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2015年 11月 09日
母の父に対する呪詛が私の男性嫌悪を呼び覚まし、結果的に自分が女性であることを拒絶したくなっている。
「もうその話はこの前から何回も聞いた。同じこと言われても同じ答えしか返せないよ」とは言ったが、いったん耳に入ったものは私を中から蝕む。 父のことは自分が思春期に入った頃からうっすら気持ち悪くなって、結局それは解消してない。今はただ離れて住むことでやり過ごしているだけだ。そうやってやり過ごしているのに、母は電話をかけてきては父のそういう部分を繰り返し繰り返し呪詛のように私に聞かせる。悪夢に追っかけられてるようだ。 母は父の「そういう部分」を見ないようにしてこれまで来たのだろう。時々気がつくようなことがあっても打ち消してきたのだろう。それが最近ある事実とその原因として最も妥当な可能性について受け入れざるを得なくなってもがいているのである。 "ごめん。私、そこはもう数十年前に通過したから。 あなたが今繰り返し口にする呪詛はその嫌な感覚を思い出させるものでしかないの" 心の中でこっそりとつぶやく。 母に精神科や心療内科で受けられるカウンセリングを受けるように勧めているが聞き入れられる気配はない。 面倒くさいらしい。 愚痴を言うなら便利な相手がすでにいるからだ。(私のことだ。) 以前父にも勧めてみたが、こちらは母親に輪をかけて見たくないものは認識しない人なので、やはり行くつもりはないらしい。 母は「問題があるのは相手だ。自分は悪くない」と思っているし、父はあれやこれややらかしすぎて自分の非を認めると精神が崩壊しそうな状態である。 だから、私は父と母それぞれに「問題を抱えている人の家族という立場でカウンセリングを受けてみたら。いざという時に逃避先になるから」と勧めているのだが、成果は上がってない。 正直とてもしんどい。 愚痴ってよく「聞いてくれるだけでいいから」っていう話になるけど、相手との距離によっては精神的な暴力になる。 #
by liyehuku
| 2015-11-09 21:29
| Other Memories
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2015年 10月 19日
昨晩、家族で外食に出かけ、店に向かう途中で上の子がいなくなった。辺りが暗いせいか探してもなかなか見つからず、夫と手分けして近所の公園などを探し回った。通りすがりの知り合いの女の子に見かけたら家に帰るように伝えてくれるように頼んだり、近所に住む同級生の女の子の家に電話をかけてそちらへ行ってないか尋ねたりした。同級生は暗い中探しに出てくれた。いつ警察に連絡するか迷ったが、結局、住んでいるマンションの上階の階段にいるのを夫が見つけた。
ことの起こりは、お店に向かう途中でうちの姉弟がお互いに挑発し合い、自転車や通行人とぶつかりそうだったので何度も諌めたがおさまらず、半ば無理やり私が下の子と夫が上の子と手を繋ごうとしたことだった。2人とも暴れ、夫は上の子の手を捻じり上げた。 上の子を見つけた夫が階段で話を聞いたところ、「私は大事にされていない」と不満を漏らしたという。 「お母さんは△△に手を上げた時は謝るのに、私に手を上げた時には謝ってくれない」 「お母さんは最近⚪︎⚪︎を叩くことがあるの?たとえば4年生になってから叩かれたことはある?」 「ない」 「それは⚪︎⚪︎がだんだん大きくなってきて言葉で言えばわかるようになったからだよね?」 「うん、お母さんは言葉で説明してくれる」 その後夫と2人になった機会にその時の会話の内容を聞いた。 「ああ、そうだねえ。⚪︎⚪︎の時にした失敗を△△の時に生かして改善されてるから、⚪︎⚪︎が不満に思うのは仕方がないだろうね。折に触れてそれについては自分でも指摘して⚪︎⚪︎には過去のことを謝ってはいるんだけど。⚪︎⚪︎にしてみれば過去に被った不公平が回復されてないんだと思う。 これについては謝ったから許してもらえるという性質の話ではない。いつか本人が吹っ切れて“まあいいや”とか“起こってしまったものはしょうがない”と思えるようになるかもしれないけど、その“いつか”が何年後か数十年後かはわからない。 家族でなければ吹っ切るのは早いかもしれないけど親子間だとそうはいかない。私自身が親との間にそういうのがあるから言うんだけど、吹っ切れたと思っても寄せては返す波のように帰ってくるしね」 「叩くことも含めてそういうフィジカルなやり方は、たとえそれが性的なものでなくても⚪︎⚪︎の自尊心をとても傷つける。年齢的にもはっきりそういう風に捉えるようになる時期だし、今後ますますその方向に進むから、できる限りやめた方がいい。特にそれをやる側の立場が父親だったり母親だったり学校の先生だったりしたら、相手の方が圧倒的に力や立場が強いんだから子供にはどうしようもできないじゃない?それだけ傷が深くなる」 「どうしてもそれ意外に方法がないという場合は、さっきも言ったようにそれは⚪︎⚪︎には許せないこととして長い間ずっと残るかもしれない、回復されないかもしれないということは覚えておいた方がいい。 私は実際には△△の方だけじゃなくて⚪︎⚪︎に対してもやり方を変えてる。言葉で言うようにしてる。聞いてもらえなくても何度も説明してる。⚪︎⚪︎がそれだけ成長してるからっていうのが大きいんだけど。 そうやってやり方を変えてからまだそれほど時間が経ってないけど、少なくとも1年とか2年はそういうやり方でやってる。でも⚪︎⚪︎はそれより前のことをまだ許せてないでしょ。そういうこと。 でも、⚪︎⚪︎がそれを許せないのは仕方がない。子供なんだから。子供が許せないのは仕方がない。大人でも難しいんだから」 ちなみに夫がマンションの階段で上の子を見つけた時、彼女は「マンションの階段から飛び降りればよかった」と言っていたそうなので、いなくなったことについて夫は叱ってないと思う(推測)。 私は私で、夫と上の子が話をして話が着いているんだったら私が叱る必要はないと予め判断していたので、特に叱ることはしなかった。ただ、 「お父さんもお母さんもあなたかいなくなったら必死で探すし、必要なら他の人の助けも借りるし、警察にも連絡する。それは今後しばらく、だいたい18歳くらいになるまで、あなたが決まった時間に帰って来なければそういう風にする。それはあなたが大事だからだ。 お父さんもお母さんもあなたのことを大事に思っている。ただ、お父さんもお母さんもそれぞれあなたとは別の人間なので、あなたが自分が思っている通りに大事にはできないと思う。それは別の人間なんだからしょうがないの。だからあなたが足りないと思うのもわかるけど、その足りない部分はあなたが自分で自分の面倒を見るべき部分なの」 という話はして、 「AちゃんとBちゃんにも探すのを手伝ってもらったので次に会った時に自分でもちゃんとお礼を言いなさい。事情については自分の好きなように説明していいから」 と言い添えた。(実際に言うかどうかは本人に任せる。) #
by liyehuku
| 2015-10-19 09:34
| DD&DS
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2015年 04月 27日
「小学校や幼稚園・保育園の近くで相次いで猫の死骸が見つかっている」というニュースに関連した会話の中で、上の子から「何でもいいから何かを殺してみたいと思うことがある」という発言があった。直感的にここで会話を終えてはいけないと思った。でも何をどう話すかは難しくて見当もつかなかった。とりあえず慎重に言葉を選びながら会話を進める。
「たとえばどんな動物?」 「ネズミとか…」 「殺してみたいっていうのはどうしてなのか自分でわかる?」 「中がどうなっているのか、開けてぷにぷに突ついてみたい」 「学校や何かであなたの他にもそういう風に思ってる人はいる?」 「他の人に話したことないよ」 「たとえば何かを殺してみたいと思ったとして、それを言葉にしてお話を作ったり、絵に描いて漫画にしたりっていうやり方もあるよね。そうじゃないってこと?」 「自分で中が見てみたい」 「そっか…。それは自分でやってみるっていうのが意味があることなのかな。たとえばね、怖い映画とかにそういうの出てくることがあるでしょ。お母さんも時々そういう映画を観ることがある。あなたたちがいない時とか寝た後なんかに」 「男の子にはそういう映画や何かを観てる子がいるよ」 「でも、そういうのを観たり、本で調べたりするのとは違うんだよね?中が知りたいというだけだったら本で調べることもできるよ」 「…」 「ネズミかあ…」 「ネズミだったら家の中に出て怖いからって殺す女の人もいるでしょ?」 「そういう人もいるかもしれないけど、その場合はネズミがダニや病気を媒介するから駆除するためだよね?だから普通は毒入りの餌を撒いて駆除する。そういう人にはネズミには自分に知らない所で死んでて欲しいっていう人がほとんどだし、害虫や害獣を駆除する専門の業者に頼む人も多い。…あなたが見てみたいっていうのはそういうことじゃないんだよね?何か動物を解剖してみたいっていうんだったら、解剖することが必要な仕事をしている人もいるよ。まあ、そうなると実際に解剖できるようになるまで時間はかかるけど」 「…」 「えーとね、魚じゃだめなのかな。魚が一番手っ取り早いかな」 「…」 「うーん、だったらたとえば鶏とか?たとえば他の国だと鶏を食べる時市場で生きた鶏を買うところもあるよね。バングラデシュだと買ってきた鶏を家でそのうちのお父さんがシメることが多い。家でできない場合は市場でシメて食べるために捌いてもらうこともできる」 「鶏はいいかも」 「日本でもそういうことを教えてくれる所はあるよ。実際に自分たちでシメて捌いた肉を料理して食べるような活動をやっているような。ただね、実際に自分で鶏を捌くとその後鶏を食べられなくなる人が結構いる。お母さんやお父さんのお友達のMちゃんがそうだよ」 「なんで食べられなくなったの?」 「生きているのを自分で殺すのはかなりしんどいことみたいだよ」 「鶏が食べられなくなるのは嫌だなあ」 「鶏、美味しいしね。貴重なタンパク源だし。…じゃあさ、とりあえず魚から入ろうか。今度お父さんとニジマス釣りに行った時にその場で自分で捌いてみるのがいいと思うよ。それが一番近道だと思う。で、あのね、それが魚や鶏じゃ気が済まないってことになったらってことなんだけど…」 「何かを殺してみたいって思うことと実際に殺してみることは別だって話になってる。殺したいって思うことはいいとか悪いとかそういう問題じゃないってこと。心の中で思っていることをいいことか悪いことか決めようっていう考え方もあって、それは法律じゃなくて信仰によって決まる。信じている宗教によっては禁じられていることがある」 「今の私やあなたがいる社会ではそうやって心に思ってることは罪にはならない。でも、実行に移して動物や他の人を傷つけたり殺したりすると、それは犯罪。動物の場合だったら動物虐待ってことになるし、相手が人だったら傷害罪とか殺人罪になる。大人だったら裁判で裁かれる。あなたは子供だから大人とは扱いが違ってくるけど。でもあなたがやったことは法律で判断される」 「一つ覚えておいて欲しいんだけど、あなたが何かを殺したくなって、それが何か自分の中で決まって、じゃあどうやって殺そうかなって方法を考え始めたり、道具を揃えたいと思うようになったりしたら、たぶん、それはお父さんとかお母さんと一緒にお医者さんに行った方がいいのよ。心療内科とか精神科とか。そういうお医者さんに行ったら、じゃあ、カウンセラーのカウンセリングを受けてみましょうか、という話になったり、もしあまりにそういう気持ちが強すぎるようならそれを抑えるために薬を飲みましょうかという話になったりすると思うけど。でも、とりあえずはお母さんかお父さんに言ってくれるかな」 「でも、どっちみち道具が欲しくても私には買うお金がないから買えないでしょ」 「いや、お金があるかどうかの問題じゃないのね。お金はあると思うな。でもあったとしても、道具が欲しい時はあなたはお父さんかお母さんに相談しなくちゃいけない年齢だと思う。こういうことっていくつかステップがあって、そのステップをいつどうやって進むかっていうのは、あなたとお父さんとお母さんが一緒に話し合って決めなくちゃいけないことだから。将来的にはできるようになるけど、今はダメっていうことは多いと思うけど。それはしょうがないんだよ」 生きているものが死ぬということはどういうことなのか… 自分がそれを左右することーはっきりと言ってしまえば殺生権を握るーことを自分の中にどう収めるのか… 私は親として娘と話し合うことで、彼女の体験の範囲を交渉によって決めることはできるかもしれない。でも彼女が得た実感については彼女の言動によってそれを把握することしかできない。 #
by liyehuku
| 2015-04-27 22:53
| DD&DS
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2014年 09月 15日
"元アメリカ防衛相のマックナマラ氏は、日本への爆撃に関してこう述べている。「もし戦争に負けていたなら、我々は戦犯として起訴されていた」。
そして彼は正しいと思う。戦争に負けたら何が不道徳で、戦争に勝ったら何が不道徳でなくなるのだろう" (参照) ああ、あれ↓はやっぱりこういうこと↑だったんだなあ、と思った(*1)。 "テネシー住んでいた頃、ジャックダニエルズの工場があるので有名な田舎の小さな観光地に行った。 昼食を摂るためにレストランに入り、注文した料理が出てくるまでの間、店内をぼんやり眺めていると、天井一面にいろいろな広告が貼ってある。どれもわりに年季が入っている。その中に地元の退役軍人団体かどこかが出したものがあった。"When Wars Are Won, Problems Are Solved, Lies Are Swapped"と書いてある。 "Lies Are Swapped"の意味がわからない。「嘘は交換される」?嘘は本当になるってことだろうか。そう捉えてもその真意がわからない。それでもそこに(または、私が「真意を捉えきらない」ということに)日米の戦争に対する考え方の違いがあるのかなあという気がした"(参照) アメリカだと片田舎の退役軍人会が地元のレストランに「こういうの」を掲げたりするのだ。私は自分がアメリカという国のことがそれほど好きな人間だとは思ってない(*2)のだけど、そういうところ(層の厚さというか)を見るとちょっと感動してしまう。 *1 この記事を書いた後で発覚したのだが、9年前にも同じようなことを書いていたのだった。 "以前、テネシーの田舎町のレストランで、 "When Wars Are Won, Problems Are Solved, Lies Are Swapped." 「戦争に勝てば、 問題は解決され、 嘘は交換される(=本当になる?)」 という看板(確か地元の退役軍人組織のものだった記憶があるが定かではない)を見かけ、ぎょっとした覚えがある。 後で繰り返し考えてみて、実際多くのアメリカ人にこういう感覚があるのかも知れないな、と思った。少なくとも兵士はそうでないと戦っていられないと思う。 半年ほど前に、日本でも話題になったドキュメンタリー映画『フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元米国防長官の告白』を観ていた時、その中でマクナマラが「もし第2次世界大戦に負けていればアメリカ合衆国大統領(フランクリン・デラノ・ルーズベルト)(あ・・・トルーマンかも)も司令官(カーティス・エマーソン・ルメイ)も(そして自分も?)戦争犯罪人として裁かれることは承知の上だった」という意味のことを語っているのを聞いて、当時政治の中枢にいた人だからこそそういう覚悟もあったんだろうと思っていたが、アメリカで暮らしているうちに(上で言ったレストランの看板やら、アメフトの試合の始まる前の光景やら、戦没者記念日の家の周りの様子から)意外に一般のアメリカ人にも浸透しているのかもしれないと思うようになった"(参照) すっかり忘れていたよ…。(『フォッグ・オブ・ウォー』だって、ついさっきまで未見だと思い込んでいたんだもの。) 7年前の私も、9年前の私も、今と比べると初々しく、今の私はずいぶん擦れてしまったように感じるが、同じことを何度も「発見」しているあたり、あんまり変わってないんだろうな。 *2 「それほど好きじゃない」とは言え、アメリカに住んでいる間に、「うちの母と姉はアメリカが嫌いなので来ないと思う。フランスなら来ると思うけど」(当時、1年間米国に在住していた友人)とか「夫がアメリカ嫌いだから行く機会ないなあ」(フランス人と結婚した友人)と言うのを聞くと、「ああ、そういうものかもね。理解はできるよ」と口では言いながら、心の中で”Fuck them”と中指立てるくらいには、アメリカ贔屓ではある。 #
by liyehuku
| 2014-09-15 18:53
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2014年 09月 11日
さっき、上の子が突然、「私や△△(下の子)が死んでもお母さんはずっと悲しまない方がいいと思うよ。本で読んだんだけど、ずっと悲しんでいるとその気持ちが強くなって、そしたら死んだ人が霊になって取り憑くんだって」と言い出したんだが、動揺して上手く答えられなかったな。
「人が死んだらどうなるか、実際に見た人はいない。ただ、何かの宗教を信じていれば、その宗教では死んだらこうなるっていうのは決まっている。たとえばキリスト教なら死んだ人がクリスチャンであれば天国に行くことになってるし、イスラム教ならイスラム教徒であれば天国に行くってことになってる。死んだら別のものに生まれ変わるっていう宗教もあるね。生きている間にしたことによって、また人間に生まれ変わるかもしれないし、別の動物に生まれ変わるかもしれない、とか」 「わたし、生まれ変わるのがいいなあ」と上の子。 「それだったら、あなたが大きくなっていろんなことを経験して行く上で、そういう宗教を選ぶしかないね。日本だとそう意識している人は少ないけど、でも選ぶことになるのには変わりないと思う。正直なところ、お母さんには特に信じている宗教がなくて、死んだらどうなるかもお母さんにはわからない」 「…人が死んだ後どうなるのか、お母さんにはわからない。でも、それは別として、もしあなたたちが死んだらそれはとても辛いと思う。それがすぐに終わるとは思わないよ。一生続くって言う人もいる。辛さが強くなったり弱くなったりしながらずっと続くんだって。お母さんもそれは一生続くんじゃないかと思ってるし、それはたぶんしょうがないことなんだって思ってる」 #
by liyehuku
| 2014-09-11 22:33
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