蜜蜂を弄ぶ
2023-08-15T23:52:39+09:00
liyehuku
座右の銘は「そのくらいの不幸あった方がちょうどいいよー」(高野文子『るきさん』)
Excite Blog
『プリデスティネーション』(2014)
http://liyehuku.exblog.jp/33068189/
2023-08-15T23:40:00+09:00
2023-08-15T23:52:39+09:00
2023-08-15T23:40:27+09:00
liyehuku
Movie/TV
いろいろ「うわあ…」と気持ち悪くなる話だったけど、何となく後を引く。原作を読んでみようかな。
実は、”I am sorry”にはその対象となる人の感情と自分の感情が全く同一であるという意味合いがあって
(『感情の在処と謝罪の表現』)
妻や夫や恋人や親友を裏切った誰かが、相手に"I am sorry"と言うのは、もちろん「ごめんなさい」という謝罪の気持ちも込められているが、それ以前に、「私にせめてあなたと同じ感情を共有させてください」「私の心をあなたの心と一つのもののようにさせてください」ということがあるのだと思う。(だから激怒した相手は必ず"No, you are not!"と拒絶する。)
(『10/16/2009: Feelingは誰のものか』)
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“Hiroshima”(1953)
http://liyehuku.exblog.jp/33062467/
2023-08-08T09:33:00+09:00
2023-08-11T17:40:28+09:00
2023-08-08T09:33:17+09:00
liyehuku
Movie/TV
“Hiroshima” is a film, which has been forgotten in Japan for several decades since its film distributer withdrew it from showing on the screens after previewing it.
The film distributers in those days didn’t want to get into diplomatic troubles with the US. They were afraid that promoting it would agitate the anti-America movement. After all, it was 1953.
忘れられた被爆者たちの原爆映画「ひろしま」(NHK 『戦跡 ー薄れる記憶ー AFTER THE WAR』2019年8月7日)
I had never known this film until one day I watched it on one of Starz channels about 15 years ago. (I lived in the US then.) They had been showing it for a while as one of their “Hidden Gems” programs. It is a good film on its own. No need to bring another movie up on the competition trying to convince someone of its value.
I was born and grew up in Hiroshima prefecture getting the whole “August 6th, 1945” education. We learnt how people there lived their daily life in 1945, and how they died or how they lost their families at the bombing. Even after barely surviving it, many people were suffering from severe injuries, most of whom couldn’t make it for days. The radiation has affected the survivors’ lives.
After the bombing, various people got into the area to search for their families or relatives, to help the suffering, to clean up debris for the restoration of the city, or to survey the aftermath, not knowing about radiation. Many of them got seriously ill and died from it.
I learnt all of these in my childhood from stories and films but most mainly from photos. Many of the photos were took by the US army as evidence to evaluate the effectiveness of the atomic bomb.
When I first found STARZ putting “Hiroshima” on their program, it took some time for me to watch it.
I thought I knew what it would be like. There must be nothing new, but still I was wondering how I had never heard of it.
“How come a person like me has never known it? Let’s find out. I gonna watch it anyway.”
So I watched it.
It was a bold but decent one capturing their own lives.
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8月6日
http://liyehuku.exblog.jp/33061021/
2023-08-06T11:22:00+09:00
2023-08-08T20:41:07+09:00
2023-08-06T11:22:18+09:00
liyehuku
Diary
ドレスデン空襲とカート・ヴォネガットのことを思った。
敵味方関係なく「その場にいた」ことでしか共有できないことはあるのかもしれない。というより、「その場にいた」ことで敵味方が関係なくなるのかもしれない。(ただ、ヴォネガットはドイツ系アメリカ人なのでそのことも考慮に入れる必要がある。)
ヴォネガットが「それ」を共有したかったのかどうかはわからない。
ある意味ー結果的にという意味でーヴォネガットは自分が生み出した数々の小説の中で、広島、長崎、沖縄の語り部のようにドレスデン空襲を語り継ぐことになった。
ヴォネガットはインタビューの中で、母親の自殺やドレスデン空襲が彼の中で特別な意味を持っているのではないかというインタビュアーの問いかけに対し、「それはよく言われることだが、それらの出来事が私の人生の他の出来事より特に大きな意味を持つということは全くない」という意味のことを答えて、明確に否定している。(インタビューの正確な内容についてはあらためて確認する必要があるが、この記事の中ではとりあえず回答の主旨を前提に話を進める。)
その2つの出来事が彼の作品の中に繰り返し現れることを考えると、腑に落ちない回答である。しかしこれはひょっとすると、語り継ぐこと、つまり、ある経験を誰かと共有しようとしているように見えることが実は彼の意図に反していることを意味するのではないか。というより、彼は単に「語り継ぐことは不可能だ」と考えていたのではないか。
経験の核の部分は誰とも共有できないからだ。
そしてその共有できない部分の積み重ねがその人を作っていく。「誰とも共有できない」ことの過酷さから神への信仰に繋がる(それを介して他者と共有する)こともあるが、おそらく、ヴォネガットにとってドレスデン空襲はそうはならなかった。彼が小説の中で繰り返しドレスデン空襲を描いたのは、それが個として彼を形作るものであり、本来誰とも共有できない部分だからではないか。そこに神はいない。
それに対して、「語り継ぐ」という行為は「共同体で共有する」ことである。日本という共同体において、その行為に神が介在しているように見えない。(共同体がその代わりなのかもしれない。)
語り部とヴォネガットは結果的に似通っているが、「経験を他者と共有する」という観点では正反対なのである。
先に「その場にいたことでしか共有できないことがある」と書いたが、もっと突っ込んだ話をすると、同じようにその場にいてすら共有できないのが、経験の核の部分である。
また、経験を他者と共有する、特に共同体として共有するということは、それを受け取る側がその経験を物語として消費するという側面と不可分である。たとえば、広島への原爆投下を「忘れません」と言うことはそのような必要悪を内蔵するのだということを本当は認識しておくべきだと思う。しかし、被曝経験者の高齢化が進む現状で語り継ぐことが重要視されるあまり、それは看過されている。
語り継ぐことの正しさしか扱わない現在の日本の報道を、前述のインタビューにおけるヴォネガットの回答に照らし合わせると、彼が否定したかったのは「自分の経験を物語として消費されること」なのかもしれない。
あるいは単に自分の経験が「記録」として扱われることを避けたかったのかもしれない。
私にも自分の中に誰とも共有できない経験の核の部分があるという自覚があるが、共有できなさ過ぎて、幻とか記憶の捏造みたいな気がしてくることがある。
ヴォネガットもそうだったんじゃないだろうか。だから繰り返し描いたんじゃないだろうか。
仮にそれが幻や記憶の捏造であったとしても、フィクションの中で再構成することでそれを存在させることができる。それは記録ではないし、そうあってはならない。また、記録は共有が前提となるものである。もしそれが記録として扱われるなら、自分の実存と離れてしまう。
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海の中で
http://liyehuku.exblog.jp/33013373/
2023-06-27T14:40:00+09:00
2023-06-28T12:29:55+09:00
2023-06-27T14:40:40+09:00
liyehuku
Outside the Country
“当局が駆けつけ、移民たちを救助。これまでに104人が助け出されている。
14日、ギリシャの町に、救助された移民たちが降ろされた。
毛布にくるまって休んでいるが、なぜか男性ばかりだ。
「女性たちは子供を抱えたまま溺れた」”
この報じ方だとおそらく語弊が生じる。そして案の定、この記事に寄せられたコメントの中には、救助された人たちがあたかも「自分が助かるために女子供を押しのけた」かのようにみなしたものがいくつもあった。
『タイタニック』の観過ぎなんだと思うよ。
救助された人に「誰かを押しのける」ような余裕は全くなかったはずだ。
船の乗客の出身国と移民として船に乗っていたという背景から考えると、性別や年齢を問わず「泳ぎを知らない人」が圧倒的に多いと思われるからだ。
特に女性の場合、ほとんど全員が泳いだ経験が全くないと思う。基本的に肌を出さないようにしているから、水の中で着ている物が水を吸ってしまうとあっという間に沈んでしまう。
日本でよく言われる「溺れそうになったら浮いて助けを待つ」は、「その前に泳ぎを教わること」が前提になっている。泳ぎを教わった結果、実際に泳げるようになるかどうかはまた別の話で、「教わるかどうか」が重要なのだ。
たとえばエジプトなら、「学校で水泳を教えてくれるわけじゃない。インターナショナルスクールなら話は別かもしれないけど庶民には関係ない。(日本人学校はホテルのプール借りて水泳の授業をしていた。)大都市ならプール施設もあって水泳を習えるけど、利用できるのは金持ちだけ」というのが泳ぐことに関してのお国事情だ。
水が豊富なバングラデシュでさえ、ほとんどの人は人生で「泳ぐ」を経験しない。だからポッダ・ノディを渡る船が沈没すると乗っていた人のほとんどが(場合によっては全員が)溺れて死んでしまう。
そして、これがムスリムに特有の事情なのかといえば、おそらくそういうわけでもない。
インドのパナジ(ゴア)に行った時、あそこは長いビーチが客層によって明確に住み分けられていて、一番北側の、欧米人バックパッカーが集まる場所では、水着姿は当然のこととしてトップレスの人もいた。欧米人の老夫婦が集まる場所や、欧米からの家族連れが集まる場所もあり、そういう所ではさすがにみんな水着を来ていて、泳いだり海辺で遊んだりくつろいだりしている。
欧米人バックパッカーが集まる場所と反対の端(一番南側)にはインド人観光客が集まる場所があった。旅行は特別な機会なのでみんな一張羅を着て、海辺に立っている。誰ひとり海に入っていなかった。バングラデシュのコックスバザールで同じような光景を見たことがある。
哀愁のゴア
“大人も子供も一張羅をきっちり着込んでいる。女性は上等のサリーにハイヒールを履いていることも多い。みんなで海岸に集い、海を眺めている”(パナジ)
“お人形さんのようにきっちりスーツを着せられた5歳くらいの男の子が、「海だあ!」と叫んで、海岸に駆け出した行ったことを覚えている”(コックスバザール)
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感情の在処と謝罪の表現
http://liyehuku.exblog.jp/33007206/
2023-06-20T21:21:00+09:00
2023-06-23T16:03:53+09:00
2023-06-20T21:21:53+09:00
liyehuku
Language
Twitterでこの論文を紹介するツイートがあった。
10年以上前のことになるが米国に住んでいた時に、”I’m sorry”という表現が使われる場面が非常に限定的なことについて考察したことがある。前述のツイートで紹介されていた内容はその時に考察したことと重なるところがあって、非常に納得感があるというか、「わかる…」という共感を覚えた。
ちなみに私の「考察」はこのブログで記事にしたことがある。
10/15/2009: アメリカ人が(あるいは○○人が)「ごめんなさい」を言わない訳
10/16/2009: Feelingは誰のものか
長いので、関連のある部分を要約すると、「米国人がごめんなさいを言わないのは、訴訟のリスクを回避するためだと解釈されがちだが、実は、”I am sorry”にはその対象となる人の感情と自分の感情が全く同一であるという意味合いがあって、それが現代の米国人のあり方にはそぐわないということも大きいのでは」ということが書いてある。
「わたし」と「あなた」はあくまで別の人間、「わたし」と「あなた」の境界が厳然と存在している文化の中では、"I am sorry"という表現を何だか気持ち悪いと思う人が結構多いのではないだろうか
(『10/16/2009: Feelingは誰のものか』)
そして、米国のように「わたし」と「あなた」の境界が厳然と存在しているか、日本のように比較的曖昧か、という違いは、意識(自我)と無意識の間の壁の厚さの違いと関係しているかもしれない。
9/9/2008: 夢日記
11/12/2009: 木乃伊の愚痴
傾向として、アメリカ人の意識と無意識の間の壁は日本人のそれと比べると分厚い。鉄壁と破れ障子くらいの差があると思う
(『11/12/2009: 木乃伊の愚痴』)
その点についてはさらに考察が必要だが、ここでは米国の事情についていったんおいておいて、バングラデシュの事情を考えてみたいと思う。というのも、上に挙げた『10/15/2009: アメリカ人が(あるいは○○人が)「ごめんなさい」を言わない訳』という記事の中で、単純に共通する現象としてバングラデシュを同列に引き合いに出し(「バングラデシュ人も「ごめんなさい」と言わない人たちだった」)、それ以上は触れていないが、バングラデシュ人が「ごめんなさい」を言わない理由は米国人のそれとはまた違うと考えるからだ。
私がベンガル語を学んだ際(二十数年前)には、「ごめんなさい」は「マッフ・コルベン」と習った。謝罪する相手が自分と同格、あるいは目下の者であれば「マッフ・コルン」という表現でも文法的には正しいのだが、講師は「基本的に目上の人に対する表現を使っておけば礼儀正しく、したがって間違いがない」という方針で教えていた。今ネットで調べてみると「マフ・コルベン」、あるいは「マーフ・コルベン」という表記もある。「ベンガル語単語集<WEB版>」では「マフ」になっているのでこの記事でも以降はそれを採用する。「マフ」は「許し」という意味である。「マフ・コルベン」を英語で直訳すると”Forgive me”になる。
「ごめんなさい」が、その言葉が投げかけられる相手にとって「許すか(赦すか)、許さないか(赦さないか)」の話になると、それはそれで(米国における”I am sorry”とはまた違った意味合いで)気軽に発することができない気がする。「許し(赦し)」は特に一神教を信じる者にとっては、信仰において重要なテーマとなることが多いからだ。
「ごめんなさい」の表現として「ソーリー」を挙げているサイトもあった。英語のsorryから来ているものと推測される。バングラデシュでは気軽に使える「ごめんなさい」として都市部を中心に定着しているのかもしれない。sorryも外来語として使えば「その感情は誰のものか」みたいなことを考えなくても済む。
また、「ドゥッキト」を「ごめんなさい」として挙げているサイトもあった。「ドゥッキト」は直訳すると「悲しいです」で、日本語だと「残念です」が近いと思う。英語だとおそらく”It’s a shame that…”が近い。(ベンガル語で「ドゥッコ」は「悲しみ」。)日本語の「ごめんなさい」とはまた違う感じがする。
ベンガル語にもともとあった表現で日本語の「ごめんなさい」に近いのは、やはり「マフ・コルベン」の方だと思う。ただし、バングラデシュに住んでいた時(二十数年前の2年間)にその表現を聞くことはほとんど全くなかった。気軽に使える表現ではないからだろう。
バングラデシュで痴漢に遭った時、相手がしきりに「マフ・コルベン、マフ・コルベン」と言っていたのだが、あれは私に対して言っていたのではなく、神に向かって言っていたのではないか。
こうして考えてみると、日本では謝罪や「ごめんなさい」と言うことが「誠意の表れ」とされ「正しいこと」とみなされるが、実は社会的なマナーや文化的なコードの問題であって倫理観とはあまり関係ないのかもしれない。それどころか、感情を軽率に共有し、許すか許さないかを安易に相手に委ねてしまう傾向があるといえなくもない。許すか許さないかを決めるのはただの人間であり、そこに神は介在しない。
ちなみに、『10/16/2009: Feelingは誰のものか』の冒頭で、米国人が「子どもに対して、相手に対する謝罪や同情を表すことばとして"I am sorry"をきちんと言わせるようにしつける」という話をしたが、あれは子供が幼いうちから徹底的に社会性を身につけさせるということの一環であり、倫理的に正しいからというわけではない。
実は倫理的であるかどうかにはあまり関係ないかもしれない「ごめんなさい」が、日本で「誠意の表れ」「正しいこと」とされるのは、やはり感情において自他の区別が曖昧で、共感のあり方が「あなたの感情は私のもの、私の感情はあなたのもの」(自分の感情と相手の感情は全く同じものである)というところから来ているのだろう。そして日本文化の中ではそのような共感のあり方こそが倫理的に正しいと捉えられている。そう考えると、英語のsorryという言葉が持つニュアンスは、現代の日本人の感情にこそしっくりくるもののように見える。
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割礼の話
http://liyehuku.exblog.jp/32935318/
2023-03-31T11:17:00+09:00
2023-03-31T20:05:48+09:00
2023-03-31T11:17:03+09:00
liyehuku
Diary
9/4/2008: Circumcision
6/21/2009: おめでとう
1920年代~1950年代、英語圏では非宗教的な理由からの割礼が流行した。当時は割礼を受けることが性感染症を防ぐのに役立つと考えられていたのだ。かなり時代が降った1979年に至っても、米国では90%の男児が割礼を受けている。
Wikipediaの情報によると、19世紀末に米国から日本に入ってきたセブンスデー・アドベンチスト教会が、日本における医療活動を開始したのは1953年、沖縄での伝道がきっかけだそうだ。その当時の米国の医療の常識を反映して「非宗教的な理由からの割礼」が手順として入ってきて、そのまま残っているのだと思う。
現代の米国における医療の常識では、ざっくりいうと、
「包皮を切除していない場合には、それなりの洗い方があり、切除している場合と全く同じとはいえないが、大した違いではない。体を綺麗に洗う習慣さえついていれば、切除していてもいなくても医学的には問題がないと考えてよい」
ということになっており、米国で男児に割礼を受けさせる割合は減少傾向にあるようだが、2000年代後半になってもなお、6割の男児が割礼を受けていた。子供に割礼を受けさせる主な理由は「見栄え」で、「ロッカールームでのいじめ」を不安視する親が少なくなかった。出産後、退院前に受けさせれば、余分な費用も発生しないし、ということらしい。
ちなみに、生後1ヶ月を過ぎて受けさせようとすると、だいたい100ドル程度の費用が発生するという話だった。また、全身麻酔が必要になるので、全身麻酔がかけられる月齢になるまで数ヶ月間待つ必要もある。
生後1ヶ月以内なら全身麻酔の必要がないというのは、それなら本人(赤ちゃん)が自分が何をされてるか認識できないからだろうか。全身麻酔は、切除の痛みを感じさせないためというよりは、精神的なトラウマに関する配慮なのかもしれない。
なお、割礼を受けさせた後は傷が塞がるまで1日に複数回消毒する必要がある。
ところで、「体を綺麗に洗う習慣さえついていれば、包皮を切除していてもいなくてもどちらでもよい」というのは、水道の蛇口からお湯が潤沢に出てくる地域においては概ねその通りでよいのだが、そうでない地域、上下水道が整備されていないとか、断水が多いとか、そういう地域においてはまた別の話かもしれない。どうも、そういう地域では包皮を切除しておいた方が衛生的だと見なされることも多いようだ。
切除した時に患部を消毒する手間はかかるが、ほとんどの場合、傷は短期間で塞がる。また、そういう地域では、イスラム教などの宗教的な行事として本人がまだ幼い時期に処置することが多いため、それについてのノウハウがある。
イスラム教徒の間で割礼が必要なものと見なされる理由としてもう一つ考えられるのは、体を清めることが宗教的な意味も帯びている(1日5回の祈りの前には、事情が許す限り体を洗う)せいか、「性器をきれに洗うために丹念に触れる」ことへの忌避感があるのではないかということだ。もしそうだとしたら、包皮を切除しておいた方が手間要らずで清潔に保てるだろう。(これについては、ユダヤ教においても同様のことが推測される。)
では、そういう人たちはどのように体を洗うのだろうか。
20年以上前の話になるが、イスラム教国であるバングラデシュでは、日中、男性が家の外の井戸場のところで上半身裸で下はルンギ(巻きスカート状の男性用民族衣装)という姿でゴソール(体をきれいにするための水浴び)をしている光景をよく見かけた。たいてい上半身を大まかに石けんで撫で回して頭からざっと水を被って終わりである。ゴソールにお湯を使うことは、必要な皮脂分まで落としてしまうから健康に良くないと考えられていた。(確かに1日のうちに最大で5回もお湯を全身に被っていたら、肌には良くなさそうだ。)
池でゴソールしていることもあり、女性の場合は、サリー姿で何となく肩のあたりまで水に浸かり、腕で水を掻いてそれで終わり、という人も多かった。池で日常的にゴソールしているのは村に住んでいる人たち、都市部では貧しい人たちが多かったが、そうでない人でも池でゴソールすることに特にためらいはないらしい。ちなみに同じような池ならどこでも良いというわけではなく、全く人が立ち入らない池もあるので、地元の人に聞いた方が良い。
日本の入浴習慣(毎日湯船に浸かるというのは世界的に見ると特異である)に慣れた者の目で見ると、つい、「あれで体はきれいになっているのだろうか」と思ってしまうのだが、実は入浴習慣だけに気を取られていると、現地の衛生観念のほんの一部しか見ていないことになる。
たとえばバングラデシュだと、「右手=浄/左手=不浄」の使い分けが厳密で、左手は「不浄の手」である。握手をする時に左手を差し出したり、物を取って人に渡す時に左手で渡してはならない。そのような時に、どうしても左手を使わざるをえない場合は左腕のどこかに右手を添えるというマナーさえある。
トイレの後は専用の容器で水を汲んで(右手)、その水で綺麗に洗い流す(左手)のが一般的で、紙で拭くだけだと何となく不潔な感じがするという感覚の人が多かった。洗った後の水分を拭くのに紙を使わなくもないが、流すと詰まるので備え付けのゴミ箱に捨てる。(今でもそうだと思う。)
排尿や排便の後、水で洗う時に触れるのは、「体を清めるために洗う」のとはまた別のことだと捉えられているように見受けられる。乱暴に言ってしまうと、体の同じ部分ではあるが、トイレの時には排泄の器官であり、体を洗う時には生殖器や性器として感受される、というか。
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虫に対する憎悪はどこから来るのか(陰謀論、そして憎悪の構造)
http://liyehuku.exblog.jp/32917638/
2023-03-10T16:05:00+09:00
2023-03-10T16:05:24+09:00
2023-03-10T16:05:24+09:00
liyehuku
Nature
第一章・昆虫食とレビ記
第二章・コンテクストの内と外
第三章・見えないもの
まとめ
陰謀論と私(後書きに代えて)
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陰謀論と私(後書きに代えて)
http://liyehuku.exblog.jp/32916744/
2023-03-09T15:31:00+09:00
2023-03-09T15:31:20+09:00
2023-03-09T15:31:20+09:00
liyehuku
Nature
「穢れ」なり「生贄」なり、私はその順番がいつか自分に回ってくるような気がして怖いのだが、陰謀論に賛同する人たちは、その順番がいずれ自分に回ってくるかもしれないとは思わないのだろうか。
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まとめ
http://liyehuku.exblog.jp/32916742/
2023-03-09T15:30:00+09:00
2023-03-27T13:43:15+09:00
2023-03-09T15:30:23+09:00
liyehuku
Nature
夫や友人にとってイナゴを食べることが異文化でないことを知った時、私は本当に驚いたのだ。実験的な昆虫食の分野は12、13年前から活発になってきたように見受けられるのだが、そこに参入してきた業界関係者の中にも、同じような経験をした人がいるらしい。もし、関東圏でこの記事を読んでいる人がいたら、試しに身近な北関東出身者にイナゴが家庭の食事に出てきたことあるかどうか聞いてみてもらいたいくらいだ。
「虫を食べる人」は見えないものとして扱われてきた。直接的に忌避されてきたというよりは、社会全体が虫を忌避することで間接的にそのように扱われてきたのだ。いわば、虫が日本社会というコンテクストの中で激しく攻撃される(駆逐される)陰で、「虫を食べる人」は社会から見えない存在になったのである。
私は家に出たゴキブリを素手で殺すし、ペット用のゴキブリを見ると「あら素敵」と思うし、食用のゴキブリには興味が湧く。食用のゴキブリはオスの臭腺を取り除くのが重要なのだそうだ。他にもいくつか下処理にコツがある。ちなみに、家に出るゴキブリは何を食べているかわからないし、どんな化学物質に曝露しているかわからないので、食用には向かない。
素手でゴキブリを殺しても、後で綺麗に手を洗えば気にならないと私は思うのだが、そういう人はとても少ない。まるでゴキブリを素手で触ると、その人に烙印が押されるかのようだ。ゴキブリは社会の「穢れ」として扱われている。私も、家族以外の人前でゴキブリを殺すような機会があったとしたら、素手ではやらない。世の中から「烙印」を押されたくないからだ。
一方、私から見れば口を噤んでいるように見える夫や友人は、別に外的な圧力によって口を噤んでいるわけではない。彼らは虫に関心がない、あるいは虫が嫌いなだけだ。社会が虫を忌避する傾向をそのまま内面化しているのである。彼らにとって食卓に出てきたイナゴは食べ物であって、虫ではない。私にしても、生きている虫を調理することにはためらいがあるが、茹でてしまえばそれは「食材」となる。
このたび、昆虫食に関する陰謀論が急に広まったことで、これまで長い間、同じコンテクスト内に存在したにも関わらず、見えないものとされ、存在しないものとして扱われてきた「虫を食べる人」が可視化された。鶏が先か卵が先かみたいなところはあるが、勝負はこれからだという気がする。
この先どうなるかわからないが、一つ言えるのは、虫を今のように忌避する社会が見えなくしているものは、「虫を食べる人」だけではないということだ。
以前、ある友人と虫を話をした時に、相手から虫の話を出してきたにも関わらず、「ごめん、私、虫嫌いだから」と拒絶された。もしこの話(下記スクリーンショット参照のこと)を第三者にした場合、変人として扱われるのはおそらく私の方だ。別に私はそれを問題としないが、問題を抱えているのは彼女の方であるとは思う。「問題」と言うと語弊があるが、何かしら受け入れがたいものを本人の意図しない形で表出しているという点で、仮に「問題」と表現させてほしい。その「問題」は、彼女の中で「虫」に象徴される何かではあるが、虫そのものではないのではないか。とはいえ、その「問題(のようなもの)」は誰の中にも何かしら避け難くあって、折に触れて向き合う必要はあっても、解決できるような類のものではないことも付け加えておきたい。(そして、私のこのような考え方は、河合隼雄著『無意識の構造』に強く影響を受けたものであることも同様に付け加えておく。)
日本社会というコンテクストの中にある虫に対する憎悪を、社会の構成員である個人が内面化した結果、その人の中で、無意識の底の方にある憎悪すべき存在が虫に投影されているように見える。
陰謀論と私(後書きに代えて)
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第三章・見えないもの
http://liyehuku.exblog.jp/32916638/
2023-03-09T12:37:00+09:00
2023-03-17T13:15:52+09:00
2023-03-09T12:37:33+09:00
liyehuku
Nature
彼らと話している時に、白人至上主義者の話になった。
「え、そういう人ってこの辺にもいるの?」と言う私に、2人は頷きながら、
「近所にもいるよ」
「大丈夫。何かあったら教えてあげる」
と言うのだった。
2019年、テキサス州エルパソのウォルマートで銃乱射事件が起こった時、すでに私たち家族が日本に帰国して何年も経っていたが、画面に映った見覚えがある風景に私の心臓はぎゅっとなった。私はあの場所を知っている。被害にあった人の多くは国籍は何であれ合法なステイタスでそこにいた人だと思われる。ひょっとしたら全員そうだった可能性もある。1000km離れたテキサス州アレン市(ダラス近郊)から人を殺しに来た犯人の標的は「移民」だった。犯人にとって被害者が米国市民であろうがどうでも良かった…というよりむしろ、ヒスパニック系アメリカ人こそが彼の標的だった。
不法滞在者は私たちからは「見えない」。
意外な話だが、国境の街にいる方がより見えづらくなる。
2005年のクリスマスだったか、まだ内戦状態に陥る前のフアレス(国境のメキシコ側の街)で、夫の職場の人の自宅に食事に招かれた。何かの拍子にフアレスの治安の話になった。その人が言うには、フアレスの治安は良いのだ、と。
「この時期に米国の若者たちがやってきて羽目を外すのが困るくらいかな。拳銃が目当てで来るんだ。でも深夜に出歩かなければ大丈夫。あなたたちが帰る時間帯は問題ない」
不法に米国に入ろうとする移民が大勢殺されて街の外れに埋められるようなことが起こっていても、組織犯罪に関係するようなことさえなければ、庶民は安全に暮らせる。(その後、フアレスの状況は一変するが。)
夫は家族とエルパソで暮らし、毎日、越境してフアレスの職場に通っていた。日本人駐在員はおそらくみんなそうしていた。エルパソの治安の方がさらに「良い」からである。
2004年から2005年にかけて私はテネシー州に住んでいた。家の前を通る道のすぐ向こう側で牛が草を食んでいるような田舎町だが、特に不便なこともなく、住みやすい所である。
当時、私は小さな施設で英語を母語としない人たちが英語を学ぶクラスを受講していた。無料だったので、公立の施設だったのではないかと思う。少なくとも行政からの補助金で運営されていたはずだ。
生徒たちはいつのまにかやって来て、すぐにいなくなる。川の水が流れて行くように。時には私以外の生徒がいないこともあった。干上がった川のようだった。
ちょくちょく出席していた生徒が1人、姿を見せなくなった。
「彼はメキシコに帰りました。お母さんの具合が良くないそうです。またこちらに戻って来られるかどうかわからない。彼は不法滞在者で、行き来するのはとても危険だから」
と先生は言った。
そのクラスには同じような生徒が他にも多く来ていた。ここからは私の推測に過ぎないが、おそらく受講の申請書類を書くのにコツがあって、書類上は施設側が「受講者が不法滞在者であることを知らなかった」と言えるようにしてあったんじゃないかと思う。
数ヶ月後、彼は何事もなかったかのように教室の椅子に座っていた。
もう彼の名前を思い出せないが、その時の「ああ、良かった。無事だった」という安堵の気持ちと拍子抜けの可笑しさからくるホッコリした感覚は今でもはっきりと思い出せる。
不法滞在者は「同じコンテクスト」に属しているのだろうか。
人は見えないものを存在しないものとして扱うことができる。
彼らは確かにそこにいるけれども、いないものとして扱われることが多い。同じコンテクストに属しているとも言え、属していないとも言える。ただ、彼らのうちの誰かが本当にいなくなった時は、あたかも最初からいなかったかのように扱われる。
まとめ
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第二章・コンテクストの内と外
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2023-03-08T08:38:00+09:00
2023-03-19T10:07:50+09:00
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liyehuku
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食の禁忌のように「新約聖書でチャラ」になっていないのはなぜなのか。
まず、レビ記の記述を確認しておこう。
「女と寝るように男と寝てはならない。それはいとうべきことである」(18章22節)
「これらのいとうべきことの一つでも行う者は、行う者が誰であっても、民の中から断たれる」(同29節)
この29節が「殺せ」と解釈されている。
次に新約聖書を確認してみると、イエスは同性愛について言及していない。パウロは男色について「ダメだ」と言っているが、「救われない」と言っているだけで「殺せ」とは言っていない。
『コリントの信徒への手紙 一』(パウロが信徒に送った書簡集の一つ)を見てみよう。
「みだらな者、偶像を礼拝する者、姦通をする者、男娼、男色をする者、泥棒、強欲な者、酒に溺れる者、人を悪く言う者、人の物を奪う者は、決して神の国を受け継ぐことはできません」(6章9-10節)
「あなたがたの中にはそのような者もいました。しかし、主イエス・キリストの名とわたしたちの神の霊によって洗われ、聖なる者とされ、義とされています」(11節)
11節は要するに「悔い改めれば救われる」ということだ。ただし、自分のアイデンティティとして同性愛を受容することと、それを悔い改めることは両立しない。
パウロは磔刑前のイエスには会ったことはないが、直接啓示を受けた。神から啓示を受けた人は少ないとはいえ他にもいるのだが、モーセが神と会ったようにイエスと「会った」人は他にいない。そのためか、12使徒と同様の扱いを受けている。聖人という概念を持たないプロテスタントの宗派でも、原理主義的な立場をとる人たちはパウロを重視する。元々はクリスチャンを迫害する立場の人間であり、生前のナザレのイエスに会うことなくキリスト教に改宗したという劇的な経緯に、現代のクリスチャンの立場を重ねたり、共感したりすることも多いようだ。
聖書を確認した上での全体の印象としては、生殖に関すること(殖えて広がること)が是とされているためか、旧い約束が新しい約束でリセットし切れていないように見える(①)。
ただ、同性愛者に対する暴力は、加害者と被害者が同一のコミュニティに属している時に苛烈になる傾向がある。日本の学校の教室内で起こるいじめと同じで、集団の中で弱い立場に置かれた人に対して向かう暴力であることが基本的な性質である。
「あいつがやられるのは仕方がない。だってあいつは◯◯だから」
それが、「だってあいつは同性愛者だから」になっているということだ。加害者は、同じコミュニティに属する他の多くの人がそのように感じるのを知っている。①を共有しているから。
集団の中で弱い立場の者に向かう暴力においては、被害者と加害者は同じコンテクストに属している。その範囲はコミュニティであったり地域であったりする。地域の場合、町だったり市だったり州だったり国だったりすることもある。いずれにせよ範囲が狭くなるにしたがって、暴力が激しくなる傾向がある。
一方でそのような加害を行う人間であっても、他の国では、たとえその国がキリスト教圏であっても、その地域の同性愛者に暴力を加えることはない。
ある人に対して違和感や忌避感があったとしても、相手が異なるコンテクストに属している場合はいったん留保されるのだ。米国において、異なる食文化に関する態度はそれに該当するだろう。他方、相手が同じコンテクストに属している場合はその留保がないので、断罪したり、暴力に繋がったりする。
同性愛者に対する暴力は、いわば身内に対する暴力なのだ。身内に対する暴力は歯止めが効かない傾向がある。
前述のバイブルスタディで、ある受講者が、
「聖書を読むと、神はクリスチャンには優しいのに、ユダヤ教徒に対しては残酷な気がします。なぜでしょう」
と尋ねた時の講師の回答は、
「それはユダヤ教徒はいわば神の実子であり、クリスチャンは養子だからです」
だった。
あるいは、「海外に出て異文化に接触した時のカルチャーショックよりも、帰国後のカウンターカルチャーショックの方が辛い」という話がある。私が青年海外協力隊に行く際の派遣前訓練では、この情報が講義で共有された。これも留保の有無の問題である。この場合、受け入れる2つの社会のそれぞれが経験者に向ける態度に留保があるかどうか(前者にはそれがあり、後者にはない)だけでなく、経験者自身の中にある留保の有無(前者に対してはそれがあるが、後者に対してはない)も重要なポイントとなる。
暴力の性質から考えると、現代の米国社会において、同性愛に関するレビ記の記述は、同性愛者に対する暴力に間接的には関与しているが、直接的に関与しているわけではない。「レビ記に同性愛者を殺せと書いてあるから…」という言説を、何の説明もなく引き合いに出すのはフェアではないと思う。
また、「外国から来た同性愛のカップルが日本のホテルでの対応が寛容なことに驚いた」という話からの、「だから日本は同性愛に寛容」という流れも飛躍が過ぎる。「日本スゴイ」という主旨の言説に縋るような痛々しさがある。
日本のホテル業界において同室の客同士の関係性に頓着しないという慣習があり、諸外国と比較してそれがある程度珍しいのは確かかもしれないが、だからといって日本社会が同性愛に寛容なわけではない。
日本でも「同じコンテクストに属しているかどうか」によって対応は全然違ってくる。
昆虫食(食文化の受容)についても同様で、「実践者が異なるコンテクストに属している場合は、善悪の判断がいったん留保される」という要素も考慮に入れる必要がありそうだ。つまり、実践者が同じコンテクストに属している場合は、その人に対する反応が激しくなるかもしれないということを意味する。
第三章・見えないもの
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第一章・昆虫食とレビ記
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2023-03-07T16:51:00+09:00
2023-03-17T07:52:34+09:00
2023-03-07T16:51:37+09:00
liyehuku
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私にとってそれは大変由々しき事態である。
だいたい、世の中には虫全般が嫌いな人の方が多いのだ。虫全般に興味がない人と合わせたら圧倒的なマジョリティである。今回の陰謀論に「一般的な」虫嫌いの人がたくさん賛同していた。世論がそっちにぐっと傾く様を見て、「ああ、人は自分の感覚に沿った陰謀論であれば、すんなり受け入れられるのだ」というのを実感して怖かった。(きっと、自分にとってそのような陰謀論があれば、私もそうなるのだ。)
我が家の場合、私と下の子が昆虫食に興味がある。上の子にもそのついでに味見してみたいというくらいの好奇心はある。下の子の同級生にも昆虫食に興味がある子がいるらしい。家族からその興味を否定されることはないようだが、自宅で昆虫を調理する許可は出ないそうだ。
夫にしても友人にしても、「子供時代、イナゴは普通に食事に出ていた」はずなのに、まるで口を噤んでいるかのように見える。彼ら自身は虫に全然関心がないので、自分が口を噤んでいるという意識はないだろうけど、傍から見ると「虫を食べること」に対する拒絶反応が過剰なように見える。
それはなぜなんだろう?
そんな中、Twitterで、「昆虫を食べることに関するレビ記の日本語訳が2017年に変わっていて、それはコオロギ食をゴリ押しする勢力の陰謀に違いない」という意味のことを言っている人がいるらしいこと、そして、それがデマであるという情報が、私のTLに流れてきた。
私は聖書の日本語訳の変遷について具体的な事実を把握していないが、犬養道子『聖書を旅する』第10巻で、そもそも共同訳聖書がどのように作られたのかを読んだことがあり、そこから日本語訳について類推することはできる。単純な陰謀論が入り込む余地は全くないはずなのだ。だから、デマの検証を読む前から既に「日本語訳が2017年に…」の言説に違和感があった。日本語訳の策定に関わる人たちに対する敬意のない言説だと思う。
もっとも、デマかどうかをおいておいても、この言説がもし正しいと仮定したら、全く意味不明なことになるのである。
テキサス州エルパソに住んでいた時、私は毎週地元のバプテスト教会のバイブルスタディに通っていた。私が選択した講義の講師は高齢の女性で、キリスト教の原理主義的な考え方を持っていた。受講者は10人前後で、平均年齢は概ね50歳から60歳の間くらいだったと思う。
ある時、講義中に十戒の話になって、受講者から「旧約に書いてある食の禁忌は守るべきなのか」という質問が出た。講師はそれに対して「新約聖書が私たちに与えられ時点で食の禁忌は無くなりました」と回答し、ブラッドソーセージを例に出した。
「たとえば、旧約では血を食べてはダメということになっていますが、血を使ったソーセージなどはごく普通に食べられています。私が以前住んでいた場所の近所には東欧から来た人たちがいて、私もそのソーセージを食べたことがあります。おいしかったですよ」
そもそもアメリカ人はわりと何でも食べる人たちなのである。
アメリカ人は保守的か
https://liyehuku.exblog.jp/16236532/
要因としては考えられるのは、歴史が浅い国だとよく言われるものの、歴史が断絶することがなかったこと。記憶も記録も何かしら残っているし、大恐慌などの困窮した時代と地続きで続いている。わりと何でも食べて生き延びてきた。
個人的な好みが大量生産される食べ物に集約されがちで、味覚が単調だと揶揄される一方で、「何でも食べてきた」結果として、全体的には食べ物に対してオープンな態度となっているため、特定の食べ物についての陰謀論が成立しにくい、あったとしても広まりにくいのではないか。
たとえば、2004年に米国の一部地域で17年ゼミBrood Xが大量発生したのだが、テネシー州のローカルニュースはセミの調理法を実演付きで報道した。「やかましいけどこういう利用法もありますよ」という文脈である。別に批判はされない。嫌いな人は「うへえ、自分は食べないけどな」で終わりだ。
とはいえ、私の持っている情報は古い。
今回、昆虫食に関する陰謀論の情報が(それに対する反論も含めて)次々とTwitterで流れてくる中で、「あなたも「“昆虫食”陰謀論」にハマってませんか? 昆虫食への嫌悪感の理由と映画の影響」という記事を読んだ。
あなたも「“昆虫食”陰謀論」にハマってませんか? 昆虫食への嫌悪感の理由と映画の影響
https://cinemandrake.com/entomophagy-conspiracy-theory
その中に、米国で発生した「昆虫食に関する陰謀論」について解説がある。
“この「グレート・リセット」陰謀論の中に「世界のエリートは自分たちだけが美味しいステーキを独占し、それ以外の者たちには虫を食事として押し付ける気だ」という考えがあるわけです。「リベラルな世界秩序」が昆虫食を奨励しようとしているというのがこの集団の筋書きです”
なるほどそういうことか。支持しているのはネットを活用する世代と推測される。確かにある年齢より下の人たちは、「何でも食べて生き延びてきた」という実感を共有しない人の方が圧倒的に多いだろう。
ただ、同時に、「リベラル憎し」ということなら、もっと広範囲に広がっていても良さそうなのに、という気もした。
欧米ではネット以外の場所でそれほど昆虫食が忌避されてないように見受けられるのだ。
日本ではもっと世論がそっちにぐっと傾いた感じがある。欧米ではそういう光景はほとんど無さそう。
また、メディアの影響の大きさについて言及されているが、欧米では、映画やドラマにおいてネガティブな取り上げ方をしていても、それ以外の分野においてはあっけらかんと昆虫食を取り上げているように見える。「それ以外の分野」とは、たとえば、前述の「ローカルニュースで紹介されたセミクッキング」とか、もう少し新しい話だと、ブッシュクラフトとかサバイバルの番組での昆虫を食べることの扱いとかがそれにあたる。
映画やドラマだと、社会的な背景やキャラクターを描くのに記号を使うしかないという限界があって、その分野だけ取り上げると一面しか見えない。
私はヨーロッパの事情について知らないのだが、キリスト教的な価値観から見ると、「食の禁忌は新約聖書でチャラ」というのは、同様に食文化の土台になっているのではないかと思う。そうでなくてはキリスト教が民族を超え、地域を超えて広がることはできなかった。
そして、それは単にキリスト教の歴史においてドラスティックだったというだけでなく、食べることは生きる上で必要不可欠であるがゆえに、現代の人間の生活においてもドラスティックに作用する。何を食べて何を食べないかは、完全に個人の選択であり、正しいか正しくないかの問題ではない、という具合に現代人の食生活も都度リセットされるからだ。私が知っている限り、米国はその点についてはかなり寛容な社会であると言える。(もちろん、社会は寛容なだけではいられないので、別のところで不寛容な面はあるし、そこでは「正しい」「正しくない」を延々とやっているのだが。)
さて、ここで、「レビ記の日本語訳が2017年に変更された」という話に戻ろう。
仮にこれがデマでないとする。
「レビ記」は旧約聖書のうちの一書である。
しかしその記述の変更は、クリスチャンの食文化には影響がない。
なぜなら「食の禁忌は新約聖書でチャラ」だから。
また、クリスチャンと並び「啓典の民」とされるイスラム教徒やユダヤ教徒の食文化にも全く影響がない。
なぜならそれはキリスト教の聖書だから。しかも日本語に訳された物だ。
その手のデマを流そうとしている人たちに憤りすら覚える。
その人たちが何らかの信仰を持つにしろ、持たないにしろ、「信仰を持つ人たち」に対する敬意がない。
いったい誰に対して発信してるんだろう?
特定の信仰を持たない人たち?
だったら、その人たちのこともバカにしてるんだと思う。
「お前はいったい何者なのだ?」
という言葉は、うかつに人に言ってはならないが、信仰を持つとか持たないとか、そういう個人の尊厳に関わる情報を使ってデマを流そうとする人には問わざるを得ない。
あんたはいったい何者なんだ?
続いて、「ところが話はそう単純じゃなかった」という話。
第二章・コンテクストの内と外
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昆虫食と私(前書きとして)
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2023-03-07T11:20:00+09:00
2023-03-17T07:31:31+09:00
2023-03-07T11:20:21+09:00
liyehuku
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ことの発端は「昆虫食に関する陰謀論」…いや違うな、私の子供時代に遡る。
子供の頃、私は身近な生き物を捕まえて飼育するのが好きだった。その辺で捕まえてきたニホントガケの幼体を、使い古しの漬物樽に土を敷き、藁を敷いて、植木鉢の欠片で隠れ場所を作った所へ入れて飼っていたことがある。餌は生き餌を与えていた。道路で干からびたミミズをトカゲが咥えているのを見たことがあったので、ミミズを入れたが、生きたミミズは土に潜ってしまい、そうするとトカゲが食べられない。本を読むなどしていろいろ検討した結果、生きたコオロギを一緒に飼うことにした。その頃、実家の近くの山の斜面にはミカン畑があり、ミカンの木の下には雑草が生えてこないように、布団の古い綿が敷いてあった。それを捲るとエンマコオロギが次から次へと出てくるのだ。幼虫を捕まえてきた。樽の中でエンマコオロギの幼虫はすくすくと育つ。お腹の部分がプリプリしていて美味しそうだった。
とはいえ、当時、実際に食べることはなかった。
だいたい、温暖な気候の瀬戸内に住む人たちは食についてわりと贅沢なのだ。魚なんかも海の魚がいろいろと豊富なので、淡水の魚は「泥臭いから」といって食べ物と見なさない。例外は鮎くらいだった。
ただ、うちの場合、母が戦後、子供のおやつの乏しい時期に育ったこともあって、その頃食べた物をいろいろと私に食べさせることがあった。その一環でアシナガバチの幼虫を食べたことはある。食べるというか、巣から引っ張り出して噛まずにそのまま呑み込む。今になって思えば、「未消化物は取り除かないの?」とか「加熱は?」とか気になることはいくつかあるが、まあいいや。
そんな私も成長し、昆虫と縁遠い生活を送るようになる。青年海外協力隊でバングラデシュにいた時や、結婚して米国で生活していた時に、虫(ハエ、蚊、ゴキブリ、ハチ)との攻防を経験しはしたものの、特に興味を持つことはなかった。
変化があったのは、日本に帰国後、幼稚園に通う年頃になった下の子が、生き物に興味を持つようになってからだ。子供のことなので、何を飼ってもすぐに飽き、世話をするのは私だけになる。カブトムシやクワガタも、トカゲやヤモリの餌として捕まえてきたコオロギも、飼ってみると「ゴキブリとあまり変わらんな」というのが正直なところだった。
それはそれとしてその辺に普通にいる生き物を飼うというのは非常に楽しい。昆虫ではないがダンゴムシやらオカトビムシやらミジンコやらカタツムリやら、そういうものもいろいろ飼った。夜になってカブトムシが立てる繁殖行動の音には辟易したが、カタツムリが夜、キャベツを食べる時にささやかな音を立てるのは好きだった。
私が昆虫食に興味を持ったのはそういう時期だったと思う。だいたい10年くらい前だ。興味は持ったものの、当時は実際に食用にするためにどのような注意が必要で、どのような下処理が必要なのか、具体的な情報が乏しかったのと、実験的に食べている人はいてもEBM的なエビデンスが足りないように感じたので、実際に食べてみることはなかった。
そこに変化があったのは、やはり下の子がきっかけだ。彼は3年くらい前からサバイバルに興味を持っているのだが、「そういう状況が長期的に続いた時、動物性タンパク質の摂取が重要になってくるが、いきなり哺乳類や鳥や魚を獲るのは難しい。昆虫なら何とかなる」と考えたらしい。
私はまず「加熱してくれ」と言った。欧米の有名サバイバリストたちが何かというと生で口に放り込むからだ。(彼はエド・スタッフォードのファンである。)そして、自分が持っていた昆虫食の本を彼に渡し、昆虫食について最新の情報が載っていそうな本を何冊か購入した。
その後、彼がお年玉をもらったタイミングで昆虫食の店に連れて行き、親子でそれぞれ購入するなどした。昆虫食は高いのだが、オオスズメバチはまた買おうと思った。ただ、店が遠い。ネット通販で買うしかないな。しかし、オオスズメバチの商品はしばらく在庫がない状態が続いていた。
数ヶ月前、友人と会うのに都心に出ることになった。調べてみたらオオスズメバチの在庫があった。せっかくの機会なので、昆虫食の店に付き合ってもらうことにした。
以前、別の友人と話していて虫の話が出た時に、「ごめん、私、虫苦手だから」と拒絶されたことがある。虫の話を出したのは相手の方だったので理不尽な話だが、虫のことになるとこういうことが起こりがちなので、大丈夫かどうか事前に確かめておいた。
そして、その友人と一緒に店に入ったのだが、彼女ときたらそれほど広くない店内でさんざん「虫食べるの!?」「食べたことあるの!?」「うわ、これ食べるの?」と言った挙句に「私はいいや」と言い、店の人や他の客がいる手前、私がだんだん居心地が悪くなってきたところへ、
「でも子供の頃はイナゴ捕まえてきて、夕食に食べてたけどね」
ときた。
いや、こっちの方がびっくりするわ。
帰宅して、夫にその話をし、
「彼女が昆虫食に対して拒絶反応を示すのは、それが異文化だからと思っていたらそうじゃなかったのでびっくりした」
と言ったら、
「(自分にとっても)異文化じゃないよ。子供の頃はイナゴがご飯のおかずで出てきた」
と言うのである。
私が昆虫食に興味を示し(10年くらい前)、次に下の子が興味を持ち(約3年前)、捕まえてきた虫(セミの幼虫やらバッタやら芋虫やらクモやら)を実際に私と子2人が食べ(1年半くらい前からやっている)…というようなことをあれこれやっていたのを「うへえ」という顔で遠巻きに見ていた彼が、それを「異文化ではない」と言ったのはそれが初めてだった。
私は混乱した。
さて、ここからが本題である。
第一章・昆虫食とレビ記
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手を離して、手を放す
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2023-02-21T17:21:00+09:00
2023-02-21T20:09:11+09:00
2023-02-21T17:21:30+09:00
liyehuku
Diary
そういうことが起こる前は、死んでしまうとか行方不明になって二度と会えないとか、そういう重大な事態はもちろんのこと、非常に些細な怪我まで「漠然とした不安」に含まれてしまい、不安がパンパンに膨らんだ状態になっていたのだろう。しかし実際にコトが起きてみると、そのうちの8割くらいは何とかなる(いずれ日常生活に戻れる)のだった。それが実感できたことが大きい。
不思議なことに、私の不安が萎むと同時に、下の子の怪我も少なくなった。おそらく彼が生活の変化や急激な体格の変化に慣れてきたこととたまたまタイミングが重なっただけで因果関係はなさそうではあるが、でもこの「同時性」は面白いなと思った。
似たような話は上の子にもある。
彼女は風呂の中で寝る(しかも深夜)。危険極まりないので、私がそれを気にして寝付けなかった時期があるのだが、ある時、急に「もういいや」となった。
「今や彼女が学校に行ったり遊びに行ったりする時にあれこれ心配することもなくなった。心配することがなくなったからといってリスクがなくなったわけではない。ただ、もうこの先は彼女の人生だし、基本的には彼女自身がそのリスクを扱うべきだから、何かが起こるまでは心配しないで済むのである。
家の中で起こることも同じではないか?ひょっとして、私が彼女が風呂で寝ることを必要以上に気にかけることには、”風呂で死なれると後始末が大変”という以上の意味はないのでは?」
と思ったのだ。
今でも彼女が風呂で寝ることが全くなくなったわけではないが、それを頻度は激減した。
こっちは多少因果関係がありそう。
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生殺与奪の権利を握られたくない
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2023-02-19T18:03:00+09:00
2023-02-19T18:03:50+09:00
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liyehuku
Diary
「それはなかなかわかんないかもねえ。もしかしたら10年後とか、20年後とかにわかる、みたいなことはあるかもしれないけど」
「わかるのかな?」
「わかるっていうか、そういう風に自分で受け止められるというか、その他のいろんな経験も含めて自分の人生の流れとして理解するというか」
「そういうこと、経験ある?」
「たとえば、自分が大学に入る時、どうして東京の大学にしたのか、がそうかな。あれは多分、とにかく家から離れたかったんだと思う。そのために最初の一歩をできるだけ高く、できるだけ遠くまで跳ぶ必要があった。でも、当時はそんな風に思ってなかったよ」
その後いろんな話をした。自分達が子供の頃に多かった子供の性被害の話になったり、彼女がかつて職場で受けたセクハラの話(「ああいうことするやつはみんな不幸になるのよ」)になったりもした。紆余曲折を経て、現在彼女が働いている職場の話になった。
「…で、(彼が書類を提出してなかったので)提出してくださいって言ったの、相手がその時点でムッとして、私は”あ、これ以上言ったら彼は激高するな”と思って引いた。若い頃の私なら無謀だったから詰めたと思うけど、歳を取っていろいろ経験を積んだから、それ以上言わなかった」
「それなんだけど、そういうことを感じてサッと引くのって、女性は自然にやってる人が多いよね。”あ、これ以上は危ないな”というのを感じ取る、みたいなこと」
「ああ、そうかもねえ」
「男女の非対称性っていうか。たとえば、私たち夫婦の話なんだけど、うち、夫も私もそれぞれ人から嫌われやすいというか、ムカつかれやすいタイプなんだよね」
「どういうことよ」
「まあ、一言で言うと失礼なんだよね。夫と知り合った頃、周囲の女性たちの中に彼を嫌っている人が複数いたんだよ。私も嫌いだった。彼との間にあったエピソードを、彼を知らない高校時代の友人に話したらドン引きで、その後、結婚したって言ったらすごく驚いてた、なんてこともあった。彼女、彼に会ったことないのに。
もう一方の私、これまで生きてきて、男性から何かの拍子に”殴りたい”、”殺してやろうかと思った”って言われたことが何回かある。女性からはそんな風に言われたことない。距離は置かれるけど。
夫を嫌ってる女性たちが物凄く彼を嫌っていた理由って、そのあたりにあるんじゃないかと思う。”自分たちと同じリスクを背負ってない”っていうか」
「話が見えないんですけど」
「女性が失礼なことを言うと、”殴りたい”とか”殺してやろうかと思った”とか言われることがあるわけよ。でも、男性が同じようなことを言っても、そういうことは言われない。男性同士でそういうことがあったら、”なんやコイツ”と思われてそれ相応の距離は置かれるけど、相手から面と向かって、”殴りたい”とか”殺してやろうか”って言われることはまずないわけ。それに対して女性は男性よりより低い閾値で殴られるかもしれない、殺されるかもしれない、みたいな話になるの。彼はそういうリスクを背負ってない」
「ああ、なるほど」
「まあ、何だかんだ言って、彼がそういう人だから結婚したのかもしれない、と、今振り返ってみるとそういう気がする」
「ちょっと待って。また話が見えなくなった」
「何ていうか、うまく説明できないんだけど、家族がみんな同じような考え方してたら、誰かが煮詰まったら皆同じように煮詰まっちゃって打開策が見つけられないじゃん。あんまり同じ方向向いてない方がいいっていうか。まあ、そのせいでうち、家族全員超絶めんどくさいタイプなんだけど」
あと、夫は自分が「そういうタイプ」なので、相手の女性が「そういうタイプ」でも比較的気にしない、というのも重要な点だと思う。「殴るぞ」とか「殺してやりたい」とか言われないで済むから。
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