているのに、その子供の足を他ならぬ自分が引っ張っているのではないかという漠然とした不安である。 でも私は思う。 「子育ては(よっぽど極端なことをしてない限り)"Don't feel guilty"で行くべし」 そう自分に言い聞かせる。 出産後、退院する際に看護婦長から受けたアドバイスは"Don't feel guilty"だった。 いつも辞書代わりに使っている『シアーズ博士夫妻のベビーブック』に「おむつかぶれを個人攻撃のように受けとらないことです」という文章がある。この本の中には他にも「○○(赤ん坊の状態)を個人攻撃のように受けとらないことです」という主旨のアドバイスがあるが、そういったアドバイスの根底にあるのも"Don't feel guilty"であろう。 何気なく聞き、目にしていたこの言葉だが、今すっかり腑に落ちた。 たとえ仮に自分が本当に娘の足を引っ張っていたとしても、"Don't feel guilty"と割り切ってしまった方がいいのだ。guiltyという感情にいつまでも侵されているとろくなことにならない。それは確かなことだ。 だからguiltyなんて感情、捨てちゃえ。
by liyehuku
| 2006-08-09 01:38
| DD&DS
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Comments(6)
なんてたいむりーな。。
昨日夕方あんまりにもそらが泣くので(しかも足にまとわりつきながら)まいってしまいました。 ママは君のゴハンを作ってるんだよ!! ぎゃんぎゃん泣くので「うるさい!!」は控えていたものの「ぎゃああああ」っと奇声をあげてしまった。。。 そのあとそらに言ったんじゃないんだよ、と謝りました。 結局おなかがすいていたらしく、その場で出来たおじやを二口食べたらけろっとしてる。 まだ食べるかとテーブルに連れて行ったら食べない。 ぶちきれそうでした…泣 ちょっと母失格?と思ってたところ。
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liyehuku at 2006-08-09 23:57
kanaさん
まずはそらちゃんの立っち、おめでとうございます。 いやー、めでたい。 >「ぎゃああああ」っと奇声を 私もあるなあ。結構あります。「うるさい!」って言ったこともある。 ウチの娘、頑固というか癇が強いというか、癇癪を起こすとすごいんですよね。それでつい・・・・・・。 例の本に、「子供が怒り狂ったとしても、あなたがその原因をつくったわけではないし、あなたがそれを静めてやる責任もないのです。『子供を支えてあげる』、それがあなたの役割です」(→だから子供が癇癪を起こした時はまず親が冷静でいなくてはならない)とあるのを読んで、「ふむふむ、いいこと書いてあるなあ」と思いつつ、それでもどうにもならない時はあるわけで・・・・・・ふぅ。 お母さんも日々成長中だから。 アンタ(娘)が生まれてくる時に一緒に「お母さん」も生まれてたのよ。だからまだまだ「小さいお母さん」なの。 「小さいお母ちゃん」・・・・・・これは誰かの話の受け売りですが。 (ブログ『ヒトのにくばかりやくな』だったかな?)
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liyehuku at 2006-08-13 08:19
>ほんとに救われました
自分に言い聞かせるように書いた記事ですが、そう言っていただけると嬉しいです。 私もkanaさんのブログを読んで「自分だけじゃないんだ」とほっとすることがありますよ。 「もちつもたれつ」ってこういうことかなあ、と思うとちょっと気持ちが暖かくなります。
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liyehuku at 2006-08-13 08:30
追伸:
「小さいお母ちゃん」の出所(『ヒトのにくばかりやくな』2005年4月22日「アトピーとやさぐれと」)発見したのでURLをコピペしておきます。 http://ameblo.jp/ska-ska-chang/entry-10001571432.html 以下その記事から抜粋してコピペ。 『いやさ、だからさ、 女性限定の母性ちうものはないと思うわけよ。 ドリームなのよ。 もとから完成されてる母親なんていねえのよ。 でもまあ強いていえばさ コドモ産むときにさ ついでに「おかあちゃん」てのも一緒に産むわけよ。 オギャーよろしな、と。 そんでコドモと一緒に まだまだチビこい「おかあちゃん」も育てていくわけよ。 んだもんだからコドモがグレることがあるよに 「おかあちゃん」もグレちゃうこともあるわけよ。』 あと、上の記事を探している時、別の日の記事に 『いやさ、まずさ、言いたいのはさ 「自然」と「母性」と「本能」とやらで 育児ができると思うなよ!』 (2005年4月8日「幻想と制度と拳王さま」) とあったのを見つけたのでそれもついでに。 http://ameblo.jp/ska-ska-chang/entry-10000384486.html
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