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2006年 08月 26日
米国で「プロライフ」、「プロチョイス」といえば、前者が妊娠中絶反対派ということで後者が妊娠中絶容認派ということだ。
プロライフ派やプロチョイス派の人たちが、具体的に何に反対し、何を容認しているかというと、法律(問題にされているのは主に各州の法律)で中絶を認めることだ。容認というのは、「中絶するかどうかにについて妊娠した女性本人に法律上の選択権があることに賛成」ということである。 プロチョイス派が言いたいのは、 「妊娠した女性が中絶を選ばなければならないやむをえない事情というのは確かにある。だから、妊娠した女性に中絶を選ぶ権利はあるべきだ」 ということだ。また、その権利には、「個々のケースがやむをえない場合であるかどうかを妊娠した女性個人が判断できる権利」が前提になっているはずである。 プロチョイスといえども「中絶するのはいいことだ」と思っている人はまずいない。中絶する選択権を法律で認めるべきだと考えてはいても、個人的には「自分が妊娠を望まないならセックスの際はきちんと避妊する」という人は多いだろう。何らかの事情があって望まない妊娠をしてしまったという場合にも、社会的な立場としてはプロチョイスを採っていても自分は中絶を選ばないという人も中にはいるのかもしれない。 プロライフにしろプロチョイスにしろ、どちらにもそれぞれの立場なりの根拠がある。そして、その運動や議論が米国で組織され行なわれている限り、その根拠はキリスト教に帰されているはずなのである。そして、双方の活動が組織的な運動として展開されているからには、公式的な見解の拠り所として一義的に決まった根拠がそれぞれの立場にあるはずだ。 米国で「私は無宗教です」と言っても別に構わないが、「私はGodを信じません」と言うには相当の覚悟が要る。 私の英語の家庭教師(ブログ上では仮にEと呼んでいる。クリスチャン)が、 「もし、この地域(私たちが今住んでいる地域)の人たちに、たとえば自分が仏教徒である、とあなたが言ったら彼らはそれを信じられないことだと思うだろう。彼らはクリスチャン以外の人を同じ人間として見られないのだ」 と言っていたが、もしそれが本当なら、それはイスラム教でもユダヤ教でもなく仏教だから、ということも大きいのではないかと思う。 彼らにしてみれば、「私は仏教を信じている」と言われることで、急に相手が何を考えているかわからない人に見えてくるかもしれず、そこから相手が「同じ人間とは思われない」という認識を持つ人がいてもおかしくはない。「相手が何を考えているかわからない」という感覚から「同じ人間とは思われない」という認識に至る道のりは近い。 もちろんアメリカのクリスチャンにも他の宗教に関心や理解がある人はいる。 「たとえ或る宗教の中にGodという概念がなかったとしても、必ずそれに相当するものがある。だから私たちは同じものを信じていると解釈することができる」という風に捉えている人が多いのかもしれない。例えば、映画『プロフェシー/ゴッド・アーミー(1995年)』のラストシーンに流れる主人公のナレーションにそれがうかがえる。 ただし、そういう風に捉えている人たちにしても、たとえば仏教で、キリスト教のGodにあたるものが「人格神」としての性質を全くもっていない、ということをイメージできる人は少ないのではないかと思う。 或いはそれを知識として知ってはいても、それによってどれほどの違いが生じているのかについて認識していない人が多いのではないか。 また、認識している人はその点についてはあえて触れないようにしているのではないか。 G・K・チェスタトン(イギリス人)は『正統とは何か』という本(*1)の中で、キリスト教の神が人格神であり、そのことが(少なくとも彼にとっては)非常に重要なのだと何度も強調している。 私がそれに共感するのは、私には「人格神」というものがどういうものなのかわからない、頭では理解できても自分のものとして捉えられないために、信じている神(或いは神に相当する存在)が人格神であるかそうでないかの違いは大きいのではないかと思うからだ。 身近な例で言うと、私は自分が神、または神に相当する存在を信じているとは思うが、それがESOLの先生(Mrs.S。クリスチャン)が言うGodと同じものだとはとても思えない。 話を戻そう。 「他の宗教に関心や理解がある人」は都会に行けば行くほど増える傾向があるし、ここ(都会ではない)はバイブル・ベルトの中なので米国の中でもそういう人が特に少ない地域であることも考えられる。自分がここで経験したことや直に見聞きしたことを米国の特徴として一般化することはできないかもしれない。 しかし、(少なくともテレビや映画からうかがい知る限り)全米的にみても「私はGodを信じません」と言うことはかなり勇気のいることであり、そしてたとえば、誰かがテレビの番組で「私はGodを信じています」と言い、他に自分の信仰について何の説明もせず、外見上に特にその人の信仰を表す特徴(たとえばブルカを被っているとか)がなければ、彼/彼女はクリスチャンということだ。 ということは、プロライフにせよプロチョイスにせよ、彼らの主張は絶対にそれぞれの立場からキリスト教の中に求めた根拠の上になりたっているのである。そしてその根拠は「一人の人間の生命の起源はいつか?」をどう解釈するかにかかっているはずだ。 プロチョイス派もその「受精卵」が人間(子供)なら、どんなにやむをえない理由があろうとも中絶を(少なくとも彼らの公式的な見解としては)認めないのである。 以前から、その根拠(それぞれの)に興味があったのだが、ずっとわからなかった。クリスチャンには容易にわかるものなのかもしれないが、私には何か手がかりがなければどこをどう調べていいのかもわからない。いっそ他の人(アメリカ人)に尋ねてみようかとも思ったがなかなか持ち出せる話題ではない。 そんな時、CBSの『CSI: 科学捜査班』というドラマの或るエピソードで、双方の根拠(と主張)がうまくまとまっているのを見つけた。昨日、その回の再放送があった。 ラスベガス市警(LVPD)、科学捜査班(CSI)の捜査員キャサリンが、或る殺人事件の捜査に協力を求めるためにProject Sunflowerという団体を訪れる。Project Sunflowerは、望まない妊娠をした女性の受精卵を、子供を望む別の女性の子宮に移植することを「神の意図」として行なう団体(*2)だった。代表から団体の活動内容と主旨の説明を受けて、プロチョイスのキャサリンは思わず、 「16世紀の教皇が『受精後40日未満の受精卵は子供とは認めない』と言った」 「歴史的に振り返ると、(キリスト教)教会は長い間、『母親が初めて胎動を感じるまでは子供とは認めない』という公式見解を採ってきた」 という根拠を示しつつ、代表の言ったことに対し個人的な(しかも否定的な)意見を言ってしまい、その場は険悪なムードに。 後で代表が電話でCSIに苦情を申し立て、チームの主任ギルから注意を受けたキャサリンは、 「仕事として行ったのに個人的な見解を表明しすぎたことは自分でもわかってるわ。それが彼女の気分を害したのなら申し訳ないと思う」 と謝意を示しつつも、つい、 「だって私はプロチョイスなのよ。だからつい・・・・・・」 とぽろっと言い訳をしてしまう。すると、ギルが、 「レビ記の17章11節には"Life is in the blood"とある。つまり(代表が『卵子と精子が出会った時に生命が誕生する』と主張しているように)卵子と精子が出会った時に生命が誕生するのだと聖書にも書いてあることになる」 「正確には受精後18日後ということだが。というのは受精卵は受精してから18日後に血液を作り始めるからだ」 という説明をした。キャサリンはそれを聞いて、 「それはあなたの個人的な見解なのか?」 とギルに問う・・・・・・ その時のギルの答えを聴き取り損ねたが、だいたい、 「もし個人的に女性と話していてそういう話になり、聖書に書いてあることについて科学的な根拠があるかどうか聞かれたら、今、君に言ったのと同じことを答えるよ」 というような意味だったと思う。 キャサリンはなおも「それがあなた自身の見解なのか?」と食い下がるが、ギルは肩をすくめただけで、YesともNoとも明言しないまま立ち去る。 以上、今後の参考のために大まかにメモ。 *1: チェスタトンの自伝に近いエッセイ集。チェスタトン自身の信仰を軸にして宗教について語っている。彼には若い頃から自分の中で様々な信仰の変遷を重ね、その中には無神論も含まれていたが、基本的なバックグラウンドは英国国教。最終的にカトリックに改宗している(48歳の時)。 *2: テレビのCMで「中絶するなら養子縁組を」と呼びかけるもの(例えばAGAPEという名前の団体のCM)があるが、あれはさすがに受精卵の移植のことではない・・・・・・はず。 米国ではこうした養子縁組が盛んで、プロライフ派の考え方としては「だから中絶する必要ないでしょ」というのもあるのではないかと思う。(確認はしてないが。) ・・・・・・そうそう、ドラマでは受精卵を移植すれば「養子」ではなく「実子」になり、そのことが受精卵の移植を受けて子供を産んだ被害者には重要だったらしい、という設定だったのだ。
by liyehuku
| 2006-08-26 13:10
| Movie/TV
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