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2007年 06月 14日
近所の教会で、新しいバイブルスタディ(女性対象)が始まった。
夏期(=子どもの夏休み期間中)に修了する予定で、7月末まで週一回行なわれる。 夏期に入る前の期間(1~5月)に参加していたクラスは「聖書には何が書いてあるか」というアプローチだったので、今回は「聖書に書いてあることをどう生かすか」というアプローチのクラスにしてみようと思った。 ちょうどParentingに関するクラスがあったのでそれに参加することにする。 1.使用するテキスト Lisa Whelchel著"Creative Correction"(副題は"Extraordinary Ideas for Everyday Discipline") 2.授業の進め方 テキストは週ごとに5日分の宿題をやっていく、という形式になっている。クラスは宿題になった部分をざっとなぞりながら進んでいく。各週分の終わりにSessionという形の穴埋め形式のまとめがあり、それに対応した副教材のビデオ(テキスト1週分に対して20分程度)がある。ビデオを観賞した後、答え合わせ。 3.講義(2回目)内容に関するメモ ◆テキスト:Week1("The Ultimate Parent") Day1: We Model God Day2: God as the Ultimate Parent Day3: The Umbrella of Authority Day4: The Children of Israel Day5: The Final Word ◆キーワードはObedience。もしかしたらこのテキストを通したキーワードがObedience(子どもが親の言うことを聞くこと)なのかもしれない。(ああ、そうか。副題が"Extraordinary Ideas for Everyday Discipline"、つまり「子どものしつけを成功させるための、日常に生かせるとびっきりのアイデア」なんだからそれは当たり前のことなのかも。) ◆親と子の関係は神と人間の関係と同じである(だから人間が神に対して服従するように、子どもも親に対して服従しなければならない)。 ◆もちろん、その上で、神が人間(という自分の子どもたち)との関係でLoveとDisciplinesのバランスを均等に保っているように、親と子の間でもそのバランスは均等に保たれていなければならない。(Ephesians6:4 "Parents, don't be hard on your children. Raise them properly. Teach them and instruct them about the Lord") ◆Obedienceに基づいた関係はテキストの中で、傘とその傘によって守られる人に例えられていた。親は神の傘(Disciplines)によって守られ、子は親の傘(Disciplines)によって守られる。子にとって親の傘下にいることは神の傘下で守られることでもある。 ◆講義ではあまり触れられなかったが、テキストではPsalmからObedience(神の法に従うこと)の歓びを謳う箇所(119)が強調されていた。Week2("The Heart of Obedience")への導入となる。 ◆「妻は夫に従わなければならない」 「夫がたとえクリスチャンではなく、キリスト教の教えに反対していても、妻はその夫に従わなければならない。妻の行いを日常目にすることで夫は変わる」 「イエス・キリストと教会の関係は夫と妻に例えられるが、逆に夫と妻の関係もイエス・キリストと教会の関係のようでなければならない」 (シングルペアレントである、という人も少なくないので、一応講師からその人たちに配慮した言葉、解釈が添えられた。) ◆【補】社会的な権威、権限は敬い、従わなければならない。 ◆ただし親、夫、社会的な権威を神の上に置いてはならない。 ◆講師の友人の話。クリスチャンでない夫から教会に行くのを禁じられている女性。講師は彼女に「夫から信仰することそのものを禁じられない限り夫の言うことには従うべきである」「教会に通っているかどうかということはクリスチャンであるということにそれほど重要なことではない」「だから夫が『教会に行くな』と言うなら協会には行くべきではない」と言ったそうだ。 ◆質問してみる。 「私の夫は仏教徒です。私自身も仏教徒の両親の元で育ちました。 夫は娘の信仰に関して『彼女自身に選択させたい』という考えをもっており、私もそれに賛成しています。 私にとって聖書について学ぶことは心の安らぎではありますが、私は或る重要な点においてクリスチャンではありません。自分が教会というものとどう関わっていくべきかまだ答えを見出せていないからです。 私は自分が娘に余計な影響を与えているのではないか、娘を混乱させているのではないかと心配しています。 例えば、『自分が教会というものをどう関わっていくべきか』ということについて答えを持たないということは、それ自体が神に対するDisobedienceということにもなりますが、そんな私が娘にObedienceを教えることができるかどうか」 回答。 「私自身も今まで神に対するDisobedienceをさまざまな点で抱えていました。今もそうです。(Disobedienceはクリスチャンであってもそれぞれ抱えているものですよ)」(講師) 「クリスチャンであってもそれぞれいつかは自分の信仰を選択しなければならない時がきます。例えば私の両親はそれぞれメソジストとバプテストで信仰が違います。私はバプテストを選びました。 あなたが今聖書について学んでいることは娘さんに知識として伝わるでしょう。何かを選択する際、より多くの情報を持っているということは重要なことです」(受講者の1人) 4.その他メモ ◆クラスの始まる前と終わる時にPrayer(祈り)の時間がある。(あとはビデオの中でそういう時間が設けられていることもある。) 特に終わりの祈りでは、順繰りにそれぞれ自分が抱えている問題を告白し、それが終わると「誰それはかくかくの問題を抱えていて・・・・・・誰それはしかじかの・・・・・・」という風にいちいち神に対して祈る。この日は告白しているうちに思わず涙を流す人も何人かいた。 少人数のクラス、また受講者の人数が多くても少人数のグループに分かれて話し合う形式のクラスでは各グループごとでその日の集まりの締めくくりにこうした祈りを捧げるのは普通のことのようだ。抱えている悩みを口に出すことはそれだけで精神的なガス抜きとしていい方向に働くこともある。それを「祈り」という形でいわばシステム化し日常に取り入れることで、その効用を利用しやすくしている、ということらしい。 テネシーで何度か通った教会でも、バイブルスタディ(全ての年齢、性別の人が対象)の日、各クラスごとにわかれる前の大人数の状態で、教会のPastorが寄せられたPrayer(抱えている悩み、問題。病気で手術を受ける人、事故で怪我をした人、家族を亡くした人からのものがほとんど)を読み上げるような形で同じようなことをやっていた。 ただし、この場合、告白と会衆との共有は時間的にいったん分断されている。告白した本人にしてみればそれを共有するために紙に書くなり、特定の相手に告白した時点でガス抜きは完了していることになるから、その後の「大勢で祈る」という段階で、その「祈り」は告白する本人のガス抜きと同時に共同体としてのガス抜きの役割も持っているんじゃないかと思う。 (中学・高校と通っていたカトリックの学校ではこういう光景を目にしたことがない。懺悔と同じで神父に個別に相談するようになっているのではないかと思う。) 前回は人数が少なかったので、講師だけでなく受講者1人1人も順繰りに「誰それはかくかくの問題を抱えていて・・・・・・誰それはしかじかの・・・・・・」というのをやっていた。もちろん私は飛ばしてもらった(聞き取れないし言い切れない)。今回は人数が増えた関係で「誰それは・・・・・・」は講師のみ。ちょっとほっとした。 ◆Prayerでシングルマザーの人が自分が抱えているシングルペアレントならではの課題と自分がそれにどう向き合っているかということを話した後、「夫が基地勤務で海外に派兵されている」という人が「夫に無事に帰ってきてほしい」という主旨のことを言った。 それはそれでいいのだけれど「私はシングルペアレントではなくて夫はちゃんといるんだけど」みたいなことを言ったのでぎょっとした。すぐ「あ、引き合いに出してごめんなさいね」とフォローしていたが、私の目には全然フォローになってなかった。 ◆バイブルスタディとは別の機会に、この教会のメンバー2人と話していた時、 「私、バプテスト教会ってこれが始めてだわ」(他州出身者。エルパソ在住歴2~3年) 「私は2つ目だわね」(他州出身者。エルパソ在住歴9ヶ月くらい) 昔はずっと生まれ育った地域で暮らしている人も多かっただろうし、「親がどこそこの教会に通っていたから自分も」という人がほとんどだったのだろうし、今でもずっと生まれ育った地域で暮らしている人にはそういう人は多いのだと思うが、今はいろいろな形で生活圏を移す人が多いので、宗派に対するこだわりはない、という人も増えているし、既にごく普通のことなのかもしれない。
by liyehuku
| 2007-06-14 15:12
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