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2008年 05月 20日
昨年のクリスマスシーズンだったか、アメリカ人のお母さんたちと話していた時、或る人が親族の1人(自分の母親だったか義母だったか)がいつも迷惑な贈り物を送りつけてくることを指して"emotional blackmail"と表現した。言い得て妙だと思う。
電話の場合にも使えそうだ。 土曜日、とうとう母からの電話の最中に気力がつきた。(何故そうなってしまったかについて詳しいことはあまりにあまりな話なので省略。) つい声を荒げて「ちょっと待って。ちょっと待って、お母さん。私の話も聞いてよ」と私は叫んだ。しかし、母は自分の意見をまくしたて、こちらの言うことはろくに耳に入っていないようだった。 「ごめん、そういう話聞きたくないんだよね。もう切るわ」 「・・・・・・それとお願いがあるんだけど電話の回数1週間に1回くらいにしてくれないかな?」 ぐったりと、でもようやく口を挟んだ私に「なんで?」と母はすがるように尋ねるが、私には「ごめん。とにかくもう切らせて」と返す気力しかもうない。 電話を切った後で吐き気と刺すような腰痛が襲ってきた。いろんなことが情けなくなってきて涙も出てくる。外出中の夫にできるだけ早く帰宅してもらうように電話をかけている間、キャッチフォンが入ったがとりあえず電源を切る。 テレビを観ていた娘は私の様子に驚いてはいるが、とりあえず静観することにしたらしい。 しばらくしてこちらから実家に何度かかけなおすがつながらない。向こうがこちらにかけてきているからだろうと判断してしばらく待つことにする。 電話が鳴る。 「気を悪くしたなら謝るから」と言う母に、まず「お母さんが私のことを心配してくれているのはわかる」と切り出した。 「でも何でも言えばいいってもんじゃない。さっきお母さんが言ったことは私たちが自分で考えるべきことでお母さんが何か言うべきことではないんだよ。お母さんが心配していることを私が全く考えていないわけではない。私だってこれまで生きてきてそれなりにいろいろなことを見聞きしたから、世の中には何が起こるかわからない、という意味で可能性としてそういうことがありうるということは重々承知しているの」 「でもそれは私の、というか私の家族の問題だから」(要点1) 「いくら心配だからってお母さんの心配をそのまま私にぶつけられても困るのよ。妊娠中のホルモンの変化や何かでこっちも精神的に不安定なことがあるし、そこはちょっと配慮して」 と言うと、 「お母さんだって更年期のホルモン変化で不安定なのよ」 と返された。 「だからお母さんが大変なのも理解はしているんだって。でもね、お母さんはお母さんで大変だろうけど私には私の事情もあるわけ。いつもいつも気を使ってくれとは言わないから、せめて5回に1回とか1週間に1回とか『あの子も大変かもしれないなあ』ということを思い出して欲しいんだよね」(要点2) 「でさ、自分の心配は自分でするから。助けて欲しい時はちゃんとそう言うから。それ以外のことは心配しないで」(要点3) 「助けて欲しい時はちゃんと言うから。だってこれまでだってそうだったでしょ。『助けて』って言わない時は大丈夫だから」 1回だけだとちゃんと聞いてもらえたかどうか心許ないので、要点1と2と3を交互に何度も繰り返した。 母とのやり取りが一段落して電話を切った後、私は自分の言った何もかもが間違っているような気がしてきた。 私は母の考え方を変えたいとも、そもそもそれが私に可能だとも思っていない。ましてや母の性格をどうこうしようという気はない。もっと若い頃(20代)にはそういう気もあったかもしれないが、今はない。そういうことについてとっくに諦めは付いている。 確かに母との会話がずいぶん一方通行(自分が「おうさまのみみはろばのみみ」の木のうろになった気分がする)なのは「困ったなあ」と思うが、それを言うなら義理の両親と話す時だってそうである。もちろん、話の内容は母との会話の時とは全然違うが、(なぜだかわからないけれど)話が噛み合ってないという状態に陥ることがままある。(夫と義理の両親との間の電話、つまり自分が直接参加していない会話を傍で聞いている時にもそういう状態になっていることがあるのできっと私のせいではないと思う。)その結果として会話が一方通行になってしまう、という点から見るとあまり変わりはないと言えるだろう。それについてもやっぱり「困ったなあ」と思うことはあるが、どうこうできるとも思わないしそもそも今のところ苦痛に感じてはいない。(傍で聞いている分にはむしろ面白い。) 要するに私にとって一番問題なのは電話の回数なのだ。 私が強調すべき要点は「電話の回数を減らして欲しい」ということただ1点だったのだ。さっきのやり取りで肝心のそこがうまく伝わっているとはどうしても思えなかった。 交渉としては失敗している。 ぐったりとソファに座って頭を抱える私。 それまで『セサミストリート』に集中しようと努めていた娘が近寄ってきた。そして私の顔を覗き込むと、 「泣いちゃったねー」 と言った。
by liyehuku
| 2008-05-20 02:06
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Comments(5)
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Lemmon
at 2008-05-21 08:22
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他人の気持ちを理解することは難しい…
これはわかっていることなんですけど、 自分もliyehukuさんと「家族との関係」は似たところがあって、 この文も読んでて勝手に共感しました。("勝手に"ってとこがポイントです。) 就職活動が終わってひさびさに実家に長居したんですけど、 やっぱり家族、、、特に母親とは上手くいきません。 自分の場合は、なんでか一人暮らしに戻って電話でおかんと 話すと上手くいくので、大学生になってからは大きな悩みには なっていないのですけど、本当に母親とは上手くいきません。
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Lemmon
at 2008-05-21 08:23
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いま、「アンネの日記」読んでるんですけど(笑、
(映画版が好きだったので、いつか読みたいと思っていました) アンネも母親との関係には相当苦労していたようで、 "家族としては愛しているけど、もし他人なら「くたばれ」と言って やりたい!"と語っていました。 これ誤解されるの覚悟で書くんですけど、めっちゃ共感したんですよね。 「くたばれ」は言い過ぎ(汗、ですけど、やっぱり逆に「家族」ってのは それだけで愛する原因(あえて悪い表現で)になってしまうんだなとも 感じました。 自分はなんのアドバイスもできませんけど、「家族」というだけで… という問題を抱えている人は結構いるのかなと最近思います。 あとうちは母親がメールを覚えてくれたことも大きいです。 声を聞くと"ポンポンポンポン"余計なことも言われていらっとくるんですけど、 文字にすると話し言葉とは違った言葉でくるので、また印象が変わります。 (まあ、自分で意味の取り方を勝手に変えれるんですけど・苦笑)
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Lemmon
at 2008-05-21 08:23
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liyehuku at 2008-05-21 09:26
どうも、ありがとうございます。
何というか実のところ、ここを私の「木のうろ」にすることで他人に迷惑をかけないようにしているようなところがあります。(「木のうろ」なんて読んでくださる方には失礼な表現なんですが。) 母との交流手段についてですが、私も「メールだったらいいのになあ」とよく思います。でもダメでしょうねえ・・・・・・。 アンネの言葉、私は共感で笑っちゃいますが。 私も「愛してはいるけれど好き嫌いで言えば嫌いだ!」と心の中で叫ぶことがしょっちゅうあります。「嫌い」の中に自己嫌悪みたいなものが入っているのがまたややこしいんですが。(自分が母とよく似ていると認識しているだけに。) 母親というのは「家族」の中でも最難関なんでしょうね。 私の母に対する態度を思い、それを自分の子どもに重ね合わせると、「母親って損な役回りだよね」とつくづく哀しく思います。 <続く>
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liyehuku at 2008-05-21 09:27
<続き>
「家族」-特に親子関係-の難しさは多くの人が多かれ少なかれ抱えていて、その難しさの度合いはその家庭がどんな家庭であるかには関係ないんじゃないか、と思います。(例えば、それが傍目に見ても本人から見ても何不自由ない家庭である、ということがその困難さを減じることはない。) うまく説明できませんが、自分の総決算をその都度強いられているような感じというか。とっくに受け入れた、カタがついたはずのことでも人生の新たな局面(例えば出産)を迎えて見直さなければならないことがありますし。 特に歳をとってくると、親の老いに接することで自分の死が透けて見えるような感覚があってその分辛くなります。 <終わり>
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