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2007年 11月 15日
追記:
コメント欄で「食品がが引っかかるのは豚ではなくて牛と鶏では?牛肉は狂牛病、鶏は鳥インフルエンザが理由で」とのご指摘をいただきました。 豚云々はおそらく私の聞き間違いと思い込みのせいなので、ご指摘に基づいて本文を訂正しました。 そうすると今度はご指摘が何を指しているのかわからなくなったので、修正後の表現に下線を付け、その後ろの【】内に元の表現を残しておきます。 <追記終わり> 日本から米国へは発送できない食品がある。 食品を取り寄せようとカタログを見ていた時、カレーやシチューのルーにその旨表示があった覚えがある。 先日、日本人のお母さんたちと集まった時にその話になって、そのうちの1人が、 「そういえば実家からルーやなんかいろいろ食材を送ってもらったら米国側の検査にひっかかってごっそり抜かれていた」 と言った。 「肉【豚】なんて入ってないのになー、と思ったら、パッケージなのよ。箱に載ってる出来上がり写真だと肉がどっさり入っているでしょ?あんなの入ってないのに~」 先週末、夫にその話をかくかくしかじか・・・・・・と説明すると、 「でもさ、ああいう検査をする係員の人って本当によく知ってるらしいよ」 「係員によるんじゃない?」 「うーん、違うと思う。 あのさ、日本から出張に来る人でいつもお土産持ってきてくれる人いるじゃない?あの人ね、昔は決まってラーメン(箱入り半生タイプ)だったんだよ。覚えてる?」 「ああ、そういえばそうね」 「でも今はそうじゃないでしょ?あれ、荷物開けられた時に抜かれたからなんだよね。本人は確信犯的にラーメンにしたらしい。スープの原料の中に『一見そうとはわからないけどダメなもの』【豚に由来するもの】があるって知ってはいたんだって。いちいち係員がそんなこと知っちゃいないだろう、と思って荷物に入れて、没収される時も『肉【豚肉】なんて入ってませんよ』って言ってみたけど、係員はちゃんとスープの原料の一部に規制されているものが使われている【豚に由来するものがある】って知っていたらしい」 そういえば・・・・・・ラーメンか何か箱入りのお土産で「当然入っているはずのもの」が入ってないことが何度かあった。 開けられたような形跡はなかったが、あのお土産は多分空港で買ったものなのではないだろうか。ひょっとするとメーカー側の配慮なのかもしれない。 「・・・・・・ということは逆に、日本人がよく口にする食品に、表記されている原材料名からはわからないけど確かに規制されているものを原料に作られた成分が入っていて【豚に由来するもの】が使われていて、でもそれを知らない日本人が多いってことなのかな」 「そうかもね」 「あの『味の素事件』みたいなものなのかも」 「うーん、そうだねえ」 Wikipediaで「味の素」を検索してみると「味の素インドネシア追放事件」についても言及がある。2007年11月14日現在、 「インドネシアでは2000年に味の素を糾弾する事件が起きた。これは、味の素の原料にイスラム教では食用が御法度とされているブタの肉が使用されているという疑惑が持ち上がったためである。実際にはブタの成分を使用していたわけではなく、発酵菌の栄養源を作る過程で触媒としてブタの酵素が使用されていたに過ぎなかったが、インドネシアにある味の素本社の社長が逮捕される事態にまで発展し、一時的に、味の素製品はインドネシアの食料品店から姿を消した。2001年2月に味の素は商品の回収を終了し、触媒が変更され販売許可が降り、社長も釈放され製造販売を再開した」 となっている。 なんとなく釈然としないのは、 「実際にはブタの成分を使用していたわけではなく、発酵菌の栄養源を作る過程で触媒としてブタの酵素が使用されていたに過ぎなかったが」 という記述で、触媒としてブタの酵素が使用されているだけでもイスラム教徒の多くはものすごく嫌だろうと思うからだ。(まあ、だからその後触媒が変更されたのだろうが。) そういえば、バングラデシュの赴任地で、同じ市内で活動していた協力隊員がダッカから買ってきた豚肉をしばらく預かっていたことがある。大家一族の女性たち(特に奥さん)が何かというとずかずか自分の部屋に入ってきて勝手にあちこち覗くので自分の所には置いておけない、という話だった。彼女の大家はムスリムだった。 バングラデシュではその人口の8~9割以上がムスリムだと言われている。イスラム教では豚肉を食べることを禁じられている。 しかし、豚肉が手に入らないわけではない。ヒンドゥー教徒の村では豚を飼っている。彼らは牛を食べられない。 そして「食べられない」という点では同じだが、もちろん、ヒンドゥー教徒が牛を「食べられない」理由とムスリムが豚を「食べられない」理由は全く正反対である。 ヒンドゥー教徒は「牛は神様だから食べない」のであり、ムスリムは「豚は不浄だから食べない」。 遠い任地で活動する協力隊員がはるばる私たちの任地に来ることになり、「この機会にアレでトンカツを」という話になったのだった。私に豚肉を預けた隊員は料理上手で、彼女の頭の中ではこの他にもいろいろな料理を作る予定があって献立はしっかり決まっていた。 さて、私は約束の時間に豚肉を持って彼女の家を訪れたが彼女はいない。しばらく待っているところへ、彼女の部屋の向かいに住む大家の使用人が買い物を済ませて市場から帰ってきた。 使用人から「向かいの客人が所在なさげに待っている」と聞いたらしい大家の奥さんが戸口から顔を出す。 「さーてねー、いつ帰ってくるんだろうねー」 とのんびり答える奥さん。 私は他にもいくらか食材の買出しを頼まれていてできればそれを済ませたかったが、この暑いのに生ものを持ってうろうろしたくなかった。 「これ、預かっといてもらおうかなー」 と私が袋を差し出すと、 「いいわよー」 と手を差し出す奥さん。 間一髪のところで私は思い出した。彼女がムスリムであるということを。または自分が持っているのが豚肉である、ということを。いや、どっちも忘れるはずもない事実だったが自分の中でお互いに結びついていなかったのだ。 とっさに「しまった」という顔をする私に怪訝そうな顔を返す相手。 「実はコレ・・・・・・」と説明すると、奥さんは手を引っ込めた。 「ああ~、うーん、やっぱりだめかしらね~。だめだわね~。まあ、ちょっとうちの人に聞いてみるわ」 しばらくしてまた戸口まで出てきて、 「うちの人、やっぱり『ダメ』だって」 と申し訳なさそうに言った。 イスラム教では禁じられている、といえば酒もそうだが、それはブタが禁じられているのとまた理由が違う。自分の国を出て外国-例えば日本-に住むムスリムが酒を飲むことはあっても豚は食べない。知らなくて食べることはあるかもしれないが知った上で食べることはまずない。 イスラム教徒の多くにとって豚は、いうなれば排泄物、もっとはっきりいえばウンコ同然なのだと思う。 昔、「オシッコ健康法」なるものが話題になったことがあるが、それは物珍しいから話題になっただけで多くの人の間で流行ったわけではない。 そして「ウンコ健康法」というのは聞いたこともないし、これからもそういうものが登場することはないだろう。仮に「ウンコ健康法」があったとして(ごく一部の特殊な嗜好を持つ人は別にしても)誰が実践する? これは豚を食べる人たちがいくら、 「そりゃあね、昔はそうだったかもしれないよ。でも、現代ではね豚はとても衛生的な環境で飼育されていて、調理方法だって確立しているしそんなことないってば」 「豚っていうのは元来キレイ好きな動物なんだってよ」 などと説明しようがどうにもなるものではない。 たとえ人糞を精製して良質な、そして体にもよい食用色素ができたところで、それを自分が食べるものに「是非使ってみましょう!」と思う人はあまりいないだろう。 夏期のバイブルスタディで子育てをテーマにしたクラスをとった。"Creative Correction"(副題はExtraordinary Ideas for Everyday Dichipline)というテキストを使用し、授業はテキストをビデオ化した視覚教材も使って進められた。 或る日そのビデオで見たエピソードにこんなのがある。 家の庭で友人と遊んでいる息子が、相手を汚い言葉で罵ったのを偶然見かけた母親。息子を家の中に呼び入れる。 母親:「何であんな言葉を使ったの?」 息子:「何でって何でいけないの?別にいいじゃん。口で言っただけだし大したことないよ。他の奴らだって使ってるよ」 母親:「(ため息)罰としてやってもらいたいことがあるわ。そこの棚からコップを2つ取ってきて」 息子、しぶしぶながら言われた通りにする。 母親:「一方のコップに流しの蛇口から水を汲んで」 息子、怪訝そうな顔で言われた通りにする。 母親:「じゃあ、今度はもう一方のコップにトイレの便器から水を汲んできて」 息子:「えー、やだよー」 母親:「だめよ。これは罰なんだから言われた通りにしなさい」 息子、この世の終わりとでもいうような表情でトイレへ。やっとのことでコップに水を入れて母親の元へ。 母親:「はい、ご苦労様。じゃあ、もういいわ。ジュースでも飲んで一休みしましょう」 冷蔵庫からジュースのパックを出し、コップの水を両方流しに捨てた後、洗わないでそのままジュースを注ぐ。トイレの水が入っていた方のコップを息子に差し出して、 母親:「さあ、どうぞ」 息子:「やだよ!これトイレの水が入ってたコップじゃん」 母親:「あのね、汚い言葉を使っちゃいけないっていうのもそういうことなの。汚い言葉を使う人の言うことなんて誰もまともに聞こうとは思わないわよ。イエスは・・・・・・云々」 ムスリムにとっては「触媒としてブタの酵素が使用されていた」のも「トイレの水が入っていたコップでジュースを振る舞われる」のと同じような感じがするんじゃないんだろうか? 仮に後でコップを洗ったとしてもその事実を知ってしまった上ではいい気持ちはしない。 ましてや信仰の持ち方に関係する話である。 誰かがぼんやりしていたせいで神との契約を破ることになったかもしれない、それで天国に行けなくなったらたまったものではない、と思ったのかもしれない。 知らなけりゃよかった、という気持ちもあるにはあるけど、知らないままだったら・・・・・・ということを想像するとそれはそれで腹が立つ。人のことを、いや、それより、だ、神のことを何だと思ってるんだ? あんた、いったい自分を何様だと思ってる? 自分でお金を払って買う商品がそうだったとしたら、ますます腹が立つだろう。 ちなみに私自身は「きちんと洗えばわりと平気」なタイプである。 (私が小さい頃、家の肥溜めはまだ現役で、母は畑の肥料に使っていた。うちで食べる、あとはせいぜい親戚や知人・友人にお裾分けする程度の量の野菜や果物を育てていただけだったが、家庭菜園というには規模が大きく、その時の臭いは今でも覚えている。)
by liyehuku
| 2007-11-15 14:11
| Bangladesh
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Comments(4)
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by
オシツオサレツ
at 2007-11-15 14:58
x
コップのエピソード、なだいなださんの中高生向けの本に似た内容の話がのっていました。心理学関係では有名な話なんでしょうか。
食品がが引っかかるのは豚じゃなくて牛と鶏じゃないですかね?牛肉は狂牛病、鶏は鳥インフルのせいで。私はここ2年くらい抜かれたことないですけど、一時期は本当にミツワでもラーメンやカレールーが買えるかわからないという非常事態でした…。
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by
liyehuku at 2007-11-15 15:17
はい、これました!笑。面白いですね、 liyehukuさんの子育て。これは説得力があります。確かに味の素事件は大きくムスリムカントリーに影響を与え 、今でもバングラデシュの極端に敬虔なひとたちは、味の素を使いません。うちに修行できたフィリピン、モロッコのひとたちも、味の素は遣わないでくださいといっていました。ちなみに私は、あの事件以来、製法を変えたとウエブサイトで見てから安心して遣っています。何があんしんしていいものかわかりませんけどね。ブックマークしました。これからちょくちょくのぞきにきます。
Commented
by
liyehuku at 2008-03-22 01:19
こんにちは。
>今でもバングラデシュの極端に敬虔なひとたちは、味の素を使いません (ごく一部の人たちとはいえ)一度失われた信用を取り戻すのは難しい(=それほど重要なことだった)ということなんでしょうね。 アイシャさんのブログを読むと、単に懐かしいと思うだけでなく「ああ、あれはそういうことだったのか」という発見があります。これからも楽しみにしてます。
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