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2016年 11月 07日
記憶には中毒性がある。
初めての海外在住経験(旅行は含まない)はバングラデシュだった。カルチャーショックに苦労した覚えはあるが後にそれは「面白い経験」に変わった。 そこから日本に帰ってきてまもなく今度は米国に住むことになった。転勤する配偶者に随行する形だったので最初はひっそりと暮らし、自分たちの生活を回すことに慣れたあたりから、外に出てカルチャーショックを楽しむようになった。ブログの記事にすることでカルチャーショックを話のネタに変える腕が上がった。子供ができてからも積極的に子供を託児サービス(地元のキリスト教教会のデイケア)に預け、バイブル・スタディや就学前の子供を持つ母親たちで組織される集まりに参加していた。 バングラデシュの思い出は米在住時にも時々「ぶり返した」。それはフラッシュバックのように蘇る。 ベンガル語が自分の中から失われていくことを恐れていた。 さて、そこからいよいよ日本に帰る。 カウンターカルチャーショックについては知識があった。青年海外協力隊でバングラデシュに行く前に講義を受けたからだ。 米国から一時帰国した際にも「スーパーやコンビニでただ買い物するだけなのに過剰に丁寧な受け答えをしてしまう」などの奇妙な居心地の悪さを感じることはあった。 カウンターカルチャーショックの知識があるだけに、自分が認識したそういうちょっとした居心地の悪ささえどうにかなればそれは終わるのだと思っていた。慣れれば済むだろう。長くても3年かそこらで終わるはず。 でもそうではなかった。 カルチャーショックを認識するのは簡単だ。 でもカウンターカルチャーショックを認識するのは難しい。「ショック」というわかりやすい形では訪れてくれないからだ。 「もともと自分が暮らしていた(そして今後も暮らしていくことが前提の)場所に帰るのだから」、たいていの人はそう思う。 たいていの人は海外で暮らしている間に自分の中に「自分の国」のイメージを持つ。でもそれはほぼ100%の確率でずれている。 もちろん、自分が留守にしている間に時代が移り変わってしまったから(イメージしている相手が変わってしまった)ということも大きいが、それより重要なのはそのイメージが自分が作り上げたものであるということだ。フィクションなのである。そもそもずれている。もしくは物事の一部しか捉えていない。よく知らない相手について持つ「先入観」や「偏見」とそれほど変わらないものなのだが、自分ではそれに気がつかない。 その上、変わってしまったのは相手ばかりではない。自分も変わっている。自分の変化は相手の変化より気づきにくいし、気づいたとしても自分が全然予想しなかったところだったりして、気づいたところで扱いに困る。共有できる人は周りに少ない。 日本に帰ってきてから数ヶ月に一度くらいの頻度で「フラッシュバック」が起こった。たまたま耳にしたカントリー・ミュージックに心を根こそぎ持っていかれるようなこともあった。(カントリーの本場で暮らしていた時は全く興味がなかったのに。) ふと、そういうことが最近めっきりなくなったのに気がついた。 米国から帰国して6年たった。 きっかけはダッカの人質殺害事件だと思う。 過去はもう存在しない。自分がいた場所もそこで出会った人も今はその時と同じものではない。私が思い出すものは自分の記憶の中にしか存在しない。 記憶はフィクションである。 思わぬきっかけから私は記憶から解放された。 注) この記事はフィクションを否定するものではありませんし、自分の中で作られる自分についての物語にも効用はあります。今回はたまたま副作用に焦点を当てました。 フィクションを摂取する際には「現実への着地点」が重要になりますが、自分の中で作られる自分についての物語(≒記憶)の場合、そこがはっきりしないことが多いので副作用の影響を受けやすいという傾向はあると思います。 #
by liyehuku
| 2016-11-07 09:18
| Diary
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2016年 07月 08日
ダッカ人質事件でバングラデシュ軍による突入が行われた後、現場の内部の状況がTVのニュースで初めて伝えられた時、私は泣いてしまった。
土曜日の夕方、TVを観ながら泣いている母親を見て下の子は、 「お母さん、どうして泣いているの?死んだ人の中に知っている人がいたの?」 と尋ねた。 「ううん、知っている人はいないよ。お母さんは…ただ…この事件のせいで日本の人たちがバングラデシュの人たちのことを悪い人だと思うんじゃないかと思ってそれが嫌なんだと思う」 「ISを潰したらどうなるの?みんな殺したらどうなるの?(こういう事件はなくなるんじゃないの?)」 「今現にそれをやっているところで、ある程度は成功してると言われてる。でもそういう時期には逆にこういう事件が増えるよ。潰される側も必死だから。それにISがもしなくなったとしてもまた次が出てくる。ISの前にもいたし、今だってISだけじゃないんだもん。戦うことは必要。でも戦うだけじゃ十分じゃない」 昨日の朝、私がバングラデシュにいた時に同じように隊員として派遣されていた人たちのSNSの投稿をチェックした。ある人の「アザド先生はとても素晴らしい方です。今朝、先生が教え子たちに謝っている投稿を見て、言葉を失い、涙してしまいました」という言葉に胸が締め付けられた。アザド先生は、青年海外協力隊の派遣前訓練でバングラデシュに派遣される隊員に長い間ベンガル語を教えておられた。 イスラム教の過激派がテロを起こすたび、「彼らは真のイスラム教徒ではない」という言説がムスリムの内からも外からも出てくるし、私自身そういう観点で自分を納得させようと試みたことが何度もあった。 しかし、そのような試みは決まってうまくいかなかった。 今回の事件で「真のイスラム教徒とは何かということを突き詰めれば、どうしてもイスラム教の正義とは何かということになり、その正義は非イスラムの人たちを排除してしまう」という意見をネットで見かけた。 これは本当にその通りなのだと思う。 バングラデシュの人が事件に対して単純に憤るだけではなくて、同時に殺害された外国人に対して「申し訳ない」と感じるのも、その「つまるところ」から来ている。 襲撃の時に「日本人だ!」と叫んだ人がいると報じられ、ネットでは「今や、日本人も標的になっている。注意喚起すべき」という意見が散見された。 確かに注意を喚起する必要はある。 でも「日本人だ!」と言った人はそのことを知らなかったわけではないのではないか。 長い間バングラデシュに関わって来て、昔(とはいえ比較的最近までそうだった)それが通用した時代も知っていて、緊急時にそれ以外の方法が思いつかなかったら? 私だって今もしそういう状況になったら、コーランが暗唱できるわけではないし、「アッラーアクバル」や基本的な挨拶程度なら言えるが、それで済むような話でなければ「日本人だよ」と言うしかない。 あと、そういう時にアッラーアクバルなりコーランの暗唱なりができるだけの知識があったとして、それを暴力で強いられて実際に口に出すかどうかは別の問題である。「死ぬかもしれないけどそうするしかない」みたいな事柄だから。信仰の問題とはそういうものだ。 (信仰を持たないという人もよくよく考えてみるとそれに類するものを持っているということは多い。それはそれで信仰の一つの形だと思う。私はspiritual trampだからよくわからんけど。夫なんかはわりと「知ってても言わないタイプ」だ。) ある特定の信仰を選ぶということは、それを選ばない人たちとの分断ということを避け難く含んでいる。でもそれはその人のアイデンティティに関わることだからどうしようもない。 バングラデシュやアメリカで生活した中ではっきり言われたことはない(たぶん。少なくとも記憶にはない)が、日常で接しているとその「分断」をはっきり認識できる瞬間がある。もちろん、それはいい気持ちがするものではない。 たとえば私がエルパソ在住時に通っていたバイブルスタディの講師は、彼女の言動から判断するに「特定の“正しい”信仰を選ぶには強さが必要だが、それができないのはその人の弱さだ」という立場の人だった。 今の私は彼女の言う「弱さ」を自分が抱えていることを受け入れているし、何かを選び取るのは「強さ」だということを認めている。 ただ、選ぶ「強さ」も選ばない「弱さ」にもそれぞれ裏表がある。前者には選ばない状態を耐えられない「弱さ」があるし、後者には選ばないでいる不安定な状況を乗り越える「強さ」が必要だ。長い間を経てそれでいいんだと思うようになった。彼女には私にない強さがあるし、私には彼女にない強さがある。それでいい。 「分断はある。それでも私たちは多くのことについて同じ思いを共有できる」ところから出発するしかない。 バングラデシュで見た「911で崩壊するビルの映像を観て喜ぶ人たち」の記憶は、長い間私には受け入れ難いものだった。「あれは本当のことではなかったかもしれない。私の記憶の捏造かもしれない」と考えるほど受け入れ難かった。 今でもあれが本当だとは断言できないが、あれが本当だとしても今の私はそれを受け入れる。 あの時に感じた自分の身近な人との深い溝(=「分断」)は長らく私の中で未解決の事柄として転がっていたし、溝そのものはこれからも未解決のままなんだろう。 私たちはお互いに分断を抱えたままで関係を築くしかない。 #
by liyehuku
| 2016-07-08 14:51
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2016年 05月 20日
少し前の記事に当の本人からコメントがあって(なかなか気付かず申し訳ない)、自分の記事を読み直した。
記事の中で私は「親が意図的に子供のやる気を刺激すること」やその間接的な手法としての「親が子供の環境を用意すること(お膳立て的な意味で)」について懐疑的である。 今の私はその点で考え方を少しだけ変えた。 私が「懐疑的」であったのは、自分の好みの問題ということもあるのだが、何より上の子(現在小学5年生)が幼い頃にその手が通用しなかったからということが大きい。(それまでの自分は「お膳立て」にそれほどためらいは感じてなかった気がするし。) 彼女はどれほど巧妙にお膳立ての形跡を消してもそれを嗅ぎ当ててしまうようなところがあった。(2歳の頃だったか、クリスマスの際に「おたくのお子さんにサンタを信じさせるのは難しそうですね」という意味のことを言われたことがあるが、果たして3、4歳の頃には彼女は「サンタさんてお父さんお母さんだよね」と言うようになっていたのだった。) その彼女、今ではその感覚がだんだん鈍ってきたようで、今ならお膳立てしてその形跡を巧妙に隠せば気がつかない可能性は高いし、気がついても十中八九気にも留めないと思う。そのセンサーの感度は、幼稚園や小学校での集団生活を経て、身につけてきた社会性とトレードオフになっているように見受けられる。(ちなみに、我が家で一番社会性があるのは彼女だと思う。一番というか唯一というか。) 私が少しだけ「懐疑的」でなくなったのは、そういった上の子の変化があったことも関係しているかもしれない。 もう一つ、大きな原因として考えられるのは、下の子の「特質」である。 実は数年前、子供たちに発達障害の検査を受けさせた。 その頃上の子は小学校低学年、下の子は幼稚園児。検査の後、検査を行った人から「上の子には特に目立った傾向が見られず、下の子は幼なすぎて確定診断をできる状態ではない」という話を聞いて、後日受けるはずの診察には(来るはずの連絡が来なかったこともあって)行かなかったのだった。 それが昨年度、小学校(の養護教諭)から下の子について「もしかしたら可能性があるのではないか」という話があった。その後数回学校で担任の先生やカウンセラー、養護の先生と面談を重ねた結果、再び発達障害の診断検査を受けることになり、先日受けてきたところ。 受けたのが市の教育相談センターで医師の診断が受けられるわけではないため、「診断名」はつかない。検査の結果から本人の傾向(得意なことと苦手なこと)はわかる。 検査の結果、やはり下の子には学校生活でも何らかの教育的配慮(たとえば「気が散りやすく、気が散ると先生の話が理解できなくなるので、席を一番前にする」とか)が必要ではないかという話だったので、後日また改めて学校の先生達と面談することになっている。 診断名が付いてないので確かなことは何もいえないのだが、ネットを調べたり本を読んだりしていると「多動が見られないADHD」の特徴がよく当てはまっているかな…と思う。 発達障害を持つ人には「狭い空間の方が落ち着く」という人が少なくない。自閉症で最も成功した人の1人とされるテンプル・グランディンにも「預けられていた農場で牛用の拘束器具に入ったら非常に落ち着いた」なんて逸話がある。(確か「その後、大学に進学して寮に入った際に、2人部屋の自室に自分専用の拘束器具を作ったら、性的異常者ではないかと疑われ、寮から追い出された上に退学させられそうになった」はず。) 下の子も衝撃吸収シート(1枚が1辺約60cmの正方形で、縁がジグソーパズルのピース状になっているので連結させることができる)で立方体を作って中に閉じこもるが好きで。そして、そういった物理的な話に限らず、空間認識的な状況(抽象的に)でもそういうところがある。 「範囲が決まっていない状況にいると完全に混乱する」のだ、彼は。 そういう障害がある人が家族である場合、範囲の枠としての「お膳立て」は日常生活で不可欠になる。それは当人にとってもそうだし、周りの家族にとってもそう。「お膳立て」の方法や程度についてはいろいろ議論があるだろうし、何よりケースバイケースだと思うのだが、「ある程度は」絶対必要。それがないとみんな疲弊して消耗しきってしまう。 #
by liyehuku
| 2016-05-20 12:14
| Diary
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2016年 01月 19日
先日、大学時代の同級生たちと久しぶりに会った。
その時にある人が「若者の無気力さにショックを受けるようなことがここのところ続いて、自分の子供(幼児)がそうならないためには自分がどうしたらいいのか考えてる」という話をし、その場で「最近の若者のやる気のなさ」に同意する意見もあったのだけど、実は私にはその実感があまりない。 まず一つには「誰よりも自分が無気力だから」というのがあるのだけど、他に「ここで話題になっている“若者”が具体的にどの世代のことを指すのかをはっきりさせないとダメだ」とか「親が意図的に子供のやる気を刺激するというやり方が、たとえそれが“環境を用意する”という間接的なやり方でもその子の人生にプラスに働くかどうか」とかいろいろな思いが心に湧いた。 あと一つ、その時は何となくはっきり言えなかったのだけど、昨晩の"フジテレビ『SMAP×SMAP』生放送謝罪" を観てはっきり気がついたのは、「こんなもん公然と当然のものとして流しといて若者のやる気がどうこう言う資格はないよな、年輩者は」ということだった。(とてもグロテスクでした。) その後、最近の若者について憂う彼女は私に「あなたはこの時どうだったの?」「どうしてあの時そうしたの?」などと私の「若い頃」について矢継ぎ早に聞いてきた。 「おそらく誰よりもやる気のない私にそれを聞いてどうするのよ」(要約)という意味のことを言ったのだが、 「だってあなたのバックグラウンドで⚪︎⚪︎大学を受けるのはよほどのモチベーションがないとあまりないことでしょ」(要約) 「やる気がない人がバングラデシュには行かない」 とさらに追及してきたのだった。 いや、ほんとに「あの時ああしたのはこういうことだったんだな」って後付けで言えることはいくらかあっても、当時具体的な何かに対してすごくやる気があったわけじゃないのよ。 「確かに一浪して⚪︎⚪︎大学を受験はしたけど、高3の12月まで数学科に行きたかったし、⚪︎⚪︎大学に行きたくてすごく勉強したという感覚はない。周りには私よりもっと勉強してた子ももっと成績が良かった子もいっぱいいたから、むしろ自分は勉強してない方だと思ってた。ただ、高3のギリギリで進路変更するに当たって関東の大学を選んだのは、やはりできるだけ遠くに行きたかったんだと思う。その時にはそういう意識はなくて、ただできるだけ“いい大学”に行きたいだけだった。自分が得意なのは勉強だけだったから、それを試してみたいっていうのはあったかもしれない」 まあ、結局、その場の会話としては「大事なのは家庭環境よりも学校とかそういう教育環境なのかもしれない」というあたりに話に落ち着いたのだが。 彼女は将来の自分の子供に「やる気」や「好奇心」を望んでいた。 やる気の燃料は「好奇心」なので「好奇心」に話を絞っていいと思う。 「好奇心」って、「自分のコントロールできないものごとに対する志向」だから、あれ、「自分が全てをコントロールできることへの恐れや不安」がないと生まれないんじゃないかな。 突き詰めると「親にできること」って「自分がコントロールできないものに対してどういう態度を取るか」しかないように思うし、それって「誰か(子供を含む)に見せるため」じゃなくて「自分がどう生きるか」だからなあ。 #
by liyehuku
| 2016-01-19 09:26
| Diary
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2015年 12月 28日
弟が告げ口をしたことで怒った姉。姉弟の「秘密」は重大な事故を引き起こす可能性があったため結果的に弟が正しかったのだが、約束を破られたことが許せないらしい。
「だって今日みたいなこと前にも何度かあったもん!」 「わかった。じゃあ、ぐちゃぐちゃの子供部屋の中で縫い針を落としたことをお母さんに怒られるからって秘密にしておいた今回の件は今は脇へ置いておこう」 「まず、△△はあなたより幼い。誰かと秘密を持ってそれを守るというのは、精神的に成長してないとできないこと。小学校1年生には難しい」 「だって他の小学校1年生にはできる子もいるんだよ!」 「そこまで成長してる子は1年生でもいる。でも△△はそうじゃない」 「だって、ちゃんと守ることもあるんだよ」 「そういうこともある。だけど、絶対にというわけにはいかない。今はいわば練習段階だから。期待はしてもいいけど期待し過ぎたらだめ」 「家族だから信用してたのに!」 「守れなかったから"もう信用できない"っていうような段階じゃないのよ。極端なたとえで言えば、家族だからって赤ちゃんに"これは内緒だからね"って言ってもどうしようもないでしょ?△△に関してはそれと似たような話なのよ。△△が成長するのを一緒に練習しながら待つしかない。」 「それでさ、さっき縫い針の一件はいったん横に置いたじゃない。ここでさらに"△△はまだ秘密を守れるほど成長してない"という話をいったん横に置きますよ、いいですか?」 「あなた、さっき"他の1年生の子は私が内緒にしてっていったらちゃんと約束を守ってくれる"って言いましたね?それは良くないです」 「?」 「相手が自分より小さい子だとその子とあなたの関係が対等でないことがある。うちではたまたまあなたと△△の関係は対等かもしれないけど、学校で学年が違うとそうでないことも多い。特に相手が小学校1年生だと学校のことがまだよくわかってない。そういう場合、相手の子はあなたの言うことを聞かないとだめなんじゃないかと思っている可能性がある。あなたが対等だと思っていてもそうでないということは起こりがちなんだよ」 「正直、親の立場からすると、子供には秘密は持って欲しくないのよ。秘密にしていることの中に何か重大なことがあるかもしれないでしょ。それが心配だから。例えば今回の件もうっかりすると命に関わるよね? でも、お母さんは友達同士の関係の中で秘密を持つことがある程度必要だとも思う。だから、あなたと相手が対等な関係である限りはいいと思うことにしてる。その秘密が命に関わるようなことだったり、あなたか相手を損なうことでなければ、だけど。 たとえばさ、あなたが大人の男の人と仲良くなってあなたの方でも相手のことを友達だと思っていたとする。ここで問題になるのは、それは対等な関係ではないということ。それがまず一つ。そして、その相手があなたの体の他の人に触って欲しくないところに触ってきたり、その人のそういうところに触ってって頼まれたりしたとするじゃない?それで"誰にも言わないでね。内緒だよ。友達でしょ"って言うのは良くないよね。それはあなたを人として損なう良くない秘密」 「あなたには誰かと内緒にしているその秘密が誰かの命に関わるようなことなのかどうか、あなたや相手を損なうようなものであるかどうなのか、ちゃんと分かるとお母さんは思ってる。だから、あなたと相手が対等な友達である限りは何かしら秘密にしていることがあってもいいと思うんだ」 #
by liyehuku
| 2015-12-28 14:03
| Diary
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