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2008年 06月 23日
村上春樹は『走ることについて語るときに僕の語ること』の前書き「選択事項(オプショナル)としての苦しみ」の中でこう書いている。
あるときパリのホテルの部屋で寝ころんで、インターナショナル・ヘラルド・トリビューン紙を読んでいたら、マラソン・ランナーの特集記事がたまたま載っていた。 (中略) その中に一人、兄(その人もランナー)に教わった文句を、走り始めて以来ずっと、レース中に頭の中で反芻しているというランナーがいた。Pain is inevitable. Suffering is opptional. それが彼のマントラだった 彼はその"Pain is inevitable. Suffering is opptional"を、「正確なニュアンスは日本語に訳しにくいのだが、あえてごく簡単に訳せば」と断った上で「痛みは避けがたいが、苦しみはオプショナル(こちら次第)」と訳している。 たとえば走っていて「ああ、きつい、もう駄目だ」と思ったとして、「きつい」というのは避けようのない事実だが、「もう駄目」かどうかはあくまで本人の裁量に委ねられていることである(同前書きより) 簡単にいえば「痛みと苦痛は違う」ということだろう。前者は体に器官的に生じる事象、後者はその結果として生じる本人の認識や感情(事象としての痛みにどう反応するかという精神的、感情的なクセのようなもの)、ということである。 奇しくも『シアーズ博士夫妻のマタニティブック』にマラソンを用いた例えがある。 マラソンをしているときに苦痛を感じるほど疲労したとしたら、栄養か水分が必要か、呼吸法や走り方を変える必要があるという合図だと思うでしょう。そして変わらずゴールを目指して進みつつも、エネルギーを増やして痛みを少しでも減らす工夫を何でもしてみることでしょう。 赤ちゃんを生むときも同じです。母親が背中にひどい痛みを感じた場合、痛みがなくなるまで体位を変えろという合図だと受け取ればいいのです。母親にとっていいことは、赤ちゃんにもいいことです。母親は体位をいろいろに変えながら、赤ちゃんにより簡単な、つまりより痛みのない出口を見つけやすくさせているのです。 (中略) 痛みを、出産におけるコミュニケーションの道具と考えてみてください。制御可能な痛みは、あなたの子宮頸部がその仕事を果たしているということ、つまり赤ちゃんを生み出せるように出口を開いているということです。制御もできないような痛みは、今していることをやめてくれという意味なのです シアーズ博士はこの「痛みの目的」という文章(「Part-8 妊娠8ヶ月」の「出産時の痛みをやわらげるには」という章中にある)の中で、 ①痛みは確かに役に立っている。 ②しかし、あまりにもひどい痛みは、正常でも、必要でも、健康的でもない。 という前提の上で、 痛みは適切に理解され、賢く管理されさえすれば、役に立つ陣痛アシスタントになってくれるのです。 ということを強調している。 また「自分なりの痛み管理システムを作る」という章の中で彼は、 痛みの感じ方は人によって違います。ある人にとっての「大騒ぎ」が、別の人には「少しだけ痛い」だったりもするのです。ですから、だれでも自分なりの痛み管理システムと支援プランを携えて陣痛室に入るべきだと思います。陣痛の痛みの管理は主にあなたの仕事になります。陣痛介添人はコンサルタントとしてそこにいるのです。どれだけ本を読んで準備しても、陣痛がどんなものになるかは知るよしもないのですが、知識や準備が多ければ多いほど恐怖心は減り、陣痛も軽くなります と述べ、体に余計なストレスホルモンを出させる(そしてそのことによってお産を進ませたり苦痛をやわらげたりする有益なホルモンの働きを阻害する)恐怖心や不安感をできるだけ取り除くべき、としている。そして恐怖心を克服する方法として以下のように挙げている。 ◆何がこわいのかをはっきりさせる こわいと思うものをすべて書き出して、その恐れを現実のものにしないために何ができるのか、横に書き添えていきましょう。自分の力で変えられないこともあると認め、変えられないことについて思い悩むのはやめる、と決心しましょう ◆情報を集める 知れば知るほど、恐怖心は消えるものです。2人の妊婦が同じ陣痛を味わうことはありませんし、同じ人でも出産のたびに陣痛に差があります。それでもみな似たような筋道をたどるものです。最初の収縮と最終的な赤ちゃんの娩出の間には、必ず痛みがあります。何が、どうして起こるのか、それはどんな感じなのかを理解しておけば、起こってから驚くこともありません。次は何が起こるのか、だいたいいつごろ終わるのかを知っていれば、陣痛と出産に対処できる自信がもてるでしょう ◆陣痛をこわがっていない人にいてもらう 今ではおそらくあなたも、家族や友人の中で、だれが出産をホラーストーリーととらえているか、見極めがついていることでしょう。恐怖は感染します。陣痛を過ごす部屋に、すっかりこわがってしまっている人を入れてはいけません。あなたのお母さんが陣痛をこわがる様子だったなら、あとでビデオで出産シーンを見てもらうほうがいいのです。同じ部屋で恐怖心を撒き散らしてまで、いっしょにいてもらう必要はありません ◆こわいシーンを回想しない トラウマになってしまった以前の出産や過去の性的被害など、出産はこれまでの辛い思い出をよみがえらせる作用をもっているようです。飲み込まれそうな子宮収縮のきわみで、遠い過去に起きたことへの反応として、思わず「緊張を高める」ボタンを押してしまうことがあるのです。出産の日までに過去のトラウマに感情的な折り合いをつけておきましょう。必要ならば専門的なカウンセリングを受けるといいでしょう 私は前回帝王切開で娘を出産した。 退院してしばらくは、 「な、何か家に1人増えてる!」 とか、 「いやー、病院で他に東洋人の赤ちゃんがいなかったから『これは間違いなくうちの子』って思ったけど、日本で生んでたら『ひょっとして手違いで入れ替わったりしてるかも』みたいなこと考えたかもなあ」 とか、 「こういう風に今ひとつ実感がないのはやはり帝王切開だからかしら」 などとぼんやり考えることもあったが、その後の怒涛の子育てにそれどころじゃなくなり、そんな考えはどこかへ飛んでいってしまった。 (ただ、他の人-というのはこの場合帝王切開経験者ということだが-と話をしていると帝王切開で出産したことをなかなか受け入れられない人もいる。私は自分がわりにあっさりと受け入れられたので、逆にびっくりした覚えがある。) さて、今回はVBACで・・・・・・と思っている。 別に経膣分娩にこだわりがあるわけではない。どんなものだか試しにやってみたいという好奇心のためだ。 できれば硬膜外麻酔も使わずに・・・・・・とも思っているが、これも自然分娩について特にこだわりがあるからではない。 私が考えているのは陣痛の痛みをどう逃すか、ということであり、を「硬膜外麻酔を使いたくない」というのは、陣痛の合間合間に痛みを逃すために動き回りたいからだ。もちろん硬膜外麻酔も痛みを逃すという意味では大変有効な手段だが、いったんそれをやってしまえば動き回ることはできなくなる。(ただし、『マタニティブック』によれ脊椎髄麻酔と硬膜外麻酔を組み合わせた「歩ける硬膜外麻酔」もあるそうな。私が持っている邦訳版が出版されたのが平成15年、つまり西暦でいえば2003年。本書の記述から察するに原文が書かれた当時はまだまだ一般的ではなかった様子。今の状況はどうなっているのだろう?)(2008年6月24日追記) 「痛み逃し」といえば、イギリスで第2子を水中出産した友人が「水中出産はいいよー」と言っていた。『シアーズ博士夫妻のベビーブック』や『同マタニティブック』でも勧められている。 検討するとなると、どうせ病院にはそのためのバスタブがないだろうから、やろうと思ったらレンタルで借りて持ち込むしかない(←そういう体験談が『シアーズ博士夫妻のマタニティブック』に掲載されているのだ)。もちろんやるとしたら医師に相談した上でのことだが。 ふと、タイ在住の友人が以前「タイでは第1子の時は水中出産はダメ」という話をしていたのを思い出し、医療関係の資格(看護師、助産師、保健師)を持っている友人に尋ねてみたところ、 「初産婦は経産婦よりリスクが高いからそのためだろうね。2倍まではいかないけど結構高くなる。1回開いた子宮口は開きやすくなってるんだよね。(つまり初産婦は経産婦より子宮口が開きにくい。)で、前回の帝王切開の事情から判断して今回もリスクを考える上では初産婦と同じと考えた方がいいと思う」 とのこと。また彼女は「帝王切開って、やっぱり医師が完全に管理できるということから一番安全で確実な方法なんだよね」とも言っていた。(だから医療が整っていない国-例えばバングラデシュがそうだが-で子どもを産む場合、逆に「自然分娩だと対応しきれないけど帝王切開なら大丈夫」という状況も考えられるそうな。) 「リスク+バスタブをレンタルして持ち込む手間」と「痛み逃しとしての水中出産への期待度」を天秤にかけてみて、水中出産は(医師に相談するまでもなく)諦めようかと今のところ考えている。 ちなみにその友人曰く、 「米国で帝王切開の確率が高いのは、ひょっとしたら食生活の関係で脂肪が付きすぎたせいで、陣痛が弱くてお産が進みにくい人が多いということもあるんではなかろうか」 とのこと。ということは、やっぱり体重管理は医師任せにせずに自分なりに気をつけておいた方がいいのか。 米国で硬膜外麻酔の利用が(日本に比べてずっと)多いことについても、 「以前お医者さんから聞いたんだけど、アメリカ人の産婦さんって痛みに弱い人が多いらしいよ。痛みを感じてパニック状態になっちゃってお産が進まなくなるとか、そういうこともあるらしい」 と言っていた。 これもこちらで暮らしていると「なるほど」と思う。具体的な例を挙げるのは難しいけれど、風潮としてそれを感じることは日常生活の中で多い。 「我慢」とか「忍耐」というものは、日本では未だに(それが「必要なものであるから仕方がない」という以上に)「よいもの」として捉えられる風潮があるが、米国では「精神衛生上よくないこと」、すなわちそれはあくまで「悪いもの」で、従ってそれを強いられる状況はできる限り避けられるべきであり、どうしてもそれが必要になる場合でもせいぜい「必要悪」でしかない、という風潮があるように思う。
by liyehuku
| 2008-06-23 01:47
| The Baby Is Coming2
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Comments(2)
Commented
by
kana
at 2008-07-06 10:23
x
>栄養か水分が必要か、呼吸法や走り方を変える必要があるという合図だと思うでしょう。
これ、うちの助産院の先生も言ってました。 痛いということに固執してしまうと「感じやすく」なってしまう。だからアロマやってみたり、マッサージしてみたり、階段登ってみたり。お風呂入ってみたりして「目先を変える」とうまくいったりするとか。 私の初産の時は「子宮口も広がってきているし、赤ちゃんもさがっているから陣痛さん(なぜかその先生は陣痛さん、と呼ぶのです)が来れば直ぐですよ。」と言われたのに、その陣痛がなかなか来なかったので、陣痛が来たときはうれしかったです。 不思議なもので陣痛が来ないと産めないんですね。不思議。 そういえば、二人目のお産がラクという人は多いですが、それは産むときの痛みを知っているからではないかと思います。 最初の陣痛なんてまだ軽くて、声を出したり動き回ったりすると十分耐えられる。 でも、産むときの痛みは何をどうやっても痛いのです。 そこまで来るともうアロマだなんだという世界ではないわけで。笑 産むのに必死で痛みを忘れると言いますが、その時がランナーズハイなのかしら。
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Commented
by
liyehuku at 2008-07-07 00:56
「陣痛さん」っていいですね。私も使ってみようかな。
2人目のお産が楽なのは「産むときの痛みを知っているから」、お産がどのように進むかだいたいのところは身をもって知っているのでその分痛みに冷静に対処できるんでしょうね。 そういえば、私なんか初回帝王切開なので、今回だって初産みたいなものですけど、恐怖心のようなものは前回と比べてずいぶん薄いように感じます。(不思議。) 私はもともと痛いのにも苦しいのにもとんと耐性がなくて、「好き好んでマラソンを走る人の気が知れない」と思っていたものですが、子どもを産んで、そして今回VBACを試みるにあたって、マラソンランナーの気持ちが何となくわかるような気がしてきました。
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