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2007年 09月 24日
DがSを迎えに来た。
私としばらく話をして、「そろそろ帰るわ」と言ってDがSを抱き上げてキスをした時、Sは本当に嬉しそうな顔をして笑い声を上げ、私は2人の様子にはっと胸を突かれた。 その数日前、Dが食料品や日用品の買い物をしている間、40分ほど私は車の後ろに娘とSを乗せてその辺をぐるぐる回っていた。昼寝をしていない娘はDをスーパーの前で降ろして車を出すとすぐに眠った。 Sは運転席の後ろに乗せているので様子がわからない。ただ物音一つ立てないので眠っているのかもしれないと思いつつ、眠っているなら逆にもっと気配がするはずだとも思った。 まあ、眠っているのだろう。 生後5~6ヶ月の赤ん坊はそんなものなのかもしれない。娘がそのくらいの月齢だった時、どんな風だったか既に私は忘れてしまっている。 買い物を終えたDが車に乗って、 「どうだった?」 と尋ねる。 「よくわかんないけど眠ってるんじゃないかしら。とにかくすごく静かだったわよ」 と私が言うと、DがSを覗き込んで、 「いいえ、起きてるわ」 と言った。 その日、私の家で1時間ほどSの面倒を見た時も、彼女は最初ちょっと戸惑った様子を見せた以外はずっと静かにしていた。 娘が世話を焼きたがってジュースのボトルをぐいぐい押し付けた時ですら、嫌がりはしたもののちょっと声を立てただけだった。 そんなもんなのかしら、と私は思ったのだ。 「もうお母さんのことがわかるのよね」 と私が言うと、 「そうね。最近は抱っこして欲しがる時もあるわ」 とDが言う。 「でもなるべく抱かずに済ませているの。だって私じきにこの子をどこかに預けて働きに出なくちゃならなくなるもの。抱き癖がつくと困るの。わかるでしょ?」 私は-私たちは-完璧な母親がどういうものだか知っている。どうすれば完璧な母親になれるか知っている。あれとそれとこれと何と何と・・・・・・・・・そんなことを全てこなせば「完璧な母親」になれる。 でも同時に、私は-私たちは-自分が与えられるものしか子どもに与えることはできない。 それはDのような事情がない私の場合にも同じようなことが言える。 私は自分の中にきちんと根付いてあるものからしか娘に与えることはできない。 ない袖は振れない。 親が子どもを虐待しているとか、そういう極端な場合は別として、親が子どもにしてやれることで(またはしてやれないことで)何が正しくて何が正しくないのかということについて他人は口を出すことはできない。 Dのキスを受けてSの顔がぱっと輝いた時、私はそれが腑に落ちたのだった。 少なくともDは、Sは自分が引き取る、という覚悟を決めている。 家族や友人と離れ異国の地で自分で働いて子どもを育てるという覚悟が彼女にはある。 Dが今置かれている状況が今後どうなるかはわからないけれど、Sが大人になって、例えば子どもを持った時、「お母さんに育ててもらってよかったなあ」と思える日が来ることを願っている。 そして、きっとそういう日は来るだろうと思う。
by liyehuku
| 2007-09-24 00:54
| Diary
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Comments(4)
私が考えるのは逆で、アドバイス的なものって、どんどんした方がいいんじゃないでしょうか。アドバイスを受けた上で、最終的に何が正しくて正しくないかはその家が決める事だとは思いますけど。
よその子育てとか方針とかに口を出さないのって、人間関係的には楽だけれども、それって結局その家族のためにはならないし、より親身であればあるほど言うべき事は言うべきなんじゃないでしょうか。その上で「私はこれでいい」とその人が思えばそれでいいんだし。 いやね、私の親はなんでも私のしたい通りにさせてくれた方だと思うんだけれど、それっておかしかったと今では思うのよね。こんなことしたら、あんたこんな心配があるよ、これはこんなややこしい結果が待っているよ、ってね、そういうの口に出してほしかったんですよね。たとえそのときは反発したとしても、それが判断材料とか、結果に対する覚悟とかにつながるもの。
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オシツオサレツ
at 2007-09-25 03:40
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…という長いエクスキューズを書いた上で言わせて頂くのは「抱っこしてやったらいいやん」ということなんですけど。。
お母さんがね、仕事を始めたから抱っこ出来ないのは子供にはわかりますよ。でもお母さんが仕事をしていない時点で抱っこをしてあげないのって、子供には理由が伝わる? 子供が自分から「抱っこして」っていってくれるのなんてせいぜい小学校あがるまで。本当に短い時期しかないのにそこで抱っこをしないなんて、あな、もったいなや〜。というのは日本人の考えかもしれませんが。
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オシオシ
at 2007-09-25 03:43
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いや、liyehukuさんに訴えても仕方の無い事を長々とすみません、、
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liyehuku at 2007-09-25 06:44
>「抱っこしてやったらいいやん」
私もね、そう思うんですよ。何というか本能的に。 (しかも、この意見には心強い援護射撃もあるし。それは私が辞書代わりにしている『ベビーブック』で、シアーズ博士も「仕事復帰が待ってるからってためらうことはない。どんどん抱っこしなさい」と言っているということなんですが。彼がそう言っているのはオシオシさんが言っているのと同じ理由からだと思います。) いいタイミングがあったら言おうかな、とは思っています。(しかし、なかなかそのタイミングが掴まえられないので、この記事はそのエクスキューズのつもり、と受け取っていただければ幸いです。) 相手も自分なりに一生懸命考えてるやってるんだろうな、多分しばらくはいっぱいいっぱいなんだろうな、車が手に入って仕事が見つかったら精神的に余裕が出てくるかな、そうしたら言ってみようかな・・・・・・とか、いろいろ考えてしまいます。 今はとりあえず、建設的な意見を述べる状況を作り出すために「愚痴の捌け口」としての地位を確立しておこうと思います。
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