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2006年 12月 19日
セーターを洗ったら縮んでしまった。
越してきた家の洗濯機の扱いにまだ慣れていないから設定を間違えたのか? 水の温度が途中で変わってしまったのか? 手洗いにすべきだったか。 いろいろ考えてみたが、洗ったウール物二着のうちカーディガンの方は問題ないのでセーターの素材に原因があるのだろう。 取り扱いタグを見てみるとクリーニングのタグが付けっ放しだ。濡れてふやけている。そういえばこのセーターを自宅で洗うのは初めてだったかもしれない。あまり袖を通してないのでよくわからない。 取り扱いタグには確かに水洗い禁止のマークがあった。でもたいていのウールセーターやウールパンツはタグに水洗い禁止のマークがあるが、これまで自宅で水洗いして特に問題が起こったことはなかった。自宅で洗う場合、手洗いにすることが多いが、洗濯機で洗ったことも何度かあったはずだ。 ネットに入れて冷水・手洗いモードにして洗う。おしゃれ着用洗剤の代わりにシャンプーを使う。 もちろん多少縮んだものもあるにはあったと思うが、少なくとも着用を続けるのが困難になるようなことはなかった。今回のセーターは半分くらいの大きさに縮んでしまったのである。 試しに着てみたが何とか袖に腕は通せるもののそこから先は何ともならない。しかもいったん腕を通してしまうと脱ぐのもまた一苦労でしばらく案山子のような格好で冷や汗をかいた。 これ高かったんだよなあ。 実は値段を覚えていないのだが、日本で買うとこの手のものは高いはずなのだ。(もちろん「高い」と言ったって私にとってみればということに過ぎないが。) 横浜駅の駅ビルの地下で買った。 2003年の秋。その時私は誰かと会う約束があって待ち合わせ場所に早く着いた。ちょうど会社でもはけるようなウールのパンツを探していたので適当に見かけた店に入ったのだ。 冬用のウールのパンツを色違いで二本とセーターを色違いで二枚買った。 その頃は既に服を選ぶために時間をかけることが億劫になっていた。 店員は、そこは新しいブランドの店で、商品の多くは日本でデザインしてイタリアで作った物だというような話を私にした。 10歳くらいの子供なら着られるかもしれない。 保管しておいて娘に着せるという手もある。 でも縮んでフェルト生地みたいになっているし、子供が着るにはちょっと重いだろうか。 最近やけにイライラする。 生理のせいだ。 生理のせいだとわかったところでイライラが解消するわけでもなく、目下のところ、私のanger controlは滅茶苦茶である。 そういうのは全て、このセーターが悪いのだということにしてしまおう。 縮んだセーターのやつめ。
by liyehuku
| 2006-12-19 07:15
| Diary
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Comments(8)
anger control…わたしもできてないです。
子供が癇癪というものをおぼえると、人間ここまでイライラできるモノになんですね。 しかしセーターがそんなにちぢむって聞いたことがない! (戦後の日本ではそう言うことがあったそうですが)セーターなんてじゃばじゃばあらっている私にはありえないです。それこそ返品したい(※私のブログの「新常識」を読んでいただくとわかります)
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liyehuku at 2006-12-20 13:50
>「新常識」
あ、その記事、先日拝見したあれですね。 返しに行きたいです。タイムマシンに乗って。(←3年もたつとやっぱり返すのはためらわれます。だいいち、そのお店既になくなっているような。) 子供の癇癪につられて自分も癇癪を起こしてしまう、というのは我ながら情けなくてしょうがないです。或る程度はしょうがない、と思いつつ、或る程度ってどの程度だ、と悶々とすることがあります。 「子どもがぐずり出すとすぐカッとしてしまうようなら、子どものかんしゃくはあなたのせいではないし、それを止める責任もあなたにはないということを、思い出してください。子どもの『長所』は親であるあなたの長所をそのまま反映したものではありません。かんしゃくというのは、ひとり立ちを目指す赤ちゃんが不安定なはしごを登るときにしょっちゅう落ちるようなもので、ごくごく当たり前のことなのです」(『シアーズ博士夫妻のベビーブック』より) 基本路線はこれでいきたいんですが、どうにもならない時ってありますね。自分の体の具合が悪い時とか。私の場合、生理前というのが鬼門です。 子どもに当たれないとばっちりが夫に向かうことも多くてかわいそうです。
うえーん。今朝「うるさぃぃぃぃ」と怒鳴ってしまったよ。
ああああああ。すごく自己嫌悪してしまい、しかもこのまま虐待死させてしまいそうな気がして、出勤前の夫にうそをつかせて、1時間ほど母子をなだめてもらいました。 ほんとにタダのはしごから落ちただけ、なのかなあ。涙。
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at 2006-12-20 16:54
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ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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liyehuku at 2006-12-21 06:54
>kanaさん
私もさっきまたやってしまいました。(少しずつ余裕は取り戻しつつあるんですが、一気に回復!というわけにはいかないようで。) 怒鳴ってしまうと、子どもの反応とは別に、自分自身が子どもとの関わりを避けてしまうんですよね。やましさを感じたり、そのことで子どもに向かい合う自信を一時的に失ったりするからでしょうか。 完璧な人間、完璧な母親、というのがもしこの世のどこかに存在するのなら、私もそうだったらいいのに、と心の底から思いました。そうしたらずっと楽なのに、と泣きたいような気持ちで。 <続く>
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liyehuku at 2006-12-21 07:59
<続き>
でもその後ようやく落ち着いた頃に、(やっぱり「完璧な人間」とか「完璧な母親」というのはありえないし、ということは)子どもを育てるって良くも悪くも個性と個性のぶつかり合いになるのが本来の姿なんだよなあ、と思いました。自分とは別の人間と長きに渡って生活を共にするという意味で、どっちか一方だけ尊重するわけにはいかないんですよね。 子どもを持つ前の私には、自分は自分自身のことを結構客観的に見られている、という自負がありました。 でも今、自分のことで知らないことってまだこんなにあったんだ、と日々驚いています。(例えば、自分がこんなにも完璧な人間でありたいと思っている、なんてことは前には認識してなかった。) ちょうど子どもという「他人」の目で自分を見直している感じです。(そして自分の操縦方法を身に付けている、というか、そうだといいなあ。) <終わり> >鍵コメさん あ、どうぞどうぞ。
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yasu
at 2006-12-21 19:17
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笑い事じゃないんだけど、すごい面白かったよ。セーターの話。私も今の時代、そんなに縮むセーターがあるもんなんだ。と逆に感心しました。周りでほとんど聞かないからねぇ・・・しかも日本で買った物なんだよね?珍しいよね。本当にお嬢さん用にとっておいてみたら?うちの娘は三十数年前の私の洋服着てますよ。ある意味レトロだよね?(笑)
あっ、カード届いた?クリスマス前に着いたか心配だったのよね。
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liyehuku at 2006-12-22 07:29
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